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スイスの音楽


スイスのポップミュージック お金とクレイジーさのはざまで




チューリヒ発のテクノポップ・グループ「イエロー」のボリス・ブランク(左)とディーター・マイヤー(メイヤー)、1991年 (Museum für Kommunikation bern)

チューリヒ発のテクノポップ・グループ「イエロー」のボリス・ブランク(左)とディーター・マイヤー(メイヤー)、1991年

(Museum für Kommunikation bern)

スイスのポップミュージックのパイオニアと言えば?そう尋ねれば決まって返ってくる答えは、テクノポップ・グループ「イエロー(Yello)」とポスト・インダストリアル・バンド「ヤング・ゴッズ(The Young Gods)」だろう。だが、今同じような成功を目指すバンドには、音楽業界の不振という問題がたちはだかる。

 ベルン旧市街の地下にある店で、レコードプレーヤーから1920年代のブルースが流れている。天井からぶら下がっているのは、ロックンロールのスローガンが書かれた女性用のパンティー。聖書、ブリルクリーム(整髪料)の瓶、Tシャツの棚、レコードの山が同じ空間にひしめき合う。スイス音楽界の起業家の1人、レヴェランド・ビートマンさんの世界にようこそ。

 ブルース・トラッシュ歌手ビートマンさんは、10代の頃に海賊版カセットのレーベルを経営し、その後92年にレーベル「ヴードゥー・リズム・レコード」を設立した。一風変わった自分の音楽を世に出すことは難しく、他のバンドも同じ問題を抱えていたためだ。

 設立以来、同レーベルはスイス内外を問わず何百ものミュージシャンの作品をリリースしてきた。「レコードを100万枚ほど売ったと思う。多いようだが、まだ本当に小さなレーベルだ」

 46歳のビートマンさんは、レーベル経営の傍ら自分の音楽活動も行っている。サイコビリーとガレージ・パンクを融合させた全く新しいジャンルを創造したと評価されたこともある。ユーチューブや音楽ストリーミングサービス「スポティファイ」のおかげで外国で有名になり、定期的にツアーに行く。音楽ストリーミングが盛んになりアルバムの売り上げが落ちている今、ミュージシャンとしての主な収入源はツアーだ。

 「今は、商品とは何なのかがわからなくなってしまっている時代だ。全てがデジタル化され、実際に触れなくなってしまったからだ。お客さんがライブに来て、バンドが商品を販売しているのを見る。それで、これって商品だったんだ、家に持って帰ってずっと手元に置いておけるんだと驚く。デジタルならコンピューターがクラッシュしたら終わりだ。レーベルとしては、なかなかわかってもらえなくて辛いところだが」

 今の時代に並大抵の神経では音楽をやっていけないとビートマンさんは認める。駆け出しの頃は何年も「トイレの床で寝て」、出演料はスズメの涙だった。10〜15年経ってようやく、まともな額の出演料がもらえるようになった。

 スイスのバンドの多くは別に昼間の仕事をしている。「大きな問題は、スイスでは別の仕事で大金を稼げるということだ。月給1万フラン(約129万円)を稼げる仕事はいくらでもあるが、ミュージシャンだと2千フランくらいだ。家賃が例えば1500フランだとする。すると生活費は500フランになる。そこまでやろうとするスイスのミュージシャンは少ない。もっと楽な生活をしたいと思うのだろう」

エリートの音楽?

 ダニエル・フォンタナさんは、スイスの音楽シーンを何十年も熱く見守ってきた。フォンタナさんの経営するライブハウス「バッド・ボン」は、どの町からも遠い、農場に囲まれた田舎にある。スイスと外国のミュージシャンが半々のライブを見に、熱心なファンがはるばるやってくる。

 フォンタナさんにとって、現代ポップミュージックはスイスでは「エリートのもの」だ。「音楽界にはあまり労働者階級出身者がいない。若いバンドのメンバーにもほとんどいない」

 フォンタナさんの見るところ、バンドが成長しない理由は二つある。現状に満足していて、スイス国内であちこち回ったり国外に出たりする意欲が足りないか、早く有名になりたいと非現実的な夢を見て高い出演料を要求し、状況が厳しくなると諦めてしまうかだ。

 「良い音楽を生み出すにはクレイジーな人間が必要だ。大半はクレイジーさが足りない」

 スイスから世界へ出て行ったイエローヤング・ゴッズは実験的バンドとして活動を開始し、最初は有名になることにこだわっていなかったとフォンタナさんは指摘する。

 フォンタナさんは昨年、第1回スイス音楽大賞の選考委員の1人としてこの国のトップ・ミュージシャンを選ぶよう依頼を受けた。最終候補には、クラシック、フォーク、実験音楽などの15人のミュージシャンが残った。政府からの賞金10万フランを獲得したのは、ヤング・ゴッズのリーダー、フランツ・トライヒラーさんだった。30年間にわたる音楽・アート分野での先駆的な活動が評価された。

 「私にとっては、人生と音楽が一致しているミュージシャンをノミネートすることが重要だった。ビートマンやフランツのようにね。彼らの音楽は人生そのものだ。自分の音楽が受け入れられるかどうかなんて考えずにやるんだ。(賞は)音楽シーンに対する一種の挑発だった」

先駆者たち

 スイスのポップミュージックがついに真価を認められたためか、ベルンのコミュニケーション・ミュージアムで現在、スイス初のポップミュージック回顧展が開催されている。60年に登場した最初の女性グループ、ホノルル・ガールズから現代までの進化を追った展示だ。全体的には、スイスのミュージシャンは外国の音楽に大きく影響されてきたという印象を受ける。ただし、独自の方向へ進んだグループもいくつかある。

 スイスのバンドに影響力がなかったわけではない。ヤング・ゴッズはデヴィッド・ボウイやU2のギタリストであるジ・エッジに影響を与えた。ニルヴァーナのボーカルだった故カート・コバーンは「ポスト・パンク・グループ『クリネックス』に影響を受けた」と話しており、このバンドの曲は今、米国の新星アヴァン・パンク・グループ「ディアフーフ」にカバーされている。また、メタルバンド「セルティック・フロスト」のアヴァンギャルド・メタルは、他のメタル・ジャンルに影響を与えている。

 電子音楽の先駆者イエローの電子音とサンプリングの使い方は、ダンスミュージックに影響を与えた。

 ポップミュージックの回顧展開催は、ミュージシャンであり作家でもあるサム・ムメンターラーさんの考えだった。ムメンターラーさんはコレクターでもあり、展示品の多くを提供している。過去60年を振り返ると、スイスのポップカルチャーにおける重要な出来事は二つあるという。67、68年にチューリヒで行われたローリング・ストーンズとジミ・ヘンドリックスのコンサートと、後年に開かれたボブ・マーリーのコンサートだ。

 「68年にヘンドリックスが演奏した際、警察はかなり攻撃的だった。67年のストーンズのときに騒動が起きたので、68年には本当に強硬姿勢で臨んだ。そのため社会的な抗議運動が起こり、それがチューリヒの68年運動につながった。80年にもスイスで学生運動が起きた。かなり強力な運動だった。それがまた、同年5月のボブ・マーリーのコンサートにも密接に関わっている。『起き上がれ、立ち上がれ(Get up stand up)』とマーリーは歌い、スイスの人々は明らかにそれを理解した」

革命ではなく復興

 今日、スイスのポップミュージックシーンにはそれほど大きな変化は予想できないとフリーランスの音楽ジャーナリスト、ベネディクト・サルトリアスさんは言う。「ポップミュージックに大きな革命の兆候は見られない。スイスの音楽シーンについて話すのは難しい。たくさんのシーンやネットワークがあるが、ローカルなもので、各地域にとどまっている」

 もちろん、スイスには複数の言語があることも、全国的に発信することを難しくしている。

 サルトリアスさんによると、キング・ペペや、ジーンズ・フォー・ジーザスなどのバンドの活躍で方言が小さな復興を遂げているという。

 「今は、スイス・ドイツ語で歌うのに良い時期だと思う。歌詞も本当に良く、新しい音楽のバックグラウンドをもった方言ポップの新世代が出てきていて、今年は期待できる。方言への新しいアプローチだ。ヒップホップとも関係がある」

 過去10〜15年の間にポップミュージックで大きな動きはなかったかもしれないが、「音楽の世界の小さな片隅で何かが育っていて、それは決して止まることはない」と興奮した調子で話すのは、ベルン州の日刊紙ブントの音楽評論家アネ・ヘバイゼンさんだ。

 「新しいテクノロジー、新しい考え、新しいクレイジーさ、新しい若者のパワー、そういったものがあるから、ポップミュージックについて私は悲観的ではない。毎年、びっくりするようなものが見つかる。スイスの中でさえもね」

スイス・ポップミュージックにおける節目の年

1957年 フラ・ハワイアンが初のロック・インストゥルメンタル曲「チンパンジー・ロック」を発表。

1960年 スイス初の女性グループ、ホノルル・ガールズ登場。

1967年 チューリヒのイベント会場ハレンシュタディオンで行われたローリング・ストーンズのコンサートで、警察が観客に圧倒される。

1968年 チューリヒのジミ・ヘンドリックスのコンサートで警察が観衆に対して取った扱いがきっかけで抗議運動が始まり、社会的な混乱が起こる。

1968年 アンダーグラウンド音楽雑誌「Hotcha」創刊、ポスターデザインはH.R.ギーガーが担当。

1971年 フランク・ザッパのコンサートでモントルー・カジノ全焼。

1970年 コンサート・エージェンシー「グッド・ニュース」設立。

1975年 ポロ・ホーファーとバンド「ルンペルスティルツ」がスイスのドイツ語方言で初のアルバムを発表。

1975年 プログレッシブ・ロック・バンド「クロークス」結成。80年代には米国のスタジアムを満員にする。アルバム1400万枚を売り上げ、今日に至るまで国際的に最も成功したスイスのバンドであり続けている。

1979年 イエロー結成、1980年代のダンス・カルチャーに影響を与える。

1983年 ローカル民放ラジオ局の経営が認められ、ラジオでポップミュージックが爆発的に広がる。

1985年 ヤング・ゴッズ結成、世界的に有名なポスト・インダストリアル・グループとなる。

1991年 ブラック・タイガーがスイス・ドイツ語で始めてラップを歌う。


(英語からの翻訳・西田英恵 編集・スイスインフォ), swissinfo.ch

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