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アドレナリン・ビジネス

滝に飛び込んでしばらくしてから、この「魚」はぶるぶるっと顔を出し、頭をくらくらさせながら、次のジャンプへ

身一つで急流を滑り降り、川を下る観光客や、インターラーケンのリゾート地を訪れる観光客の数は年々増えている。

ヨーロッパのアドベンチャーの中心地に、ちょっとした流行が起きている。比較的安全なことは言うまでもないが、血も凍るような絶叫やアドレナリンの放出に使われるのは、バンジー・コードやパラシュートやヘルメットだ。

アドレナリン・ビジネス

 旅行者が体験型の観光にかなりの金額を使っているのは、ほぼ間違いない。ヨーロッパ大陸有数の素晴らしい眺望、絶え間ない外国人訪問客、積極的な地元の推進組織も、インターラーケン ( Interlaken ) の評判に一役買っている。

 インターラーケンのホテル経営者、ホステル経営者、アドベンチャー会社は、過去10年間にわたり、スイスのほかの地域との差別化に精力的に取り組んできた。
「長い間、インターラーケンはありふれた場所でした」
 と、インターラーケン観光局広報課のスザンネ・ダクセルホファー氏は言う。彼女はインターラーケンを担当するほか、マーケティングパートナーとして、ベルナーオーバーラント地方にあるほかの村とも付き合いがある。
「アドベンチャーは戦略の1つです。ここ数年、需要が非常に伸びていて、実際にかなりの成果をあげています」

 マウンテンバイキング、パラグライディング、スカイダイビング、キャニオニング、バンジージャンプといったスポーツが、ヨーロッパやほかの地域から訪れる冒険好きの旅行者を多く引き付けている。サンダルにリュックサック姿の北米出身の大学生たちが、夏休みを過ごしに来たり、または、社会人になる前の最後の楽しみとしてヨーロッパを旅行する途中に立ち寄ったりするが、そのほか、インターラーケンにはアジアからの旅行者が増えている。

アジアの冒険者

 「インターラーケンのアジア市場は実に強く、長い歴史があります。特に韓国人が多く、彼らはアドベンチャースポーツが好きです」
 とダクセルホファー氏は言う。夏の間に、インターラーケンにある2つの駅のうちの1つから名高いビクトリア・ユングフラウ・ホテルまでの範囲を、どこでもいいから歩いてみれば、彼女の言うことがよく分かる。ドイツ、日本、イギリスのような常連国のほか、インドや中東地域からも観光客が多く訪れると、ダクセルホファー氏は言う。

 ニュージーランド出身で、スイスのアドベンチャー観光部門に13年間携わっているジュリー・パターソン氏によれば、国ごとに好みも違うという。
「インド人はパラグライディングとラフティングが好きで、韓国人はバンジージャンプが好きです。大半の人が休暇を取る7月と8月が、わたしたちのシーズンです」
 と、インターラーケンにある大手アドベンチャー会社の1つ「アルピン・ラフト ( Alpin Raft ) 」の経営者であるパターソン氏は言う。

 インターラーケンには華やかな行楽客を魅了してきた長い歴史があり、5つ星ホテルは2軒ある。かの英国諜報部員ジェームス・ボンドも、映画「女王陛下の007 ( On Her Majesty’s Secret Service ) 」( 1969年 ) の中で、近郊のシルトホルン山頂で一時的に幽閉された。彼はその後、豪華とスリルを観客にたっぷり味あわせながら、ドラマチックにスキーで脱出した。

 近頃、ジェームス・ボンドほど人目を忍ばなくてもいい旅行者の好みに、変化がみられる。彼らの多くは、高級ホテルを避け、その代わりにアドベンチャーにお金をかけている。

観光客の支出傾向

 「顧客には大学生が多いので、パッケージツアーはとても重要です。学生は少しでも節約しようとします。また、これは文化的なことですが、インド人はいつも値段の交渉をします。韓国人も同様です。彼らはディスカウントが好きです」
 とパターソン氏は言う。

 「安く食事をするために、市場に行きます」
 と言うのは、カナダで医学部を卒業した25歳のトレバーさんだ。彼と旅仲間のブリンさんは、ヨーロッパ3カ国を巡る3週間の旅の滞在先に、スイスを選んだ。2人の旅の予算は約6000ドル ( 約64万9000円 ) で、パラグライディングをする計画があるという。
「パラグライディングのようなものには、出費を惜しみません」

 観光局によると、バックパッカーは1日平均153フラン ( 約1万5800円 ) を、食費、宿泊費、観光費に当てているという。これは、3つ星ホテルの宿泊客の支出と同額だ。2000年以降、インターラーケンに滞在するバックパッカーの数は確実に伸びている。8年前は、およそ5万9000人が同地域のホステルに宿泊していたが、2007年には総宿泊数およそ80万泊、10万人から12万人の宿泊客が訪れた。これからも観光客の数は伸びると観光局はみている。また、この傾向が今すぐ変わることはないだろうと、パターソン氏は言う。
「インターラーケンは変わった場所です。戦争が起きても、鳥インフルエンザが流行っても、ドルが弱くなっても、ここには関係ないのです。どんな時でも人が訪れます。観光業に大不況があったためしがありません」

swissinfo、ジャスティン・へーネ インターラーケンにて 中村友紀 ( なかむら ゆき ) 訳

ベルナーオーバーラント地方のブリエンツ湖とトゥーン湖の間に位置する。
スイスで最も古く、最も有名な観光地。
インターラーケンの歴史は、アウグスティヌス修道院の創設に始まり、1133年に最初の文書記録がある。
アーレ川を背に、海抜570メートルにある人口5700人の町。
インターラーケンという名前は、「湖の間」という地理的な立地を意味するラテン語の「inter lacus」に由来し、1891年に地元議会が旧名「アーレミューレ ( Aaremühle ) 」を改名した。
隣接する町ウンターゼーン ( Unterseen ) も同じ意味だが、1050年頃から1330年頃まで話されていた中高ドイツ語の単語だ。

1999年にベルナーオーバーラント地方で起き、死者21人 ( うち14人はオーストラリア人 ) を出したキャニオニングの事故を受け、スイスはアドベンチャースポーツに対し厳しい規制をおこなっている。
事故は、渓谷に発生した突然の増水が原因で、グループの数人が押し流され死亡した。
現在、インターラーケンの2大アドベンチャー会社を含む企業30社が、安全性の管理監督を目的とした規約「アドベンチャーにおける安全性 ( Safety in Adventure ) 」に同意し、観光局、政府機関、保険会社、企業団体も加わっている。

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SWI swissinfo.ch スイス公共放送協会の国際部

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