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スイス航空救助隊の歴史 創立60周年を迎えたレガ航空救助隊に新たな挑戦

(RDB)

今年の3月にヴァレー/ヴァリス州で起きたバス事故は、ベルギーから来た子どもたち22人の命を奪った。レガ航空救助隊などスイスの緊急救助隊は直ちに事故現場へ飛び、緊急医療の限界に挑んだ。

 レガ航空救助隊は、負傷した大人と子どもを事故現場から病院までヘリコプターで搬送し、後日、全3機のジェット機でそのほかの子どもたちを帰国させた。今回の救助は、レガの創設以来60年間の歴史の中で最大級のものとなった。

人道援助の象徴

 その数週間後、レガ航空救助隊(Rega、以下レガ)は再び出動要請を受け、トルコへ飛んだ。スイス人の観光客を乗せたバスが衝突事故を起こし、死亡者1人と負傷者19人を出したからだ。トルコ駐在のレガの医師が事故現場へ数時間で駆けつけ、負傷者14人を2日以内にスイスへ搬送した。

 昨年の出動件数は合計1万4240件と、レガにとって最も忙しい一年だった。レガのヘリコプター17機とジェット機3機は、負傷したスイス国民を救助するために、スイス国内外を飛び回った。

 連邦政府は1965年、レガを補助的な外郭団体としてスイス赤十字社に組み入れた。非営利組織でスイス赤十字社の特別補助機関でもあるレガが、赤十字社と並んで人道援助の象徴という地位を得たのは不思議ではない。

ガウリ氷河墜落事故

 1952年4月27日、ビール湖畔の町トゥワン(Twann)のホテル・べーレンで会議が開催され、レガの創設が決定された。活動を開始した一年目の年間合計救助件数はわずか6件だったが、昨年はヘリコプターによる救助だけでも、一日平均でその5倍を上回った。

 スイスに航空救助隊を創設するという着想は、1946年にアメリカの軍用機がベルン州のガウリ氷河(Gauli Gletscher)に不時着した事件に端を発する。遭難場所の捜索に4日間が費やされたが、5日目にスイスの軍用機2機が現場近くに着陸し、アメリカ軍の乗組員と乗客の救出に成功した。

 この劇的な事件によって、アルプス地域での航空機による救助の有効性が立証されただけでなく、第2次世界大戦後のスイス・アメリカ間の良好な外交関係も証明されたと言われている。

 6年後の1952年、レガはルドルフ・ブヒャー博士の指揮のもと、スイス人命救助協会の下部組織として正式に発足した。その後、起伏の激しいスイス・アルプスでの救助活動だけでなく、数年以内に外国での救助活動にも出動するようになった。

 1953年に発生したオランダの洪水では、イギリス空軍で訓練を受けたレガのパラシュート救助隊が、洪水地帯に取り残された住民を救助した。翌年、オーストリアで雪崩が発生した際も、レガに出動の要請が入った。

国際協力

 1956年、アメリカのグランドキャニオンで2機の旅客機が空中衝突し、レガは遺体収容など救助支援のためにアメリカへ飛んだ。その後も、トルコ、イタリア、ルーマニアなどスイス国外での救助活動が続いた。

 「世界中でレガの名前が敬意とともに広まっていることを誇りに思う」と最高責任者のエルンスト・コーラー氏は語った。「どの国の航空救助サービスも昔より向上したが、レガは今でも他国の組織と共同訓練を行ったり、夜間飛行についての知識を伝えたりするなど協力関係を維持している」

 レガは、スイス人や後援者がスイス国外で病気にかかってしまったときや、負傷をしたときには、スイスへ搬送する任務も担っている。2004年にスマトラ島沖地震で津波が発生した際、レガは60人のスイス人旅行者を帰省搬送した。

 しかし海外での活動は年々減りつつある。レガは2011年、スイス国外で2114件の緊急医療救助活動を行ったが、この数は前年比で19%の減少となった。

 「20年前と比較して、医療サービスが向上した国が増えたため、スイスへ帰省搬送する必要性が減った」とコーラー氏は説明する。「しかし、病気にかかってしまったときや負傷したときには、母国で治療を受ける方が精神的に落ち着くため、帰国を希望する人もいる」

高評価のサービス

 レガは約240万人の後援者(2010年比で8万6000人増)によって支えられており、昨年の寄付金は総額8650万フラン(76億2900万円)にも上った。こうした数字に、後援者のレガに対する支持の大きさが現れている。

 人口約800万人のスイスにこれほど多数の後援者がいること、また、寄付の有無にかかわらず、誰でもレガのサービスを無料で受けられるという点でも、国民にとってレガの存在は大きい。

 レガは寄付金のおかげで、国民の税金に頼ることなく活動を行える。しかし、最高裁は昨年の11月、レガの後援者は救助サービスが受けられることを前提に寄付金を支払っていると判断。レガが受け取る寄付金を課税対象とする判決を下した。

 一方レガは、昨年の付加価値税550万フラン(約4億8500万円)は、寄付金18万5000口(くち)の喪失に相当すると訴えている。「付加価値税の支払いは実に痛い」とコーラー氏は嘆く。「非営利団体から運営資金を取り上げるのは、全く不公正だ。このお金は救助活動に使われるべきで、政府の金庫にしまわれるべきものではない」

 この議論は現在連邦議会に持ち込まれているが、コーラー氏は最終的な決定がすぐに出されるとは期待していない。「レガの設立60周年を記念して、好ましい政治的解決が出ることを願っているが、法律改正のプロセスは長い」

レガ航空救助隊(Swiss Air Rescue Association/Rega)

1952年、スイス人命救助協会の航空救助支部として発足。

1960年、スイス人命救助協会から分離独立し、レガ航空救助隊と改称。

1965年、スイス政府が、スイス赤十字社を補助する外郭団体として、スイス赤十字社へレガの編成を承認。

1981年、スイス赤十字社がレガを法人会員として承認。

1966年、スイス政府がレガの運営資金の援助要請を拒否。これが、今日の後援者からの寄付金による財政体制設立につながる。一般に向けて財政支援を訴え、好意的な反応を得る。

後援者数は、1985年までに約100万人、2007年には約200万人、現在は約240万人に達した。2007年、尊敬に値する組織・企業のブランドイメージに関する世論調査で、レガが1位の座を獲得した。

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レガの歴史的な救助活動

1953年:オランダで洪水が発生した際の救助活動支援で、レガのパラシュート隊が初めて活躍。

1956年:アメリカのグランドキャニオン上空で旅客機2機が空中衝突を起こし、深さ1200Mメートルの深さの峡谷での遺体収容活動に支援。

1960年:フランスから病人の帰省搬送を初めて行う。

1977年:ルーマニアの大地震で救助活動を支援。東ヨーロッパにおいて救助活動を行った初の西ヨーロッパの機関となる。

1980年:航空機にパラシュートが絡まった乗組員を救助。救助活動は、航空機の飛行中に行われた。

1982年:レガ、スイス災害救助隊、スイス軍救助隊、スイス救助犬協会からなる「救助の輪」がイエメンで初の救助活動。

2004年:東南アジアで津波が発生し、タイ、スリランカで救助活動支援。レガにとって史上最大の挑戦となった救助活動。16の医療チームを派遣し、被災者60人をスイスへ搬送。

2005年:スイス国内で激しい嵐が発生し、孤立した地域から200人以上を救出し、搬送。

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(英語からの翻訳・編集、笠原浩美), swissinfo.ch

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