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日本・スイス国交樹立150周年 日本のポスター作家展 スイスの館長、美しさと独自性を絶賛



ウンナナクールのポスター。対になったものの一つ

ウンナナクールのポスター。対になったものの一つ

「日本のポスター作家展 - 桜と修行 -」の会場に立ち、とにかく美しいと溜息をもらす。チューリヒ・デザイン美術館のブレンドル館長だ。日本・スイス国交樹立150周年を祝い、1950年から今日までの日本のポスター300点を一堂に集めた。とりわけ、コンセプトや空間の処理が「考えられないほど独自。やはり背後に日本の伝統があり、多くの発見に満ちている」と言う。

 赤いワンピースの女性が鉄棒につかまり、横で黄色いワンピースの女性が前回りをしている。青空をバックに赤と黄が色あざかなポスター。「ウンナナクール」の文字が2人の間にひそかに書き込まれている。若い女性の下着を中心にしたワコールの子会社だ。左に対になってもう一つポスターがあり、2人の女性が同じく鉄棒をしている。下に「ぱん つう まる みえ」の文字が踊る。

 「美しく、コミカルで芸術的。素晴らしい」とクリスティアン・ブレンドル館長。しかし、ぱん つう…の文字を指し、「何という意味ですか?」と記者に尋ねる。意味を説明するが、(パンツは全く見えていないわけで)言葉と表現されている色・形があまりにかけ離れているらしく「スイスではありえないコンセプト」と首を振る。

 

 日本の若い女性だったら、赤と黄色の服に明るい気分になり、少女のころの鉄棒の楽しさを思い出し、「ウンナナクールの下着をつけるとうれしくなれそう」と、買う気になるのではないかと思える。こういう、気分や雰囲気でまず消費者の心をつかむ「間接的手法」が日本のポスターの特徴の一つのようだ。

 スイスでは、同じ下着のポスターでも、3人の女性が売り出し中の「パンツ」をはいて後ろ向きに並ぶといった直接的な「品のない」広告がある。対照的だ。

人を惹きつける間接的手法

 ウンナナクールのポスターで見た日本の間接的手法。だが、それにも微妙に違いがあるようだ。

 灰色の紙の上を殴り書きの白線がぐるぐると走り、ところどころにバッテンの印があり、米国人抽象画家ジャクソン・ポロックの作品のようなポスターがある。何の宣伝だろう?「よく見てください。ここにBatsuの文字が」と館長。確かに極小の文字が青く囲ってある。衣服のブランド「Batsu」をグラフィックデザイナー、サイトウマコトが手掛けたものだ。

 

 「色、線のダイナミックな動き。若者はこのしゃれたアート性にまず惹かれ、これに自分を同化させる。その結果、この会社の製品を買う気になる」とブレンドル館長。ここでは、消費者は提示されている芸術性に惚れ込んで、製品に近づくという、もう一つの間接的手法が取られているようだ。

 「スイスだったら、『このパンタロンをはいたら幸福を感じる』という広告文を付け、そこにパンタロンをはいた幸福そうな若者の写真を載せるといった処理をする。絵と文が同じで、二重にメッセージを送る。つまらない。空間も余分な要素でぎっしりと埋まっている」と批判的だ。

 同じくサイトウマコトの作品で、レコード会社「ヴァージン・レコード」のポスターがある。黒人の顔があり、その目の部分がくるくると様々な円形に変形して連なっている。「まるでポップな黒人音楽のリズムがそのまま視覚化されたよう。音楽が画面に表現されリズムが聞こえてくるような体験は初めてだ」と館長は言いながらリズミカルに体を動かしている。そしてよく見ると、黒人の唇にかすかにVirginの文字が見える。

なぜ芸術的?

 以上のポスターは、クライアントのために制作されたものだが、ポスター作家が自分のために制作した作品もある。動植物の生命力を謳(うた)いあげた永井一正の「LIFE」シリーズだ。

 こうした、日本のポスターの芸術品的あり方を理解するには、展覧会場に設置されたビデオの中で、日本のポスターを解説しているデザイン評論家、柏木博氏の言葉がヒントになる。

 

 「日本では、1951年からポスター作家の協会ができ、これは1970年代まで約20年間続いた。ここではスポンサーに縛られないものを作ろうとした。それをクライアント側も許したという日本独特の歴史がある。その結果として日本のポスターはグラフィックデザイナーの創造性が前面に出る芸術性の高いものになった。こうしたポスターは、一般広告のように通りに貼られたのではなく、クライアントのオフイスに飾られた」

空間処理と研ぎ澄まされた純粋な造形

 実は3年前に、この永井一正と並ぶ日本ポスター界の巨匠、田中一光、福田繁雄の作品1200点が、大日本プリンティングからこのチューリヒの美術館に寄贈されている。今回は、初めてその一部を一般公開するという意図もあった。

 こうした中の一つに、田中一光の「写楽二百年」がある。写楽の浮世絵風の顔が様々な円形で囲まれ、一つのリズムを作る図柄だ。「ドイツ人画家のオスカー・シュレンマーの影響を受けているようだ。しかし同時に白い空間に円形を置くときのバランス感覚が素晴らしい。日本の伝統を感じる」と館長。どういった伝統だろう?「例えば禅の庭での石の配置。茶室空間にある、幾何学的・抽象的な線・形のリズムとバランスだ」。しかもそれは、若い世代のポスター(例えば、ウンナナクールのような)にも、脈々と受け継がれているという。

 もう一人の巨匠、亀倉雄策の東京オリンピックのポスターの前で、館長の称賛はとどまるところを知らない。それは、大きな日の丸の下に金色の五輪が描かれ、「Tokyo 1964 」の金文字があるだけのもの。「最小限の要素にまで切り捨てられている。この徹底した純化には感動する。それでいて、一瞬にしてすべてを伝えている」。さらに「純化ゆえの高貴さ深遠さもある」。

日本のポスター作家展 -桜と修行-

チューリヒ・デザイン美術館(Museum für Gestaltung)で、2014年2月12日から5月25日まで開催。

1950年代から現代までの作品300点が展示。

大日本プリンティングから2011年に同館に寄贈された日本ポスター界の3人の巨匠、田中一光、福田繁雄、永井一正の作品1200点の一部も公開され、この中に含まれる。

同館は日本のポスターを35万枚所蔵。

日本のポスターのコレクションでは世界一。

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カーテンの後ろを覗いて見てみるように

 しかし、館長の解説は称賛だけではなかった。ときには立ち止まり、うーんと首をひねることも。例えば安藤兼郷(かねさと)のポスターの前。それは、巨大で真っ赤な唇が宙に浮かびその上を枯葉が舞っている。左上には「ものいえばくちびるさむしあきのかぜ」の文字。

 館長がこの俳句の意味を記者に聞いてきた。記者は説明を試みたが俳句の意味するところそのものが館長には理解しがたいようだった。

 こう考えるうち、柏木氏の日本の建築家などの海外での活躍に比べ、グラフィックデザイナーの活躍は少ない」という言葉が頭に浮かぶ。それは、ポスターの制作がその国の文化や社会を深く知った上でないと難しいということから来るのではないか?

 展覧会場を一周したところで、館長は「とにかく、日本のポスターは芸術的で楽しい。目にとっての最高のプレゼント。視覚的ストレスの多い現代の生活の中でのオアシスだ。それに対しヨーロッパのもので特に商業的なものは、主張が全面に出ていて、これでもかと言わんとばかりに攻撃的だ」

 そして、「スイスの観客に、日本のポスターという優れた、しかも西欧のポスターの表現とはかなり違う世界を発見し、理解して欲しい。どのように作り上げられたのか?なぜこうきれいなのか?なぜ、何もない『空』の空間があるのか?などを、まるでカーテンの後ろを覗いて見るように追求して欲しい」と締めくくった。

swissinfo.ch


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