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市民マラソンブーム


スイス人はマラソンが大好き


ダニエレ・マリアーニ


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グランプリ・ベルンはユネスコ世界遺産の街、ベルンの旧市街を走るもの。スイスで最も人気のあるマラソンの一つ (Keystone)

グランプリ・ベルンはユネスコ世界遺産の街、ベルンの旧市街を走るもの。スイスで最も人気のあるマラソンの一つ

(Keystone)

走ることが人気だ。大規模な市民マラソン大会の参加者数が毎回更新される。これは世界的な現象だが、スイスでは特にその傾向が強い。スイス人がマラソンに魅了される理由は何だろうか?

 「もし1982年に『30年後には大会の参加者が10倍になる』と誰かが言ったとしても、きっと信じなかっただろう」とハインツ・シルドさん。

 シルドさんは、毎年5月上旬にベルンで開催される市民マラソン「グランプリ・ベルン(Grand Prix von Bern)」の創立者だ。今では3万人以上が参加するこの16キロレースは、スイス最大のマラソン大会に成長した。

  「これほど人気のイベントになるとは夢にも思わなかった」とマルクス・リューフェルさんも言う。リューフェルさんは、グランプリ・ベルンの初大会(1982年)で優勝したランナーだ。また、1985、1986、1989年にも同大会で優勝し、 1984年のロサンゼルスオリンピックでは5千メートル走で銀メダルに輝いている。

 「世界一美しい10マイルコース」を売りにするグランプリ・ベルンも、初回の参加者はわずか2991人だった。なぜ「世界一美しい」のかというと、アーレ川沿いにあるベルン旧市街(ユネスコ世界遺産)の石畳を走るからだ。

参加人数は右上がり

 毎年参加者の数が更新されるのは、スイスで開催されるその他のマラソン大会でも同じだ。

 「これは世界の至る所で見られる現象だ。1970年に開催されたニューヨークマラソンも初回の参加者はわずか127人だったが、2013年には5万人以上に膨れ上がっている」とシルドさんは言う。スイスにおけるマラソンの草分け的存在のシルドさんは、コーチとして若きリューフェルさんを長距離走の世界最高峰へと導いている。

 一方、ローザンヌ大学体育学研究所のファビエン・オール教授はこう言う。「スタジアムではなく市街を走るマラソンは1970年代に発達した。背景には、社会が制度化されることへの反発や、規則の少ないこのスポーツにスポーツ連盟が無関心だったことがある」

 いずれにせよスイスでは市民マラソンが大ブームだ。市民マラソンの統計を取るシルドさんは「この種のマラソンの人口当たりの参加率を各国で比較したら、きっとスイスは世界一だ」と強調する。

 スイスの主要20大会の参加人数は2013年で23万2771人。「スイス各地で毎年開催される700~800の大会には、推定40万人が参加する。また、スイスでは70万人が定期的にジョギングしている。1980年代に開催された市民マラソンはわずか50大会。参加者も千人程度と小規模だった」とシルドさんは話す。

健康のためだけではない

 1970年代から80年代にかけて、ジョガー(ジョギングする人)は、まるで宇宙人のように見られていた、とリューフェルさんは振り返る。「当時は気の毒に(あんなに苦しそうに走っていて……)という顔をされたものだ。それが今では感心されるようになった」

 この変化の決定的な理由は、健康の為に何かをすることの大切さに人々が気づいたからだ。自由時間が増えたこと、また仕事で体を動かす機会が減っていることも関係している。しかしジョギングに人気が出た理由はそれだけではない。

 「走ることに対する意識が大きく変わった。1960年代は、走ることは単に体を動かすことを意味し、苦しんで、耐える自己犠牲と結び付けて考えられていた。ところが1970年代になると自分の肉体に対する新しい意識が生まれる。走ることが喜びに変わり、人々は快感のために走るようになったのだ」とオール教授は分析する。

 ただし、体の出すサインには注意が必要だ。場合によっては病院で一度健康チェックをする必要がある。特に35歳以上で「冠動脈の疾患や初期の動脈硬化症になる危険性がある場合は、要チェック」とベルン大学病院循環器科のルーカス・トラハゼルさんは説明する。

友達や家族と走る喜び

 「交通手段が発達した現代では、あまり時間やお金を掛けずにどこにでも行ける。そんな中で、地道に自分の足で走ることは自らのルーツに戻ることを意味する。また、市民マラソンは、集団の中での特別な体験を得る場だ」とリューフェルさんは言う。

  

 「スポーツのイベントがあると、そこに社会的な繋がりが生まれる」とオール教授も言う。

 「1人でも、友達と一緒でも、夫婦でも、又は家族みんなで走っても良い。そして参加者はそれぞれ自分のリズムで走る。順位こそ出るが、一人ひとり、自分の目標に向かって走ることに意義がある。トップ1000に入るのを目標にする人もいれば、マイペースで4時間以内に完走するのを目標にする人もいる。勝者と敗者が出るサッカーのような種目では、こうはいかない」

女性の参加が増える傾向に

 ランニングスポーツ・ブームの立役者は女性だとシルドさんは言う。数十年前までは長距離走は男性のスポーツと決まっていた。「1973年にマリケ・モーザーさん(女性)がムルテン市民マラソンに参加したときには、ゴール直前で主催者に見つかり失格になった」とシルドさんは振り返る。モーザーさんは男性の名前を装って参加を申し込み、ムルテンからフリブールまでの17キロメートルを「ルール違反」で走ったからだ。

 1977年になって初めて公に女性の参加が認められた。1984年のロサンゼルスオリンピックで初めて女子マラソンが種目になった。以来、女性の参加率はうなぎのぼり。近い将来、女性の市民マラソン参加率が男性のそれを追い越しても不思議ではないとシルドさんは言う。実際に女性の参加率の方が高いマラソンは既に存在している。

 ところが若年層の参加者獲得には苦戦している。「小さな子供は多数参加するが、15~30歳の年齢層になると急に参加者が減る」とシルドさんは言う。この傾向は他の種目でも見られ、特に個人競技でその傾向が強いという。

 この年齢層の参加者を増やすために、主催者は新しいタイプの市民マラソンを考案した。トゥーンで行われる16キロマラソンの「サバイバル・ラン(Survival Run)」がその良い例だ。このマラソンは、様々なハードルを乗り越えて走り、泥だらけになってゴールインするというものだ。

 「グランプリ・ベルンの平均年齢は45歳。サバイバル・ランは29歳だ」とリューフェルさん。自ら社長を務める会社リューフェル・ランニングが、トゥーンで開催されるこの冒険的なマラソンイベントを企画している。

 さて、今72歳のシルドさん。「走ることは一生続けられるスポーツ。年をとっても問題ない」と言う。そんなシルドさんだから、マラソンを捨てる気は毛頭ない。特にゴールの黄色の線を超えるときの感慨は何ものにも代え難いと話す。

スイスの市民マラソン大会をピックアップ

一番古い大会

ムルテンマラソンがスイスで一番古いマラソン大会。ムルテンとフリブールを結ぶコースを走る。第1回目は1933年に開催された。1476年のムルテンの戦いでスイス軍がブルゴーニュ公国のシャルル豪胆王に勝利した際、勝利の知らせを届けるために17kmを走ったのが起源。勝利の証として、戦場にあった菩提樹の枝を手に握りしめていた。初回はバーゼル出身のアレクランドレ・ツォッソさんが優勝。参加者はわずか14人だった。2013年には1万1千人以上が参加した。

最長のコース、最も過酷なコース

100km 走るビールマラソンがスイスで最長コース。恐らく一番苦しいマラソンでもある。今年で開催56回目を迎えるこのマラソンが他と違う点は、競技が夜間に行われることだ。2013年には男性801人、女性153人が完走した。記録保持者はスイス人のヴァルター・イェンニさん。2008年に6時間49分43秒でゴールインした。

ビールマラソン以外でも、スイスで行われる最も過酷なマラソンの一つにダボスで行われるスイスアルペンマラソンが挙げられる。最長のコースは78kmで、累積高低差2260mを登って下る過酷なマラソン。記録保持者はロシア人のグリゴリ・ムルシンさん。2002年に5時間42分34秒で完走。

最も美しいコース

「一番美しいコース」は主観が入るので選択が難しいが、眼前にそびえるユングフラウ、メンヒ、アイガー北壁の大パノラマをバックにゴールを目指すユングフラウマラソンに軍配が上がった。インターラーケンをスタートし、クライネシャイデックにゴールする標高差1823mの壮大な山岳レース。米国のランニング専門誌マラソンで「世界一美しいコース」と形容された。1993年に初回が開催されたこのマラソンの生みの親は、ハインツ・シルドさん。

女子マラソン

1987年にベルンの女子マラソンが初めて開催された。参加資格があるのは女性のみ。2013年大会は記録的な参加人数を誇り、大人・子供を含め1万5千人以上が参加した。


(独語からの翻訳 シュミット一恵、編集 スイスインフォ), swissinfo.ch



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