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世界のマキ


グリンデルワルトと槇有恒


佐藤夕美


1921年、27歳でアイガー東山稜を初登攀し「世界のマキ」と称された槇有恒 ( まきゆうこう、1894〜1989年 ) は、いまでもグリンデルワルト ( Grindelwald )に愛されている日本人登山家である。その後も登山界に広く貢献し、62歳になって8000メートル峰のマナスル初登頂 ( 1952年 ) にも導いた、日本登山界の第一人者である。

 槇有恒は、アイガーに挑戦するため第1次世界大戦が終結して間もなく、ベルン州グリンデルワルトにじっくりと滞在し、地元の人々と深く交流した。彼の登山ガイドの1人であるサムエル・ブラヴァンド氏 ( 1898〜2001年 ) の孫、マルグリット・ブラヴァンドさん ( 52歳 ) に、槇有恒とグリンデルワルトの関係を語ってもらった。

swissinfo : ブラヴァンド家はグリンデルワルトでも有名な家系と伺っています。 

ブラヴァンド : 名家というわけではありませんが、もともとグリンデルワルトの家系で、曾祖父の代から父まで山岳ガイドをしていました。曾祖父は1902年にイギリス隊のガイドとしてブライトホルンで遭難したので、曾祖母は祖父がガイドになることに反対したと聞いています。

槇さんの登山ガイドをした祖父は、小学校の先生をしながらガイドをしていましたが、その後ベルン州の議員になりベルンへ引っ越しました。それでガイドは辞めてしまいました。その後、スイス航空の役員を経て、最後にベルナー・ベルク・シンプロン鉄道の総裁になりました。

swissinfo : おじいさんのサムエル・ブラヴァンドさんはまず、槇有恒に頼まれてドイツ語を教えたとあります。おじいさんは始め、乗り気ではなかったと手記『槇有恒を偲んで』にありますね。

ブラヴァンド : 祖父は当時小学校の先生の傍ら農業もしていたので、忙しかったのでしょう。これ以上のことはできないという思いだったようですが、槇さんに会った途端、あまり多くを語らずして、お互い分かり合えたようです。祖父にとって槇さんは祖父の人生を豊かにした人物でした。槇さんを常に尊敬し敬愛していました。

swissinfo : 手記には槇有恒のことを、ヘル・マキ ( Herr Maki ) と敬称で呼んでいますね。

ブラヴァンド : 祖父が、槇さんを実際にどのように呼んでいたかは分かりません。しかし、日本からのお客様という気持ちと友であるという気持ちの2つがあったと思います。槇さんには、登山家としての情熱を傾ける金銭的な余裕もあったようですね。祖父は槇さんのガイドですから、手記にあるように、山小屋で登山隊のリーダーしか入れない部屋に、彼のおかげで入れてもらったときのエピソードなどを語ることで、槇さんの性格を表現したかったのだと思います。

祖父はテレビやラジオのインタビューで、1957年の日本旅行と同年のベルンでの再会について、繰り返し語っていました。30年以上経っても槇さんと友であり続けたことが祖父の大切な思い出だったと思います。

swissinfo : ブラヴァンドさんは日本で、槇有恒が亡くなる1年前にお会いになったそうですね。

ブラヴァンド : 1988年です。槇さんは非常な喜びを表してくださり、彼自身の思い出をしっかり握り締めているように思いました。そのとき、ずっと話していなかったであろうドイツ語も、少しお話しになりました。登山家として、人間として体の中から出てくる槇さんの雰囲気に感動しました。

swissinfo : グリンデルワルトの村人は、槇有恒を今でも覚えていて、愛していますか。

ブラヴァンド : マキの名前を知らなくとも、アイガーと日本人の登山家の関係については、グリンデルワルトの皆が知っています。単なる観光ではなく登山をしに当地に訪れる日本人が多いのは、槇さんのおかげだと思います。

ミッテルレギ小屋が1924年に槇さんの1万フランの寄付で作られたことは、非常に意味のあることではないでしょうか。また、槇さんのアドバイスで作られたキースリング製のリュックサックや登山靴など、当地の職人の手によるものです。日本の初期の登山界におけるグリンデルワルトの存在は大きかったと自負しています。

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槇有恒年譜
1894年 宮城県仙台市生まれ。 
1912年 慶應義塾大学法学部予科に入学。17年卒業。
1918年 渡米。
1919年 ロンドンを経て、スイス、グリンデルワルトに滞在。
1921年 9月10日アイガー東山稜初登攀。帰国。
1925年 カナダ、マウント・アルバータ初登頂。
1952年 マナスル初登頂。
1957年 スイス山岳会名誉会員。
1958年 アメリカ山岳会名誉会員。
1970年 アルパインクラブ ( イギリス山岳会 ) 名誉会員。
1989年 心筋梗塞のため死去。享年95歳。

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