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モスクワでマクロエンジニアリング博士号を目指す


一味違った科学へのアプローチを学ぶ


ジョエル・シュターデルマンさん。ロケットや航空機、ソビエト原子力の父たちを生み出したバウマン大学にて (swissinfo.ch)

ジョエル・シュターデルマンさん。ロケットや航空機、ソビエト原子力の父たちを生み出したバウマン大学にて

(swissinfo.ch)

ジョエル・シュターデルマンさんがスイス連邦工科大学の生物医学修士号を携え、バウマン・モスクワ州立工科大学へ留学した。今から4年前のことだ。現在同大学の助教授を務め、今後もロシアでキャリアを積む自分の姿を思い描く。

 28歳のシュターデルマンさんはスイスのレマン湖畔で育った。そのために、ロシア人から「まるで火星人であるかのように」好奇の目で見られることもある。時にはバウマン・モスクワ州立工科大学(BMSTU)の学生が「ロシア語で講義をしようとするこの珍しい生き物をわざわざ見にくる」と話す。

 だが、幸いにもそのような人ばかりではない。同僚のほとんどはシュターデルマンさんを「普通の人」扱いしてくれ、大好物のチョコレートをわざわざ分けにくる人もいる。

ジョエル・シュターデルマン(Joël Stadelmann)さんの略歴

1985年1月7日、フランスのサヴェルヌに生まれる。 

1985年、スイスのヴォー州に移り、何度か引っ越す。 

2003年、連邦工科大学ローザンヌ校(ETHL/EPFL)でマイクロエンジニアリングを専攻。 

2008年2月12日、修士号を取得。 

2009年、奨学金を受け、バウマン・モスクワ州立工科大学(BMSTU)に交換留学。博士論文執筆に着手する。 

2012年12月12日、博士論文の口頭審査。助教授として講義を始める。

就職よりも学問

 幼いころから数学が得意だったシュターデルマンさんが「難解な科学の道」へ進んだのは自然なことだった。バカロレア(大学入学資格)取得後、連邦工科大学ローザンヌ校(ETHL/EPFL)で生物医学を専攻した。選択の理由は何か?それは、この専門課程の時間割に比較的余裕があったためだ。「結局私は多くの講義を履修したが、必須科目はほんの少しだった。天才でもない限り、一生懸命勉強しなければならないから」と、謙虚に話す。

 当時、海外に出ることはあまり考えていなかった。在学中に交換留学に必要な単位を取っていなかったからだ。しかし、この時すでにシュターデルマンさんにとって明白だったのは、「とにかく研究の世界に残ること。それは一つのプロジェクトに最後まで関わりたいからだった」

 2007年、連邦工科大学ローザンヌ校とバウマン大学の共同研究の可能性を見極めるため、シュターデルマンさんの修士課程を担当していた教授がモスクワに出向くことに決まった。その際、交換留学を希望する学生がいれば話は早い。シュターデルマンさんが承諾するまでに時間はかからなかった。ただし「最長6カ月まで」という条件付きではあったが。

スイスないしはスイス人を一言で

「モスクワに来てから、スイス人は一般に初対面の人に対し好意的なのだと発見した。スイスでは、自分のいるホームが正しいかどうかを駅員に尋ねるのをためらう人はいない。そして駅員から、礼儀正しい返事か、もし分からなかった場合には謝罪の言葉が返ってくるのを当然だと思う。

しかしモスクワではそう期待しないことだ。切符売り場で何かを尋ねても、『私が知るわけない!』という乱暴な答えが返ってくるだけだ。しかし、少し離れた静かな街で週末を過ごしたりすると、それが一般的でないことが分かる。一度などは、ドゥブナの街で私にどのバス停で降りるかを教えるためだけに、高齢の女性が一緒にバスに乗ってくれたことがあった。

もし誰かが虐待やひどい扱いを受けたりすれば、ロシア人は何としてでもその友人を助けるだろう。一度距離が縮まれば、ロシア人はとても心が温かく、スイス人よりも心を開いた国民だ」

厳しいスタート

 ロシアへの渡航に必要な許可を全て取得し終わり、シュターデルマンさんがモスクワに降り立ったのは2009年の2月。欧州は不況の真っ只中で、就職口を見つけるのも難しかった時期だ。「欧州の景気回復を待つ間、今までに誰も体験したことがないような国際的な経験を身につけようと思っていた」と当時を振り返る。

 だが、まずシュターデルマンさんを待っていたのはロシアの過酷な日常だった。大学が手配したはずの空港への出迎えは、ついに現れなかった。ターミナルの係員に手伝ってもらい、自力でバウマン大学までたどり着いた。

 「最初の一カ月はひどかった」。シュターデルマンさんが滞在することになる学生寮は、大学に近いという利点はあったが、普通に機能する設備は暖房のみと言ってよかった。「水はあった。でも常にではない。電気はあるにはあったが、すぐにヒューズが飛んでしまうので、同時にいくつもの電化製品を使うことができなかった」と、愉快そうに話す。

バウマン大学で博士論文を書く

 しかし、シュターデルマンさんがもう4年もモスクワにとどまっているのは、そのような些細(ささい)な不便さに気をとられる暇がなかったからだ。彼はすぐに研究に没頭し、一方でロシア語を猛勉強した。学術論文を発表し審査を受けるには、ロシア語で書く必要があった。猛烈に勉強しながら、シュターデルマンさんは人口1500万人の巨大都市で、自分の居場所を見つけていった。

 そしてバウマン大学から博士論文を書くように勧められたとき、シュターデルマンさんには一瞬の迷いもなかった。言葉の問題に加え、研究に対する全く新しいアプローチをしなければならなかったとしても、だ。彼にとってはむしろ歓迎すべきチャレンジだった。

 「私がある問題の解決策を直感的に提示する。するとここの人たちは4時間かけ議論した後、結局同じ結論を導き出す。だが、議論を展開する過程で、それ以外のやり方はやはりあまり良くなかったと判明したりした」と説明する。

バウマン・モスクワ州立工科大学(BMSTU)。学生総数約1万8千人。そのうち留学生は400人 (wikimedia commons)

バウマン・モスクワ州立工科大学(BMSTU)。学生総数約1万8千人。そのうち留学生は400人

(wikimedia commons)

病人を救う

 シュターデルマンさんはエンジニアとして、電子工学やプログラミング、機械学、それから光学の衛星画像処理などにも関わってきた。「だがここでは、生物医学技術者は、病院の医療機器の扱いを学んだ人を意味する」と説明する。「彼らは私にはない生理学、解剖学についての知識が豊富だ。その点で、私は彼らと比べるとより技術的だと言える。彼らがあるシステムの概念の定義に強いとすれば、私はその実践においては誰にも負けない」

 いまだに自分を「科学者」と呼ぶことをためらうこのスイス人だが、バウマン大学で講義をする傍ら、四つの研究開発プロジェクトに携わっている。

 一つ目は、がんのリスクを減らすための、X線撮影における赤外線使用に関する研究。次に、重度の身体障害者と医療スタッフとの意思疎通を可能にするシステムの開発、それから現在ロシアで使用されている義肢の関節部における角速度の問題点を克服したモデルの開発。

 そして四つ目は、世界中で最も必要とされる臨床検査の一つ、血液検査の既存機器を改良したシステムの開発だ。検査技師に代わり、検体から瞬時に異常を判定できるカメラを開発中だ。「現時点では、判定までに3秒かかる。まだ時間がかかりすぎる」と、プログラムの責任者は笑みを浮かべながら強調する。

ロシアに残る可能性は?

 現在のところ、シュターデルマンさんのバウマン大学との契約は2018年までだ。若い科学者はこの大学で、博士論文執筆後に「科学への重大な貢献をもたらすべき」新たな研究を必要とするロシアの博士号取得への構想を温めている。

 シュターデルマンさんはロシアの名門、バウマン大学で自分の地位を確立してもなお、その能力について自問する。「ここの人たちは、自分とは異なった考え方をする。私がこれまでに思いもつかなかった要素同士を関連付けて考えたりする」と、称賛を込めて語る。そうは言っても、彼にも希望の光があるようだ。「数カ月前から、その後も大学に残る可能性を打診されている」と顔をほころばせた。

バウマン・モスクワ州立工科大学(BMSTU)

通称バウマン大学。1763年エカチェリーナ2世により王立の教育機関として設立された。1905年に始まった第1次革命中に大学本館近くで殺害されたボルシェヴィキ派のニコライ・エルネストヴィッチ・バウマンにちなんで、共産主義時代に現在名へ改名された。1755年設立のモスクワ州立大学に次ぐ、ロシアで2番目に古い大学。

ロシアの名門大学のひとつでもある。長年にわたって培ったエンジニアリング分野における知識を強化し、守り抜きながら、現在も国際的に認められる数々の成果を挙げている。

学生1万8千人中、留学生400人。留学生には、原子工学や発電工学、軍事技術などに関する学科の専攻は認められていない。

バウマン大学の卒業生には、ソビエト宇宙開発計画の父セルゲイ・コロリョフ、初の民間超音速機を作り出したアンドレイ・ツポレフ、民間原子力発電所第1号を開発したニコライ・ドレザル、スホーイ設計局を設立した航空機技術者パーヴェル・スホーイなどがいる。

20世紀前半にバウマン大学は、ロシア、ソビエト連邦(当時)に70校以上のエンジニアリング学校を設置。中でもモスクワにはそれぞれ軍用機、エネルギー工学、土木工学、コミュニケーション、コンピューター科学の名門単科大学がある。


(仏語からの翻訳 由比かおり), swissinfo.ch



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