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時計技師が再び人気職業に

実習生のティファニー・ノブさんはスイス製の時計を着用しているセレブを見ると誇らしくなる swissinfo.ch

スイスの時計産業は昨年記録的な輸出額を達成した。その結果、時計学校への入学を希望する学生が増加している。

1970年代は不況に苦しんだスイスの時計産業だが、今では多くの若者や転職希望者の興味を引いている。

明らかな傾向

 「時計のムーブメントの動きは心臓の鼓動のようです」と時計製作を学んでいる38歳のイザベレ・ムシテリさんは語る。彼女は2007年にラ・ショー・ド・フォン(La Chaux-de-Fonds)にある時計博物館を訪れ、時計技師になることを決めた。

 「私は時計製作の伝統、技術、精密さに魅力を感じる」とムシテリさんは語る。「一番好きなのは、部品一式をすべて組み入れて新しい命が生まれるとき」

 ムシテリさんは時計技師になるという目標を達成するために、6年間の夜間クラスに通っている。現在は無職だが、時計技師の資格が取得できれば安定した職を得られるようなると期待している。学業を15歳で終えた後、主に販売員などのアルバイトを多く経験してきた。最近までは工業製品の品質管理の仕事に就いていた。

 ベルン州のトラムラン(Tramelan)の広域圏職業訓練センターの責任者アンドレ・マザリニ氏によれば、時計製作に関連する全ての科目で、職業や性別を問わず幅広い人気が集まっているが、性別によって多少傾向に違いが見られるという。

 「女性の場合、小売、サービス、ヘルスケアなどの分野における職歴があり、時計製作に必要な資格は何も持っていないケースが多い。こうした人たちは前職よりも給与が高く、勤務時間が一定している仕事を求めている」

 一方で、「転職を考えている男性は、すでに技術系の資格や職歴を持っていることが多い」とマザリニ氏は話す。

定員

 ビール/ビエンヌ(Biel/Bienne)の高等専門学校でも時計技師養成科は定員でいっぱいだ。数年前まで受講者はほんの少数しかいなかったが、現在は12人の定員を上回る応募があるため、入学希望者は適性試験を受けなければならない。

 「もっと教師がいれば生徒数を増やせるのだが、教師になれるような人材は高給を得られる時計メーカーへ行ってしまう」と教科主任のダニエル・ディエツ氏は言う。

 3年生を教えるレネ・マイヤ氏は、数年前まで時計製作の人気はがた落ちだったと言う。「1988年当時、私はポラントリュイ専門学校で時計製作を学んでいた唯一の実習生だった。私がいなかったら時計技師養成科は廃止されていただろう」

 アジア製の低価格のクオーツ時計が圧倒的な成功を収めた1970年代、スイスの時計業界では雇用が大幅に削減され、ビルの管理人、警察官、税関職員などに転職した時計技師が続出した。

 しかしその後、スイスの時計産業は転換期を迎えた。「回復が始まったのは機械式時計に再び人気が出てきた20年前だ」とスイス時計産業雇用主連盟(CP)のロマン・ガルシェ氏は語る。「ここ数年の間に実習生の数が着実に増えつつある。2008/09年の金融危機では少々伸び悩んだが、大した減少ではなかった」

 時計の最小部品を組み立てるマイクロメカニックなど、時計製作でも分野によっては現在もあまり人気がないものもある。しかし時計メーカーのグルーベル・フォーシィ(Greubel Forsey)の取締役エマニュエル・ヴイー氏は、希望者が少ない分野もあるが、現在では時計製作に関わる全分野が好調になったと語る。

名誉

 「時計業界で働くことは名誉になった。時計技師の地位は銀行員や教師よりも高く見られている」とヴイー氏は言う。

 しかし、これは時計技師の地位が社会的に向上しただけで、収入が増えたというわけではない。例えば、抜きんでた技術を持つ時計製作師は高収入を得られるが、それ以外の一般的な時計技師が実習終了後に受け取る初任給は、月額3500フラン(約31万5000円)から4000フラン(約36万円)程度だ。

 「時計業界の給与水準は特に高いわけではないが、有名メーカーの社会的な地位は魅力だ」とビール/ビエンヌで実習生を教えるジャン・マルク・マティ氏は語る。「若者が興味を持っているのは、専門的な職業における昇格や海外勤務、一流の製品を手掛けるチャンスなどの可能性だ」

 マイヤ氏の学生も同意する。自分たちがこの仕事を選んだ理由は、時計の精密さや質の高い仕事に対する情熱のほかに、きらびやかな世界につながることができる点にあると語る。「セレブがスイス製の時計を身に着けているのは誇らしい」と実習生のティファニー・ノブさんは言う。

 トマ・パレイさんは、ジャガー・ルクルト(Jaeger LeCoultre)やブレゲ(Breguet)のような時計メーカーで働いてもいいと考えている。「両社は精密で信頼のおける、美しいデザインの時計を作っています。時計はスイスの良いイメージを作り出している」

 ゴルギュン・セリムさんは「実習を始める前に興味があったのは時計の美しさや豪華さだけで、中身は全く気にしていなかった」と率直に語る。

 しかし外観や名声だけに注目している生徒ばかりではない。イザベレ・ムシテリさんのように、自分が製作した時計をいつかジョージ・クルーニーやミハエル・シューマッハが身に着けるかどうかなど全く気にしていない学生もいる。

時計製作の文化

 ジュラ山脈には時計の製作工房が多数あるが、高級時計のきらびやかさは見当たらない。きらめく高級時計よりもその部品を製造する時計技師の方が多いこの地方には、17世紀に移住してきたフランスの新教徒(カルヴァン派の信徒)の伝統が今も残っている。

 「時計製作の文化は、現在もこの土地の企業に強く根付いている。慎重さ、節度、厳密さなどは、手先の器用さなど技術的な才能と同じくらい重要だ」とマザリニ氏は説明する。

 この伝統は養成訓練にも根付いており、訓練方法は過去100年間ほとんど変わっていない。見習い1年目では、部品の組み立て、加工、旋盤などの作業はすべて手作業で行われる。

 時計技師が将来職探しに困ることはおそらくないとみられているが、関係者は依然として慎重だ。1930年代と1970年代にスイスの時計産業を襲った危機は単に時計技師の技量に対する挑戦ではなかった。当時の打撃は現在も彼らの心に影を残している。「不安は完全に消えていない。時計産業に携わる人間は今も用心している」とガルシェ氏は語る。

 スイス時計業界は、時計技師を目指す学生を大量に受け入れるつもりも、商品の質を落とすつもりもない。「それは自殺行為だ。中国の時計メーカーがすでに高品質の部品を作っている。生き残るためには高い技術を持った技師を保持しなければならない」とマティ氏は言う。

 また、ヴイー氏も「機械式時計の人気がなくなることはない。しかし量産は質の低下につながる」と明言した。

2011年にスイスの時計学校に入学した生徒の数は425人と前年比で9%増となった。また、全課程を終えた実習生の数は330人と10年前の2倍に相当する。

時計学校に入学する35%以上の学生が学校で理論を学ぶかたわら、企業で実習を行う。  

時計産業は1870年に専門学校への出資を始めた。そのため、時計技師の訓練は伝統的に、企業ではなく学校で多く行われてきた。

  

時計技師の資格は取れないが、時計産業のほかの分野なら働けるという学生に向けた資格取得コースを設けている学校もある。

スイスの時計産業は、機械産業と化学産業に次いで第3位の輸出産業。

時計メーカーの大半は、ヌーシャテル、ベルン、ジュネーブ、ソロトゥルン、ジュラ、ヴォーなどの州に位置する。

スイスの時計産業は、1960年代末期に最盛期を迎えた。当時は約1500社に約9万人が働いていた。

1970年代初頭には、アジア製のクオーツ製時計が市場を席巻し、スイスの時計メーカーは最大の危機に直面した。

  

1980年代中期までに、時計メーカーの数は500~600社に減少し、社員の数も約3万人にまで落ち込んだ。

  

1980年代中盤までに時計産業は二つの段階を経て回復した。まず、スウォッチ(Swatch)のような大量生産型の商品がヒットし、次に高級時計への需要が伸びたことが回復をもたらした。2000年には575社に3万7000人、2008年には5万3300人の雇用があった。しかし翌年には金融危機のため4000人が失業した。

(英語からの翻訳・編集、笠原浩美)

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