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ベルン市 クマ公園のクマを解放

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ベルン市とクマの関係は500年間にも及ぶ。1月中旬、新しいクマ公園の建設工事の鍬入れ式が執り行われた。

鍬入れ式は、実際には現在のクマ公園の壁に電気ドリルで穴を開けることだった。開けられた穴から、クマたちは森に囲まれた新しい公園に引越しすることになる。新公園はアーレ川沿いで、クマたちは泳いだり魚を取ったりもできるようになるという。

 新公園は現在の10倍、6500平方メートルの広さとなる。
「野生のクマのように生活ができるようになります。それも街の真ん中で」
 「クマのお母さん」のあだ名で呼ばれるバルバラ・ハイヨツ氏は喜びを持って語る。ハイヨツ氏の尽力で、新公園の建設が実現した。

万全な安全管理

 2009年に開園する予定の新公園では、現在のクマ公園の近くにあるテラスからと、川岸に沿って続く小道からクマを見ることができる。安全管理面も万全。すべてのケースを考慮した。2006年にベルンではアーレ川が氾濫したが、そういったケースにも対応できるようなプランだという。
「餌でクマを囲いに連れ込むようにします。もし失敗しても、獣医が麻酔をかけて囲いに入れます。もしも獣医が病気で他の獣医が100キロメートル以内に見つからない場合には、銃殺することになっています」
 と動物園のベルント・シルトガー氏は最終的な「もしもの場合」まで安全対策を敷いていることを強調した。
 
 クマ公園には一時期、12頭のクマがいたことがある。現在はペドロとタナの2頭のみ。2頭とも1981年生まれだ。「新居」にはこの2頭が揃って引越しできることが望まれている。以前の住人だったメスは、より環境の整ったベルン動物公園にすでに引越している。

やっと現実となったプロジェクト

 何年もの間、新しいクマ公園建設計画は宙に浮いたままになっていた。1600万フラン ( 約15億7000万円 ) の企画はあまりにも高すぎ、実現しないと思われていたのだ。 ハイヨツ氏がベルン市の安全・環境・エネルギー局の局長に就任した2005年、建設計画に再び息を吹き込んだ。費用を1000万フラン ( 約9億8000万円 ) に抑え、寄付を募った。

 企業や団体にとどまらず、市民の各層からも多くの寄付が集まり、2007年には23万6000フラン ( 2300万円 ) になった。 6月の市民投票でも88%の支持を得て工事着工に漕ぎ着けることができた。

クマ公園は長い伝統

 ベルン市とクマの関係は長い。以前は、クマ公園のクマに餌を投げるのはベルン市民代々の習慣であり、冬に生まれた小熊を聖週間にお披露目する儀式もあった。何世紀にもわたり、パレードにクマが出動させられた。現在でもベルンのカーニバルは「クマの解放」から始まる。クマのはく製がベルン市の門から釈放されるという儀式だ。

 しかし、地元やベルン市以外から訪れる人々は、クマの生活環境が悪いと批判的になっていった。現在あるクマ公園は1857年に作られたものだが、1990年代には池を作り、クマが登れるような大きな岩を置いたりもした。しかし、批判は収まらなかった。改装後、再開園になる直前には「クマを自由に!」と落書きされたりもした。クマを自由にというスローガンは、この時初めて叫ばれたものではない。90年以上前、ロシアの革命家レーニンが革命前にベルンに滞在中、クマにニンジンを投げ与えながら「くまは解放されなければならない!」と叫んだという。

 しかし、1年後には「クマの解放」はカーニバルの儀式として、思い出と化すことだろう。

swissinfo、ジュリア・スラッター 佐藤夕美 ( さとう ゆうみ ) 訳

ベルン市とクマの関係は長い。
言い伝えによると、ベルン市の創立者ツェーリンゲンのベルヒトルト5世が、現在クマ公園のある付近でクマを射獲ったことから、その土地をベア ( ドイツ語でクマの意味 ) と名づけたという。ベルン州旗にクマが用いられているのも、この言い伝えから来る。
クマは500年もの間、ベルン市に飼われている。現在のクマ公園は4代目。
市内にはクマの彫刻が置かれているが、16世紀のクマ像の付いた泉もある。

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