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動乱当時と今


欧州亡命から50年、チベットの孤児たちが直面する新しい世界


ヴェロニカ・ドゥヴォア


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フェスティバルに参加する養育慈善事業テンドール・ギャルズールの孤児たち (Children's Charity Tendol Gyalzur)

フェスティバルに参加する養育慈善事業テンドール・ギャルズールの孤児たち

(Children's Charity Tendol Gyalzur)

テンドール・ギャルズールさんは数多くのチベット人が祖国を追われていた1963年、ヨーロッパに孤児として来た。それから30年後、チベットに初の児童養護施設を建設した。今日のチベットは当時とは全く異なった問題に直面しているとギャルズールさんは言う。

 「テンドール・ギャルズール養育慈善事業を始めたときは、経済的な問題が大きかった」。ギャルズールさんはチベット人とスイス人のあいだに生れた男性と結婚した後、ドイツからスイスに来た。今はスイスとチベットの間を行ったり来たり。目下母国で起こっていることに敏感になっている。

 「経済的な状況は改善され、食料品、医療品等の不足は少なくなった。問題は物理的なものから、心理的なものへと変わりつつある」

 チベットの経済が急激に成長するにつれて、精神的な悩みやアルコール中毒などの悪習が増えた。両親が子どもの世話をすることができない場合、親戚が面倒をみるのが普通だったのが、今では家族がばらばらになり、子どもたちが放置状態になるケースが多くなった。

ラサのテンドール・ギャルズールの児童養護施設 (Children's Charity Tendol Gyalzur)

ラサのテンドール・ギャルズールの児童養護施設

(Children's Charity Tendol Gyalzur)

激変

 コロンビア大学現代チベット研究学部のロビー・ベルネット学部長は、村から都市への移住が、社会的・文化的激変の核心にあるという見解だ。

 「中国からの投資が盛んで、人々は以前より裕福になった。大勢の人々が村の農地を離れ、よりよい収入源を求めて都市へと移っていく。私が見たところ、そういう人たちは工事現場で悪条件の重労働に携わり、家族とも離別してしまっている」

 「家族というものが破壊されつつある。過去のチベットではなかったことだ」

 ギャルズールさんは、チベットにおける慈善事業の必要性は年々上がるばかりだと言う。スイスにいる間は寄付を集め、援助者やスポンサーに児童養護施設の現状を報告して回っている。

 「助けを必要とする子どもの数は増える一方で減ることはない」

幸運と謝意

 半世紀前の動乱期、自身も孤児だったギャルズールさんは数百人のチベットの子どもたちの中から選ばれて、ヨーロッパに来た。

 その4年前の1959年、チベット独立を望む反中国民族運動が発生し、その結果ダライ・ラマ14世はインドへ亡命。8万人を超えるチベット人が祖国を離れた。欧州に逃げたのは数千人、その後もチベットからの避難民が絶えることはなかった。スイスは積極的にチベット人を受け入れ、インドと米国に続いて、世界で3番目に大きいチベット人の共同体を持つ。

 ギャルズールさんは、まずドイツに来た。コンスタンツの近くの子どもと家族のためのコミュニティである、ペスタロッチ子ども村(Pestalozzi children's village)に受け入れられ、里親の下で育った。

 ドイツでキリスト教を知り、チベットに戻って、人々を助けたいと思うようになった。だが、慈善事業を行う上で貴重なのはキリスト教だけではなく、いろいろな宗教の教えだと強調する。

 「私はキリスト教徒でも仏教徒でもない。私の宗教は子どもたちの鼻を拭くことだ」と笑う。

援助と保護

 児童養護施設に子どもを受け入れる特別な基準はない。

 「1人の子どもが援助と保護を必要としているのなら、児童養護施設で引き取る。肌の色、階級、宗教、素姓は問題ではない」

 彼女自身を欧州避難者の中に選んだ人々の基準も同じだったと固く信じている。彼女や他の子どもたちがいつまでも幸せに暮らせるよう、ただそれだけを願って西側諸国へ連れて行ったのだと。

 「私たちを助けてくれた人たちが非難されるのは快くないことだ。選択の基準については聞かないでほしいと思う。私たちは彼らに感謝しているのだから」

 ギャルズールさんがこの点を強調するのには理由がある。最近のメディアの報道や記録によると、中国のチベット侵略時にスイスに送られた子どもたちの中には、少なくとも片親が生存していたのに連れてこられた子どももいたからだ。

 スイスのマスメディア、特にドイツ語圏の日刊紙NZZは、チベット孤児スイス定住の裏にある動機について、ダライ・ラマ14世がこの機会を利用し、両親の意向にかかわらず、チベット人のエリート・クラスを海外に作ることを望んでいたのではないかと問う。それに対しギャルズールさんは、彼女が選ばれた理由はもっと単純なことだと言う。

 「欧州に送られた子どもたちは、元気で頭のよい子ばかりだった。そうでなくては、欧州の学校の授業についていけるはずがないのだから」

ローザン・ツルティム・ギャルズールさんと孤児たち (Children's Charity Tendol Gyalzur)

ローザン・ツルティム・ギャルズールさんと孤児たち

(Children's Charity Tendol Gyalzur)

時間をかけて作られた信頼関係

 援助を必要とする子どもたち全員を受け入れるという約束を果たせるように、ギャルズールさんは児童養護施設を増設し、新しい場所に第2、第3の施設を造った。ここでは地元の人たちと一緒に働く。中には中国人もいる。以前は敵とみなしていた中国人。子どもたちがよく中国人に向かって石を投げたものだった。それでも時間をかけて信頼関係を築き上げた。土地の人たちから得る信頼、善意、そして協力は非常にありがたく、彼女の夢を実現させるためには欠かせないものだ。

 しかしながら、初めは大変だったと言う。「チベットに児童養護施設を創設するというのは、それ以前にないアイディアだった。しかも私は海外に住むチベット人でパスポートにはスイス人と書いてある。そのため、チベットで何か新しいことを始めるのは非常に困難だった。社会のつながりがよく、信頼関係が基本にあったら、あれほど苦労はしなかっただろう」

数百人の子を持つお母さん

 この養育慈善事業の目標の一つは、子どもたちが独自のネットワークを築き、社会の中で自立して生きていけるような手腕を身につけるのを、手助けすることだ。ギャルズールさんの最新のプロジェクトは、息子たちの手を借りて児童養護施設の近くにビール醸造所とレストランを建設。孤児たちはそこで見習いとして働き、この職業に必要な技術を学ぶことができる。

 児童養護施設では正式な学校教育は行っていない。子どもたちは公共の学校に通い、ギャルズール夫妻と他の世話人たちを、いつでもその元に帰ってこられる家族のように思っている。

 子どもたちが伝統的なダンスを学んでいる様子や一緒に料理をしているところを撮った写真を自慢げに見せながら、ギャルズールさんは母国に貢献するために、ドイツとスイスでの経験をかしながら今日まで歩んできた道を振り返る。

 「50年前に私たちを欧州に送り出した人たちの望みや夢を、今かなえることができた」

養育慈善事業テンドール・ギャルズール

 テンドール・ギャルズールさんのプロジェクトは、20年前にチベット自治区のラサに近いトールン(Toelung)でチベット初の児童養護施設を築くことから始まった。この施設を拡張するとともに、シャングリ・ラ(Shangri La)にも第2の施設を建設。リタン(Lithang)に遊牧民の子ども用寄宿学校を設立。最大収容人数は120人。

 児童養護施設の経営は、寄付金とボランティアとスポンサーの援助により成り立っている。慈善事業の根拠地はドイツ、オーストリア、スイスにある。

スイスのチベット孤児たち

 スイスの実業家シャルル・エシマンさんは1960年の初め、中国侵略により孤児になったチベットの子どもをスイスに迎え入れ、里親として育てることを呼びかけた。孤児の多くは、インドへ流出。親がいても、その親は建築業の仕事に就き、生きていくことに必死で子どもの面倒をみることができず、子どもは不衛生な施設に入れられることが多かった。

 欧米への避難に「選ばれた」子どもたちは、スイス、ドイツ、フランス、ベルギー、イギリス、米国へとやって来た。だが、少なくとも片親が生きている子どもを国外へ脱出させることの正当性について議論が生まれた。

 スイスの映画監督ウエリ・マイヤーさんも、2013年に制作したチベット孤児の体験をテーマにした「ティビとお母さんたち(Tibi and his Mothers)」の中で、この問題を扱っている。


(英語からの翻訳 マウラー奈生子), swissinfo.ch

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