スイスの視点を10言語で

異文化の触れあうグラウビュンデン州、そしてドムレシュク谷

シルスからトゥージスを臨む。印象的な形の山はピッツ・ベヴェリン。 swissinfo.ch

私の住むのはグラウビュンデン(Graubünden)州のシルス。といっても、ニーチェやヘッセが愛したことでも有名なエンガディンのシルス(Sils i.E.)ではない。ドムレシュク谷のシルス(Sils im Domleschg)である。州都クール(Chur)から車に乗って二十分ほどで着く小さな村で、観光案内書に記載されることはまずない。けれど、この地域、そしてグラウビュンデン州は長い歴史とスイスらしさの詰まった特別な地域。今回からブログに参加させていただく挨拶代わりに私の住む地域を紹介させてもらおう。

 グラウビュンデン州はスイスでもっとも広い面積を持つ州で、「スイスの中のもうひとつのスイス」といってもよく、スイスの4つの公用語のうち、3つの言語を話す地域を含んでいる。ドイツ語、イタリア語、そしてロマンシュ語である。アルプスの山々の中にある100以上ある谷で、それぞれの文化が花開き、それを共存させてきたところは、ちょうどスイスが連邦としてのひとつの国家でありながら、言語や文化の独自性をカントン(州)やゲマインデ(地方自治体)単位で尊重し共存させ続けているのと通じるものがある。私の村ではドイツ語が話されているが、かつてはロマンシュ語の地域だったため地名に多くのロマンシュ語が残っている。隣町トゥージス(Thusis)で買い物をすれば、売り子達がドイツ語とイタリア語、そして時にはロマンシュ語に切り替えて接客するのを耳にすることができる。そう、ここは文化の交流地。移民が増えた近年だけの話ではない。グラウビュンデン州、そして我がドムレシュク谷は先史時代から異文化の触れあう場所だったのだ。

swissinfo.ch

 秘密はその立地にある。トゥージスとその周辺地域は、北はクール経由で北ヨーロッパへ、南はサン・ベルナルディーノ峠やシュプリューゲン峠経由でイタリアへ、また東はアルブラ峠またはジュリア峠を通ってエンガディンへと抜ける交通の要所。先史時代の火打石にはじまる多くの貿易の舞台となり、今でもドイツやイタリアのトラックが忙しく行き来している。ローマ帝国はこの地を治めるためにクールを建設し、そして歴代の領主達は競って交通税を徴収した。そのためにドムレシュク谷は規模に較べてやたらと城塞の多いことでも有名である。

swissinfo.ch

 たくさんの廃墟の他に、未だに使われているかわいいサイズのお城もいくつもあるが、特筆すべきはシルスの隣にあるフュルステンアウ市(Fürstenau)にあるシャウエンシュタイン城(Schloss Schauenstein)。都市権があるため「世界で一番小さい都市」ということになってはいるが、とても都市という規模ではないゲマインデにあるこの城が一躍有名になったのは、スイスで過去最高のゴー・ミヨー19点を獲得したスターシェフ、アンドレアス・カミナダ(Andreas Caminada)が腕を振るっているから。数ヶ月先まで予約の取れないホテル・レストランとして有名だが、カミナダ氏はとても氣さくで、挨拶をすると笑顔で答えてくれる。

swissinfo.ch

 私は、この地にやって来て十年になる。来た当初こそは有名なエンガディンのシルスでなかったことにがっかりしたが、今ではのどかなドムレシュク谷がとても好きになった。忙しい日本の観光客の皆さんがわざわざ足を伸ばすことはほとんどない場所だが、世界遺産でもあるレーティッシュ鉄道(Rhätische Bahn)で通る時には、ぜひ興味深いこの地域とその歴史に思いを馳せてほしいと思う。

ソリーヴァ江口葵

東京都出身。2001年よりグラウビュンデン州ドムレシュク谷のシルス村に在住。夫と二人暮らしで、職業はプログラマー。趣味は旅行と音楽鑑賞。自然が好きで、静かな田舎の村暮らしを楽しんでいます。

swissinfo.chの記者との意見交換は、こちらからアクセスしてください。

他のトピックを議論したい、あるいは記事の誤記に関しては、japanese@swissinfo.ch までご連絡ください。

SWI swissinfo.ch スイス公共放送協会の国際部

SWI swissinfo.ch スイス公共放送協会の国際部