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ローザンヌ国際バレエコンクール、 「降り注ぐ感覚の雨の中で淡々としながらもひらめきをつかむ」

「舞踊を通して自己変革し幸福になってほしい」と島崎氏は言う swissinfo.ch

第39回ローザンヌ国際バレエコンクールの審査員を務める島崎徹氏は、「降り注ぐ感覚の雨の中にいるような非日常的なコンクールの場。だからこそ日常的に振る舞えば何かが向こうに見えてくる」と言う。

島崎氏は、カナダでバレエを習いその後振付家として数多くの作品を海外で創作してきた。1999年には審査員として、また自作のコンテンポラリーのコーチとしてローザンヌ国際バレエコンクールに参加している。 

 ダンサーとして振付家として、さらに現在は教育者として多くの経験に基づき舞踊への独自な見解と哲学を繰り広げる島崎氏。ダンサーへのアドバイス、舞踊の在り方、創作の過程などを聞いてみた。

swissinfo.ch : まず、 コンクールに参加する日本のダンサーにアドバイスをいただけますか。

 島崎  : 一つは、ジュニアで世界一のこのローザンヌの「バレエ」のコンクールに、なぜコンテンポラリーの審査があるのかを理解して臨むのは大切だと思います。単に課題だからやるというのではなく。

ヨーロッパのオペラ劇場の舞踊ディレクターは舞踊のプログラム責任者です。3本クラシックをやったら、ほかは新しいコンテンポラリーをと考える。それも、自分の振り付けのものをやろうとします。なぜなら彼らの8割が振付家でもあるからです。

そうした場合、自分の所に採用したいダンサーは当然クラシックがきちんと踊れる上に自分のコンテンポラリーを踊れる人。だからローザンヌでは、将来こうしたカンパニーへの就職を視野に入れてコンテンポラリーを課題にしている。ローザンヌも現代のダンス市場を反映しようとしているのです。

swissinfo.ch : ここの5日間のコンクールでは、ハイレベルのコーチやほかの国のダンサーに会える。そうした場での具体的なアドバイスは?

 島崎  : 踊りを物まねにせず舞踊を通して自分の表現を追求しながらも、舞踊をどこかで「道具」だと考えることが大切です。それは自分を変革していく道具であり、人とうまくやって行くための道具であるということ。舞踊を単に舞台上の表現にとどめず、もっと大きく広く使える人になってほしいのです。

一方で、具体的にはこのコンクール期間中にぐんぐんと伸びてほしい。実際優勝する子は伸びていく子が多い。それは、技術的に伸びるというのではなく、「こう表現すればいいんだ」といったひらめきみたいなものを手にすることだと思います。

ここにいるということは、降り注ぐ感覚の雨、感情の渦みたいな非日常的な所にチャンスをもらって来たということです。だからこそ、反対に淡々と日常的にやっていくと、その向こうに何かが見えてくる。それが自己変革への近道になると思います。

結果がどうのというより、ここで見つけた自己変革への道に向けその後も努力していってほしいと心から願っています。

swissinfo.ch : 将来外国に出て行くダンサーへのアドバイスは何でしょう。

 島崎  : もし外国で学びたいのなら、間違えたくないといったプライドが出来上がる前に、とにかく出て行くこと。

それと、自分を強く持ちながらも周りと協調できる人になることです。自分をきちんと持っていないと潰れる。しかし舞踊は、これほど人の協力が必要な芸術はないと言ってもいいくらい、照明や音楽関係者など色々な人の支えが必要。例えば「今日は吉田都が踊るからいい照明にしてやろう」というものがないとやっていけない世界です。ですから「和して動ぜず」という言葉を贈りたいと思います。

swissinfo.ch : 先程の「自己変革」は島崎さんのキーワードで、プロを目指さないダンサーの教育にも大切だということですが、それはどういうことでしょう。 

 島崎  : バレエはもともと優れた身体条件を持った者だけがやってきたものを、現代は一般に門戸を広げました。それはいいことですが、当然生まれつきの条件が整った者しかプロになれない世界です。ではプロにならない人が舞踊をやることの意義は?ということになりますが、一言でいえば「舞踊を通して自己変革ができる」ということです。

タンジュを100回練習してもすぐに何かが得られるわけではない。そういう意味で人間教育の道具として最高。精神と肉体の試練の両方を含むからです。

そうしてこうした無駄に見えることを続け、人から褒められるというより自分自身が確実に向上しているという内面の喜びを感じるだけで人は十分生きていけるようにできている。向上し自己変革しているという喜びをガソリンに明日も走れるようになっている。舞踊はこの向上の感覚を才能がある子にもない子にも平等に与えてくれます。 

とにかく、人間は幸福になるために生まれているので、自分の中で幸福になる道を見つけるのは人間の義務だと思います。

swissinfo.ch : ところで、振付家としての創作の哲学は何でしょうか。

 島崎 : 僕の場合は音楽からインスピレーションを得る、音楽に反応するというか。外国で振り付けをやる場合は、出会ったダンサーからもインスピレーションを受けます。いわば、ダンサーは「それぞれに個性ある粘土」で、その材質に反応して形にする。そのため、良くできた作品は音楽やダンサーから「作らされた」と思うものが多いです。

それと、結局でき上がるものは自分以外のものではない。うそがなく自分が出るというか。そうした場合、作品のオリジナリティーは自分の生き方や考え方そのものからくるのだと思います。

そこには日本人だが10年以上も外国に住み、クリスマスを祝いマクドナルドも寿司も食べるという自分。外国の価値観や美的感覚もミックスされた、そうした自分が作品に投影されるとしたら、それが僕の表現だと思います。

ただ、西洋で振り付けした場合、西洋人に新鮮に映るのは僕の中の東洋的なもののようです。

swissinfo.ch : では、西洋での振り付けの場合、意図的に日本的なものを出そうとすることもありますか。

 島崎 : いえそれが意図的なことができないタイプで、こうゆう風にしようと思ってできない。だから最初からしない ( 笑 い ) 。先ほどい言ったように、音楽やダンサーに反応して、「こうなっちゃった」というのが僕のやり方で、その中に東洋的な僕が入っています。

しかし、 ( 深い所で ) 本当に目指しているのは「普遍的なもの」です。それはどの時代であろうと人間である故に響くもの、神に近いものというか、そういうものです。

実は、僕は今の非常に前衛的なものができるタイプではないのです。世の中のコンテンポラリーの傾向は暗い。それはヨーロッパから来たものだと思いますが。僕は生まれつきおおらかなせいか、育った時代のせいか、前衛的で冷たく暗い作品を見ると自分の中にはそういうものを生み出す確たるものがないと思っていました。

そうしたとき、高円宮殿下から「苦しみなどは体験者だけが強く感じるもの。だが、喜び、愛、幸福感などは万人に通じるもの。わたしは芸術というものは本来救済であるべきだと思う」と言われ、吹っ切れたというか、自分は喜びといった普遍的なものの表現を目指していいのだと思いました。

もともと、舞踊の起源とは喜びや感謝を神に捧げるようなものだった。そうした点が失われているのが現代の舞踊です。

swissinfo.ch : 最後に理想とするダンサーとはどういうタイプでしょうか。

 島崎  : 僕はコンテンポラリーの振付家なので、ものすごく高度なクラシックの技術を持ちながらも、そのクラシックの知識に縛られないダンサーが理想です。そういうダンサーはヨーロッパには沢山います。

オランダやフランスなど、ヨーロッパはコンテンポラリーとクラシックの境界線が( 良い意味で ) 曖昧で、こういうヨーロッパから出てくるダンサーは、コンテンポラリーもクラシックも何でもできるオールマイティーが多い。

結局、僕はクラシックが大好きで大切に思っています。しかし、費用の面でも観客の数でもクラシック上演を維持できるところは世界でも限られている。そうした場合、今後コンテンポラリーとクラシックの両方が共存していく形が理想であり、現実だと思っています。

クラシックダンスを学んだ後、1989年から1991年の間、カナダの「シッタ―スクール・オブ・ダンス ( Sitter School of Dance ) 」のバレエディレクターを務め、そのときに振り付けを始める。以来、ヨーロッパ、アメリカ、日本で振付家として多くの作品を創作。現在は神戸女学院大学の音楽学部音楽学科舞踏専攻の教授を務める。

作品は、ベルギーの「ロイヤル・フランダースバレエ ( Royal Flanders Ballet ) 」、オランダの「イントロダンス ( Introdans ) 」、アメリカの「ハバ―ト・ストリートダンス・シカゴ( Hubbard Street Dance Chicago) 」、スイスの「グランテアートル・ドゥ・ジュネーブ ( Grand Théâtre  de Genève  ) 」など、世界各地のバレエ団のレパートリーとして上演されている。

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