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ソーラー・インパルス2の世界一周飛行完了 今だから聞ける感動や危機のとき、そして挑戦の哲学

「アンドレと僕は、2人の違いをより良い結果を出すための刺激に使った。1足す1が3になる関係だった」とベルトラン・ピカールさん(右)。アンドレ・ボルシュベルクさん(左)も「本当に信じられないくらいすばらしい関係だった」とうなずいた swissinfo.ch

白色の光の直線が夜の闇をゆらりゆらりと揺れながら2016年7月26日、アブダビ空港に近づき、止まった。それは、太陽電池飛行機「ソーラー・インパルス2」が危機を何度も乗り越え、世界一周飛行を終えた瞬間だった。それはまた、企画者であり操縦士でもあるベルトラン・ピカールさんとアンドレ・ボルシュベルクさんという2人の、壮大な挑戦が幕を閉じた瞬間でもあった。飛行完了から3カ月たった今だから聞ける冒険の感動や危機、挑戦の哲学を2人に聞いた。

 危機のときでも前向きにスピーチをする、ピンと糸が張ったような雰囲気のベルトラン・ピカールさんとアンドレ・ボルシュベルクさんをいつもビデオで見てきた。

 ジュネーブのレストランに現れた2人は極度の緊張から開放されたせいか、リラックスした様子。笑いが絶えない。しかし、語る内容は濃く哲学が詰まっている。精神科医であるピカールさんは「危機の意味」を、プロのパイロットのピカールさんは挑戦に立ち向かうときの「心の準備」などを語ってくれた。

 この独占インタビューで一番驚いたのは、2人が最後の最後まで世界一周飛行が成功すると思っていなかったことだ。  

スイスインフォ: 世界一周飛行を完了し、アラブ首長国連邦の首都アブダビに到着したときの気持ちを教えて下さい。

ベルトラン・ピカール: 二つの感情があった。一つは「成功した。終わった」という安堵感だった。この冒険は想像していた以上に長く困難なものになり、昨年ハワイで飛行を中断。今年4月に再開した。天候や技術的なこと、事務的なことなど問題がいつも山のようにあった。だから、冒険を完了できるという確信は持てなかった。「合理的な考え方」からすれば、成功のチャンスは少なかった。

アブダビ到着の20分前でさえ、エンジンが故障して火を吹くかもしれない、気流の関係で着陸に失敗するかもしれないというリスクが頭の中にあった。

もう一つは、到着した瞬間にもう「郷愁」の気持ちが沸いたことだ。すばらしいスタッフと過ごしたこと。化石燃料を使わず、騒音もなく、環境汚染もせず何日もノンストップで飛んだこと。技術スタッフが地上から飛行を支援し、他のスタッフはクリーンテクノロジーに関心を持つ世界の政治家に働きかけたこと。それら全ての情熱、エネルギーの燃焼は本当にすばらしいものだった。

そして、アブダビに到着してエンジンを切り、「これで終わりだ。二度とこのエンジンを動かすことはないのだ」と思った瞬間、強い(涙が溢れるような)感情に襲われた。

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アンドレ・ボルシュベルク: 僕もたくさんの感情が入り混じった気持ちだった。このプロジェクトは13年かかった。その間全力投球を続け、それが完了したという深い思いがあった。

そして、アブダビで僕が飛び立ったのと同じ方角からベルトランが戻ってきたときは、感動し同時に安堵した。我々が経験したリスクは膨大だったから。飛行機を失うかもしれない、計画は中断するかもしれないという危機が何度もあった。例えば天候のせいで日本に突如着陸したことも、そうしたことの一つだった。

しかし、こうした次々と起こる困難や危機を経験するうち、一つの危機は次の段階へ進むためのものなのだと感じるようになった。また、危機を乗り越え緊張が緩んだときの喜びは、とても強いものだった。

スイスインフォ: では喜びと落胆のときが繰り返されたプロジェクトだったと。

ボルシュベルク: 落胆ではない。サスペンスだった。あれほど準備をしたのに思いもよらない事態が起きる。だからいつも、何が起こるか分からない、最後まで到達できないのではないかというプレッシャーがあった。

この緊張感は、飛行するごとに高まっていった。例えば中国では2カ月間、太平洋の天候が回復するのを待った。毎日気象情報を聞き、そして毎日「だめだ。出発できない」という決断を下さなければならなかった。60回断念したのだ。

ピカール: 結局は、人生に対する態度の問題だ。誰もやったことがないことをやると決心したら、難しいことは覚悟しなくてはならない。しかし、成功したらそのときの喜びは計り知れない。一方、誰かがすでにやったことをやるとしたら、リスクがより少ないことは当然だが、成功の喜びも多少少ないだろう。

スイスインフォ: そうすると、難しいときには耐えて待つなど、哲学的なことをたくさん学ばれましたか?

ピカール: ああ、もちろん。ものすごく学びましたよ。それについて話せと言われれば、講演会がいくつあっても足りない(笑い)。

とにかく、あなたが「快適なゾーン」に身を置く限り、あなたは過去に学んだことに「囚われた」状態になってしまう。つまり、すでに学んだことをもう一度再現するに過ぎないからだ。その結果、創造性を失ってしまう。

一方、「快適なゾーン」から出ると決心すれば、それは一つの冒険になる。ないしは「快適なゾーン」から強制的に押し出されると、それは危機的な状態になる。だがいずれの場合も、あなたは創造的にならざるを得ない。なぜなら、学んだことだけでは十分でないからだ。学び直さなければならないし、何か違う方法を見つけなければならない。他の人の援助もいれば、考えを練り直し、まったく違う考え方を見つけなければならないだろう。

だがそれは、実にすばらしいことなのだ。なぜすばらしいのか?それは、人間は学んだこと以上の能力を際限なく持っているということを証明できるからだ。

結局僕の場合、1999年の気球による初の無着陸世界一周でも、今回のソーラー・インパルスでの世界一周でも、冒険に情熱が傾けられるのはこういうことが分かるからだ。

スイスインフォ: では、お2人は「快適なゾーン」から出て創造性に突き動かされていたと…。

ボルシュベルク: 面白いのは、ソーラー・インパルスのプロジェクトを航空界の専門家に見せたとき、「これは実現不可能」とはっきり言われたことだ。長い翼を持ち、軽自動車と同じ重さの飛行機が5昼夜ノンストップで飛ぶなんて、エネルギー消費効率から見て技術的に製作不可能だと言われた。

でも実現できた。それは結局、テクノロジーの問題ではなく、考え方の問題だということだ。航空産業界が不可能だと言ったのは、今の彼らが知っている技術で不可能だったのであって、テクノロジー的には全てのものが出揃っているのにそれを探し出すという発想がなかったからだ。その代わりに「ダメだ」と言って人をがっかりさせる。

飛行機を発明した時代も同じだった。不可能と言われたが、彼らは自分たちにとっての「真実」を求め、その実現のための「解決方法」を探したのだ。

我々も同じことをした。発想を変えて、飛行機の素材やエンジン機能、エネルギーなど、すでに存在するものを自分たちで探し出した。別に新しいものを発明したのではない。ソーラーパネルなどすでにあるもので我々の飛行機に適したものを探し出しただけだ。 

スイスインフォ: 実際の飛行で、例えば日本からハワイの120時間ノンストップ飛行は長く、人間の限界を超えたようなもの。パイロットとして、精神的あるいは肉体的に何か特別な準備をしましたか?

ボルシュベルク: 肉体的というより精神的な準備が必要だった。「120時間ノンストップ飛行はかなり長い。ちゃんと操縦できるだろうか?」と考えるのは、すでに守りの姿勢に入っていることだ。

だから僕は、この飛行はまるで子どものころの夢が実現するような特別なチャンスだと考えた。「すばらしい経験なのに、ノンストップ飛行がたった5日間なのは残念だ。6日間だともっといいのに」と思うようにした。また、一度飛行機に乗り込んだ後は「きっと強烈な思い出になるから最大限に楽しもう」と。

そして毎日、「新しく起きることをそのまま受け入れよう。そうすることで自分について学べると同時に、対処の仕方や考え方を変えて前に進める」と考えるようにした。つまり、ポジティブなことをしているのであり、難しいことをやろうとしているのではないという態度だ。

スイスインフォ: でも、太平洋の横断はほんとうに怖くなかったのですか?ゴムボートつきのパラシュートで海上に降り、近くを通る商船に助けを求めるというシナリオでしたね。

ボルシュベルク: まったく怖さがゼロだったわけではない。僕は、日本からハワイに向けての出発前に浜辺に行って、海と対話した。「もしパラシュートで降りるようなことになれば、どうか僕をちゃんと受け入れてくださいね」と、水に触りながら海にお祈りをし、海という環境との関係を少し前進させた。

つまりは感情的なものですね。新しい環境は自分を攻撃するのではなく、やさしく受け入れてくれるという安心感があれば、最悪なことが起きても解決方法を見つけられると思った。

また、たとえパラシュートで落下することになるとしても、「ああ、このプロジェクトは終わる。残念だ」とは思うだろうけれど、ゴムボートでの漂流はまったく新しい経験ですばらしいではないかと思うようにした。

スイスインフォ: 本当にポジティブですね。

ボルシュベルク: そうでありたいと努力もしている。こんなプロジェクトの場合、そうでないとダメ。もう一度言うと、どういった精神性を持つかということが重要になってくる。例えば技術的なことで遅れている場合、その遅れがあったからこそ、最後の目的にまで辿りついたということもあり得る。

スイスインフォ: それは、ハワイに着いたときにバッテリーを新しく変えなくてはならなかったときのことを言ってらっしゃるのですか?

ボルシュベルク: いえ、二つ目の飛行機の一番重要な部分をテスト飛行中に壊してしまった。そのことだ。完成直後に壊れた。それは大きなショックで、もう一度作るのに1年以上かかった。

そこでその年は時間ができたというので、最初の飛行機でアメリカに行き、そのお陰でグーグル社に出会うことができた。これを契機に、新しい方向で飛行機を製作する道が開けた。つまり、「新しい状況を最大限に利用して利益を最大限に導き出す方法」を学ぶことになった。

ピカール : 危機は大切で価値あるものだ。あなたに、まだ見つけていないことを見つけるよう強いるからだ。他の考え方、他の解決方法、よりよく機能するための手段を見つけるよう強いる。

それは、人類の発展の歴史を見ればよく分かる。人類は危機を契機に発展してきた。人間が突然に変わることはない。重大な危機、例えば個人的な、あるいは社会的な、国内・国外の危機によって、良い方向に変わっていく。テクノロジーもまた同じように、危機によって改良されていく。

ボルシュベルク: 少し残念なことではあるが、危機はほとんど通過しなくてはならないものだ。

ピカール : 人間は今、冒険心や挑戦する心を失っている。子どもはそれを持っているのだが、親が「気をつけて。動かないで」と言い、質問したら「なんでも質問しないで」と言い、子どもの世界観を狭めてしまう。その結果、見知らぬ人を怖がったり、コントロールできない、完成できないといった状況で、非常に心配になったりする。

もし夢があるならそれが実現できるように、目的があるなら到達ができるように積極的に支援しなければならない。それは毎日の生活の中でのことだ。そのことを理解しなくてはならない。

アンドレとした挑戦は一つの例に過ぎない。それぞれの人が、その生活の中で、その専門で、国や世界でやっていかなくてはならない。

現在人類は、世界は、うまくいっていない。なぜなら、我々は過去の中に閉じ込められているからだ。すでに獲得したこと、すでに知っている考え方、古いテクノロジーにしがみついているからだ。だから環境汚染は続き、政治も、人権も、貧困もまったく変わらない。同じことを再生産している。

だから、創造や革新の考えを導入しなくてはならない。考えるその仕方も変えなくてはならない。政治の世界は、特にもっとこの創造性からインスピレーションを受け変わらなくてはならない。そうすれば、世界は良い方向に向かうだろう。

スイスインフォ: 今回の企画が始まってからの13年間で、一番心に残ったときや、できごとは何でしょう?また一番難しかったことは?

ピカール : 一番心に残り一番大切なときは、太平洋の真ん中でソーラー・インパルスの操縦室の中にいて、そこからサテライトの電話で潘基文(パンギムン)国連事務総長と話をしたときだ。彼はニューヨークの国連の中にいて、175人の国の代表がパリ協定に署名をしようとしていた。彼と5~6分電話で話をした。各国の代表者が、クリーンテクノロジーや気候変動の解決方法について話しているときだった。

ソーラー・インパルス・プロジェクトの目的は、まさにクリーンテクノロジーの推進だったので、そのとき「ああ、ソーラー・インパルスがクリーンテクノロジー推進の『旗』の役割を担いつつある」と感じ、満足感に心が震えた。

一番難しかったことは、1億6千万ドル(約160億円)の資金を見つけ出すことだった。それは大変で承諾を取るまでに何回も拒否された。もう一つの困難は、パイロットではない僕が操縦を学ぶことだった。誰もが「君にはできない」と言った。でも真剣な努力を重ねた。

ボルシュベルク: 僕にとって一番強烈な瞬間は、再生可能エネルギーを使った飛行機で世界一周をする計画があると初めて聞いたときだ。ベルトランからではなく、スイス連邦工科大学ローザンヌ校(EPFL)の誰かから初めて聞いたときだ。

次に感動したのは、ソーラー・インパルス1が離陸した瞬間だ。こんな飛行機はできないと言われていたし、技術者スタッフは全員、飛行機の製作が始めてで、障害だらけだったから。

難しいことについては…。むしろ学んだことについて語りたい。このプロジェクトは、クリーンテクノロジーを広める「コミュニケーション・プロジェクト」だった。でも、僕はまったくコミュニケーションをやったことがない人間だ。ベルトランが操縦を学んだように、僕は会社のCEOやメディア、一般の人と話すやり方を学んだ。

そして最終的には、ベルトランとのコラボから多くのことを学んだ。彼は、コミュニケーションにおいては僕の先生だった。

結局、僕たち2人には競争ということがなかった。彼が僕と同じ操縦のテクニックで飛ぶ必要はなかったし、僕が彼と同じコミュニケーション力を発揮する必要もなかった。むしろそれぞれが自分のもっていない能力の獲得に挑戦した。自分との戦いだった。

ピカール : 本当に、お互いがお互いのお陰で多くのことを学び、この13年間はすばらしいものになった。

ボルシュベルク: 信じられないくらいすばらしい関係だった。相手の状態を見て、「快適なゾーン」から抜け出なくてはならない。もう少し働かなければと思う、そんな関係だったね。

ピカール : その通り、まったくその通り。アンドレと僕は、2人の違いをより良い結果を出すための刺激に使った。1足す1が3になる関係だった。2人が一緒になってはじめて「一つの力」になり、そして成功した。

2人の間には始め、意見の違いもあり言い争うときもあった。しかしいつも非常に賢い方法で両方にとって有益であるような解決方法を見つけた。その結果、信頼に基づいた深い友情が生まれたのだ。

「快適なゾーンに身を置く限り、あなたは過去に学んだことに囚われた状態になってしまう」など、示唆に富む言葉に溢れたインタビューを読まれてどう感じましたか?皆さんの意見をお寄せください。

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