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心から敵対 複雑に絡み合う日韓関係

2002年サッカーワールドカップの日韓合同サポーター
2002年の日韓共催サッカー・ワールドカップは2国間関係の改善を世界に印象付けたが… Keystone

日本と韓国の間には、自然な同盟関係を築くだけの政治的、経済的、文化的要素が数多くある。米国との同盟関係や北朝鮮・中国のもたらす脅威もそれに含まれる。だがそれでも、哀しい歴史が友好関係の深まりを妨げている。

筆者のレオポルト・フェダマイアー氏はオーストリアの作家兼翻訳家。16年間日本に住み、広島大で教鞭を取った。昨年「Tokyo Fragments外部リンク(仮訳:東京の断片)」を出版。 

※本記事はドイツ語圏の日刊紙NZZに掲載された寄稿外部リンクの転載・翻訳です。

安倍晋三首相は、ドナルド・トランプ米大統領と非常に頻繁に会談し、北朝鮮指導部や北朝鮮と交わした約束への信頼度に関して自国が抱える懸念を定期的に伝えている。金正恩氏との会談の後、トランプ氏は北朝鮮の独裁者を「面白く」「賢い」と評価し、金氏が北朝鮮国民に注ぐ愛に太鼓判を打った。両氏の接近や南北朝鮮間の意思疎通は、東南アジアの政治的発展に対する日本の影響を弱めると思われる。

北朝鮮が真剣に非武装化し経済制裁が撤回され、分裂した南北の統一に向けた現実的な視界が開ければ、戦後体制を根本的に変えようとする日本の政治的な流れは、内政問題から目を背けるような仮想敵国を失うことになる。

しかし金正恩氏を信頼しすぎることへの安倍氏の警告は的を射ているかもしれない。北朝鮮のロケットが昨今日本海に沈んだり日本上空を飛び越えたりしたことは、人々の記憶に鮮明に刻まれている。また1977~83年に北朝鮮の諜報機関に拉致された日本人の存在は、日本人にとって怒りの源となっている。平壌の「小さなロケットマン」が世界政治の「素敵な賢人」に昇格すれば、日本人の心は深く傷つけられるかもしれない。

過去の障壁

国際政治の小競り合いや駆け引きの背後には、極めて複雑に絡み合った日韓関係がある。日本は20世紀初頭、(東アジアをヨーロッパの植民地から守るという口実で)朝鮮半島を併合。その後さまざまなアジア文化産業が相互に影響し合い、2002年にようやくサッカー・ワールドカップの日韓共催にこぎつけた。

日本で歴史処理問題は今日も難しい課題だ。戦略的に考えると、日本は自らの罪を渋々認めているという印象を得ることが多い。他方、日本の政府当局者や天皇が、中国にも韓国にも度々戦争犯罪について謝罪したことや、1972年に明示的に放棄した中国を除く多くのアジア諸国で賠償金が支払われたことも否定できない事実だ。特段敏感な問題は、いわゆる「慰安婦」、第二次世界大戦中に集団での売春を強制された韓国人女性たちだ。2011年にはよりによって韓国・ソウルにある日本大使館の前にこうした女性たちの記念碑が建てられた。

20世紀前半には多くの朝鮮人が日本にやってきた。多くは強制労働者だった。その子孫は日本全国で約100万人おり、「Zainichi」と呼ばれている。日本で生まれた人も多く、「民族としての日本人」と外見上は区別できないが、民族としては韓国人として扱われる。

Kポップと韓国ドラマ

冷戦期に始まった朝鮮半島の分裂はやがて激しい戦争につながり、今なお続く。日本にもその名残がある。例えば日本には北朝鮮学校も韓国学校もあるが、互いが相手を認識することはない。日本国民の間には南北両国に対する怨恨が広がる。見当もつかないほど多くの日本国民が定期的に訪れるパチンコホールの大半を韓国人所有しているということすら、怨恨のとるにたらない理由になる。実際、この賭博天国―または地獄―が質素な日本人を身ぐるみはがすこともあるが、自由時間に強制的に行かされているわけではない。

2011年8月には、東京のフジテレビ本館の前で数百人の日本人がデモに参加した。大都市にしては大人数とは言えないが、極めて意義深い出来事だった。この国では何事も丁寧な婉曲表現に言い換えられ、怨恨や政治的な偏見が公共の場で叫ばれることはめったにないためだ。激しい怒りの原因は、同局が放送する韓国ドラマが多すぎるということだった。フジテレビは民族的や文化的な理由で番組を選んでいたわけではなく、経済的な理由だった。だがデモ参加者はそれを異国人や、極右によって一緒くたにされた異物に対する嫌悪を発散する機会に利用した。

文化的な視点では、日本と韓国の「ドラマ」にそれほど大きな違いはない。大半は多かれ少なかれ感傷的なラブストーリーだ。こうした番組は後に「韓流」と呼ばれ、韓国大衆文化として流行した。それは1987年に独裁政権が終わりを告げ、自由化・景気回復を背景に発達したポップ産業の波だった。1960~70年代に幅広いポップカルチャーが発展した日本と同じ道のりだ。ただ日本の漫画を韓国人俳優でドラマ化したり、あらゆるポップスに日本語を取り込んだりと、はっきりとした独自色を加えた。過去15年でKポップや韓国ドラマが日本で成功を収めたのは回顧現象の要素を含んでいる。

謝罪文化

戦争犯罪に対する公式の謝罪に対し、日本は韓国(と中国)側から真剣さが足りないと繰り返し批判された。事実、日本には、重大案件だろうが些末なことだろうがふさわしいお詫びの決まり文句を並び立てる、という謝罪の文化ないし無節操が深く根付く。謝罪はインフレを起こし、お詫びの言葉の価値は低い。確かに詫びるのだが、重みはないのだ。それは私がヨーロッパ人として感じていることで、東アジアの隣国でも似たような捉え方がされている。

しかしこの文化にも敬意を払うほかに選択肢はない。それに、我々の謝罪文化も形式以上のものだと言い切れるわけではない。他人がどれだけ本気で誓っているか、誰が確実に断言できるだろうか?もちろん誓いの言葉に続く行動でその本気度を確認(または否定)することができるし、行動で判断を下すのは正しい。だからこそ日本側は公式な言明以外に数多くの努力を尽くしてきた。それを公然と非難することは、意思疎通プロセスを妨害する狙いでしかないことが多い。謝罪、不信、そして新たな謝罪というスパイラルを抜け出すかどうかが問題だ。

特に若い世代は、そういった些細なことをあまり気にかけない。単に好みに合うという理由でKポップやJポップが好きで、漫画を読み「ドラマ」を観る。そこに歴史は関係ない。文化産業の持つエネルギーが、遅かれ早かれ民族・国家的なわだかまりを解消するだろう。

そうした時代がいつ来るかは予見できない。政治的な含意と利害関係が強すぎ、日韓関係の重荷になっているためだ。(いずれにせよあいまいな概念の)「戦争権」の放棄を定めた日本国憲法第9条の改正が、さらなる和解を意味するのかどうかは疑問だ。トランプ大統領が、王朝内の粛清に全く躊躇しない北朝鮮の独裁者と大々的に協力することが、この地域の恒久平和にとって本当に有益かどうかも引けを取らずに怪しい。

(独語からの翻訳・ムートゥ朋子)

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