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私は色彩の画家だ

チュニジアの家を描いた「赤と黄色の家」(Zentrum Paul Klee) Zentrum Paul Klee

パウル・クレーの色彩へのアプローチは、経験的なものと、内なる感情表現としてのものと2つの側面がある。

経験による色彩アプローチは、ゲーテを含む様々な芸術家や科学者についての彼独自の研究が基本となっている。感情が色彩に影響するのは、ずっと後になってからだ。ターニング・ポイントとなったのは、アフリカのチュニジア旅行である。

この旅行で、クレーは日記にこう書いている。「色彩が私を捕えた・・・色彩と私は1つになった。私は色彩の画家だ」

 1920年代初旬に彼がバウハウスで教鞭を取る頃には、色彩は彼にとって重要な主題となっていた。彼は授業中にこのような言葉を残している。「色同士はただ置けば自然に和音を奏でるわけではない・・・しかし3つのパートに分ければハーモニーは可能だ」「驚くべきことは、赤と赤を全く加えない色との相違の大きさだ!」

 音楽家の両親に生まれ、ピアニストの妻を持ち、彼自身も才能豊かなバイオリニストであったため、クレーの授業や理論書の端々に「ポリフォニー(多声音楽)」や「色の和音」、「音符」というような音楽用語が出てきても無理のないことだった。

色彩の発見

 パウル・クレーが芸術家として仕事を始めた頃は、銅版画や線描画などの制作の方が多く、絵を描いたとしても色の数は限られていた。当時の彼の水彩画を見ると、感情の共鳴を表現する手段として色彩を使うというより、単に技術的な色の明暗具合に興味を持っていたことがわかる。

 歴史家マイケル・バウムガルトナー氏は語る。「パウル・クレーは、彼が『色彩を発見した』と感動を持って日記に記すまでは、色の全体的なトーンに力を注いでいました。その頃は、赤や茶色、どんよりした緑などが彼の絵の中で中心的な色でした」

 1913年から1914年にかけて、彼のパレットに生きる色は大きく躍動した。

 「赤、黄色、青が新しく重要な役割を持つようになりました。そしてこれに対応する補色も同じくらい生き生きと活躍し始めます。まるで今までの色彩感覚から言えば、1つの端から反対側の端へ振り子が大きく揺れたようでした」

クレーを迎えた強い光

 色に関して、クレーに非常に強い影響を与えたのは、フランスの抽象画家、ロベール・ドローネーである。クレーは1913年、ドローネーが書いた「光」という論文を翻訳している。

 それからあまり時を置かずに、クレーはアフリカ、チュニジアに旅をした。そこで彼は強烈な色彩の大群に取り囲まれる。南の国の強い太陽の下で実感したこの経験は、彼のその後の作品に決定的な変化をもたらした。

 チュニジアから帰ると、クレーはドローネーの助言に従って、深い瞑想生活をおくる。これは自分の中で体験をふつふつと発酵させ、他に類を見ない絵画表現の誕生に結びついていく。

虹を見よ

 ドローネーはクレーに、色彩のスペクトルという光学的な事についても多くの助言をした。

 このような思索を通してクレーが残した言葉がある。「虹はすべての色の結晶だ。すべての色が作用、反作用しながらそれぞれ自在に組み合わせられているのだ」

 彼が理論的に油絵のテクニックに精通した後に、この感覚的な「色彩の発見」が成されたことは興味深い。クレーの作品はますます抽象化し、形式を離れてより自由な表現になっていく。

 クレーは、このダイナミックな動きを持った絵画手法と同時に、人間1個の存在と宇宙的エネルギーの関係に価値を見出し始めた。必然的にこれらがクレーの絵に表現されていく。また、彼は個人的な状況や経験からインスピレーションを得て、それぞれの絵に題名を付けた。

 数年後、クレーはこれら発見を基にして、自由な表現法としてロマン派の概念を作り上げた。これは従来の古典主義に完全に対立するものとなった。

芸術家の顔と学者の顔

 色彩に関して分析すると、モダン・アートに対してクレーは芸術家と学者という、2つの顔を持って貢献している。彼は本能的・感情的に色を使うのと同時に、理論的に編み出された方法論にのっとって色を使った。

 歴史家バウムガルトナー氏は語る。「クレーは、ロベール・ドローネーの光と色の理論を非常に個人的な方法で解釈しました。理論を彼自身の生き生きとした詩情に昇華したのです。しかしそれだけでは終わらず、クレーは色彩の幅を広げるため、赤と緑などの相反する色同士や、暖色と寒色を組み合わせるなど、アカデミックな法則にのっとった実験も行いました。  


swissinfo ラファエラ・ロッセロ、 遊佐弘美(ゆさひろみ)意訳

1911年から1914年の間にパウル・クレーは芸術家として名前が売れ始めた
1911年、クレーは「青い騎士団」という芸術家グループに参加する。
1912年、パリでロベール・ドローネーと知り合い、彼の色彩の実験に影響を受ける。
1914年のチュニジア旅行でアフリカの風景を彩る色彩に強烈な印象を受ける。

-1914年、クレーはアウグスト・マッケとルイス・モイリエら芸術家とともにしたチュニジア旅行で鮮やかなアフリカの色彩に衝撃を受けた。

-この旅行以来、クレーの絵は明るいトーンに変わり、幾何学模様も用い始めた。

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