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外国人労働者の受け入れ、「実用主義」の見えるスイス

駅で出発を待つイタリアからの季節労働者(1956年)。数十年の間、季節労働者はスイスで9カ月働き3カ月帰国するという生活をしなければならなかった RDB

外国人労働者数の制限を求めた「大量移民反対イニシアチブ」が国民投票で可決されて2年以上が経過した。労働者の自由な移動を定めた欧州連合(EU)との合意の中で、国民の決定をどう実現するかをめぐりスイスは行き詰まっている。「役に立つ外国人」を「良い外国人」とみなしてきたスイスの、移民政策の歴史を振り返った。

 移民は近代スイスの形成に大きく貢献してきた。1914年にはすでに人口の15%を占め、一部の銀行家や事業経営者を除いた大半は、農地や工場、鉄道網などの建設現場で働く外国人労働者だった。主にフランス、ドイツ、イタリアからの移民が多く、第1次世界大戦時にはスイス国内でドイツ支持派とフランス支持派の緊張が高まったこともあった。だがその後経済危機が訪れると、外国人の過剰感が高まり、移民は国をまとめる上で障害になるとみなされるようになっていった。

 そのような中で政府は、1931年に初の移民法を制定する。著書「L’immigration en Suisse, 60 and d’entreouverture(スイスの移民政策、門戸が半分開かれた60年)」(2013年)を執筆したヌーシャテル大学のエティエンヌ・ピゲ教授外部リンク(人文地理学)は「当時の移民法が、外国人はこの国に一時的にしか滞在できないという考えに基づいているのは明らかだった。『季節労働者』という区分の滞在許可が生まれたのもその考えからだ」と話す。

 第2次世界大戦直後、労働力を必要としたスイスは移民を積極的に受け入れたが、経済が停滞し需要が減り始めると移民流入を制限。こうして1963年に初めて、州ごとの季節労働者数に上限が設けられた。

移民融合への長い道

 「間借り労働者」「外国人労働者」。移民たちはそう呼ばれた。イタリア出身者が多かったが、労働力として歓迎されたものの、それ以上は期待されていなかった。だがそれに納得しなかったイタリアはスイス政府に圧力をかけ、1964年、スイスはイタリア人労働者に5年の季節労働を経れば一時的滞在から通年滞在への更新、さらに家族の呼びよせを許可した。

 同年には、初めて移民制限を求めるイニシアチブ(国民発議)が提起された(国民投票前に撤回)。1970年には外国人を人口の1割に制限するよう求める「シュヴァルツェンバッハ・イニシアチブ」(反対54%で否決)、続いて74年、77年にも移民制限のイニシアチブが国民投票にかけられている(いずれも大差で否決)。

 移民問題に詳しいジュネーブ大学のサンドロ・カタチン教授外部リンク(社会学)は、「そのころは、外国人労働者がいつかは自国に戻る人たちではなくスイス社会の一部だということが認識され始めており、それが、移民をスイス社会に融合しようという取り組みの出発点になった」と言う。スイス政府は同時期に、連邦外国人委員会を創設し移民の融合と迅速な帰化の促進に努めた。

 70年代の外国人排斥の動きのあとには左派が、季節労働者という滞在許可区分に人道的な問題があるとして、その廃止を求めたイニシアチブを立ち上げたが、81年に反対84%で否決された。季節労働者という区分の滞在許可証が廃止されたのは、EUと労働者の自由な移動を定める2002年の二国間協定が発効してからだった。ちなみにその後85年、93年、95年の3回にわたりスイス国民は、移民の制限を求めたイニシアチブを否決している。

「半分だけ開かれた門戸」

 「確かにそれまで、移民を制限しようとするイニシアチブは一つも可決されなかった」と前出のピゲ教授は言う。「だからといって移民を支持するイニシアチブが可決されたこともない。スイスは移民を必要とし、経済的理由からその多くを受け入れてきた。だが一方で、常に制限しようともしてきた。私が、移民に対するスイスの態度を『半分だけ開かれた門戸』と例えるのはそのためだ」

 今日スイスの多くの町で移民が受け入れられている中で、いまだに外国人に対し抵抗感を示す人がいるのも事実だというのはカタチン教授だ。だが、外国人排斥の理由はここ数十年で変化しているという。「今日では、外国人嫌いの原因は文化や考え方の違いだが、60~70年代はスイスの良さを守ろうとした、理想を求めるような自然な感情からきたものだった。当時のスイスは、ちょうど今の東欧諸国のように急速に都市開発などが進んだ時期でもある。物事の進むスピードが速すぎると、人々は考えの方向付けに迷い、保守的な反応が呼び覚まされるものだ」

移民制限イニシアチブ初めての可決

 では、2014年2月9日の国民投票結果をどう見るべきなのだろう?スイス国民はこの日、右派・国民党の「大量移民反対イニシアチブ」を僅差で可決。労働者の移動の自由を定めたEUとの二国間協定とは相容れない決定だ。

 「この結果はとても興味深かった」とカタチン教授は言う。「なぜなら、それより以前の外国人排斥色のさらに強いイニシアチブは、どれも国民投票でほぼ賛成4割・反対6割で否決されていたからだ。だが約2割の有権者は、自分の生活と財布に影響がなければいつでも外国人嫌いに変わる用意がある。ミナレット(イスラム寺院の尖塔)の建設禁止が可決されたのはその一つの例だ。ブルカ(イスラム教徒の女性が着用する顔全体を覆うベール)の着用禁止に関する投票でも同様の結果が見られるのではないか」

 そしてカタチン教授はこう続けた。「大量移民反対イニシアチブは、経済に大きな影響を与えるにもかかわらず、(本来外国人嫌いでもない)2割の有権者の支持を取り付けた。これは、実際には何について投票しているのか良く理解できないまま投票した有権者の混乱が原因だ。ティチーノ州の緑の党でさえ環境保護の観点からこのイニシアチブを支持していた。こうした結果、イニシアチブが可決されてしまい、スイスは今EUとの関係で厳しい立場に置かれている。そして、それをどう解決するかの糸口は見えていない」 

移民の国スイス

過去60年間でスイスに来た移民は推定600万人以上。その多くは帰国したが、人口に対する移民数ではスイスは継続的に他国を上回っている。2014年末、スイスの人口820万人に対する外国人は200万人外部リンク

連邦統計局によるとスイス在住の外国人の大半は欧州出身で、イタリア(15.3%)、ドイツ(14.9%)、ポルトガル(13.1%)、フランス(5.8%)。

労働者の自由な移動に関するEUとの合意後に、スイスに来た欧州出身者の大半は高資格者だが、より資格の低い建設業や観光業、医療施設などで働く人も多い。経済協力開発機構(OECD)によると、2005~09年スイスの人口1千人に対する外国人は16.5人となり、ヨルダンやレバノンのような湾岸諸国の難民受け入れ大国やシンガポールなどの都市国家を除けば、移民の多い国の上位にランクインしている。

出典:「Immigration et intégration en Suisse depuis 1945: les grandes tendances(1945年以降スイスへの移民流入と融合、その動向)」著者エティエンヌ・ピゲ、ヌーシャテル大学/連邦統計局

(仏語からの翻訳・編集 由比かおり)

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