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魔の山、アイガーに魅せられて

スイス自然遺産、アルプス最大のアレッチ氷河を案内する加藤氏(写真撮影:中島美奈子)

「遊びが仕事になったのは確かです」と笑うのはスイス高所山岳ガイドの資格を持つ加藤滝男(たきお/62歳)氏。「遊び」でスイスのアイガーに会いにきたのは40年前。加藤氏が率いる日本隊6名がアイガー北壁の初登攀という偉業を果たしたのは1969年で、前人未踏の直登ルートを開拓した。それまで、登った人は30人、死んだ人も30人という「魔の山」への挑戦だった。これが彼の人生を変えることになる。

 この壮絶なドラマは新田次郎の小説、『銀嶺の人』(新潮文庫、上下)のモデルにもなった。加藤氏をモデルにした隊長の佐久間博なる「強引な山男」を想像していたら、感じの良い紳士が現れた。還暦を越えているはずの加藤氏だが10歳は若く見える。現役のガイドだからか、動きが若々しいのだ。
 
 「今でも全てのことを覚えています。どこにハーケンを打ったかまで鮮明に」と当時を振り返る。共にこの冒険を生きたメンバーにはアルプス3大北壁完登者となる女医の今井道子氏、エベレストの登頂に3度成功して、帰途に帰らぬ人となった弟の加藤保男氏がいた。 

 この時、加藤氏が創設したJECC(ジャパン・エキスパート・クライマーズ・クラブ)は今も健全で世に優秀なアルピニストを送り出している。「昔のテクニックを教えてください」と後輩に頼まれる。「確かに当時の道具は今とは違うばかりか、新しくルートを開拓して登ったので、日数もかかり、登頂は今より難しいものでした」

 アルプスの魅力を語る加藤氏の顔が引き締まる。「アルプスは垂直の世界。ヒマラヤなどの高度の世界とは違い、手を離したら死ぬのです」木が生い茂る日本の山とは違い、アルプスは岩登りをしないと頂上を踏めない。これが病みつきになり、「ロープを使うガイドになりたい」と難関のスイス高所山岳ガイド試験を受け、日本人初のプロガイドになる。「試験は5週間の実技で、朝2時から夜の8時まで歩く体力試験で3つの山を登ったこともありました。クレバスに落ちた人を救助したのが忘れられません」

 加藤氏に山の手ほどきを受けた人々からは「自然に詳しい」「押し付けがましくない」「さっぱりしている」とファンが多い。

 連れて行ったお客さんが頂上で感激して泣いたり、降りてきてから「本当に良かった」と呟く時、「良い仕事を選んだ」と実感する。「モンブランを登る際、4時間で登頂できない人は引き返します。時間内に登れない人は下りはさらにかかるのです」さすが、山の世界を熟知しているプロの厳しい面も垣間見た。「一生に一度スイスの山に登りたかったといってやってくる人は8割方また戻ってきます。それが山の魅力なのでしょうか」。山との恋はまだ終わっていない。

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SWI swissinfo.ch スイス公共放送協会の国際部

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