日本・スイス150周年を桜で祝う スイスにソメイヨシノと太白桜を植樹 子どもが親を想って花見をしてくれたら




フランスで育てられた20本の苗木。春が早く来たせいで植樹の日にはすでに満開

フランスで育てられた20本の苗木。春が早く来たせいで植樹の日にはすでに満開

ソメイヨシノ。江戸時代に改良された桜の代表格。これが太白桜と一緒に20本、日本・スイス150周年を記念して3月31日、スイス・ジュネーブの公園に植樹された。薄いピンクのソメイヨシノの後ろに東京品川区の寺から寄贈された梵鐘が覗いて見える。この植樹プロジェクトに参加したのはスイスの法人企業や永住者、長期滞在者たち。「将来、子どもや孫が親を想って花見をしてくれたら」と願う。

 「150周年にジュネーブ日本倶楽部(JCG)で何かできないか。それも一過性のものではなく長く残ることをしたいと考えていた」と、JCG元会長のアベル美穂さんは話す。

 そんなとき、自分たちがスイスという異国の地でスイス人に助けられながらも一生懸命生きている、ないしは「生きたという」証になるものは、ずんずん大きなっていく桜を植樹することではないか、と思った。

 「桜は90年生きるというでしょ。息子に、お母さんが亡くなったら桜を見て思い出してと言った。息子、そして孫がそんな風にしてお花見をしてくれたらうれしい」

 こうして、JCGのメンバー数人が「さくらプロジェクト」を立ち上げた。150周年だから150本植えたかったし、並木にしたかった。それにジュネーブ市内からはずれた場所だと誰も来ないから市内でと考えていた。「そんな条件では、とても無理でしょう」と周囲からは言われたけれど、「やってみなければ分からないじゃない」。

 そして実現した。それも国連のそばのアリアナ公園という一等地。20本だけだったが並木にもなりプレートも設置された。スイス人に「さくら」という言葉に馴染んでほしいと願って命名された「桜の並木道(Allée des Sakura)」という文字がプレート上で輝いている。

 植樹が終わった今、「大げさだけど」とアベルさんは一呼吸置いてこう言う。「ジュネーブに来た意味はこれをするためだったのかと思ったりする」

(Olivier Robert)

桜を味わうならアリアナだ

 一方の受け入れ側のジュネーブ市。こうした日本人コミュニティーの熱い思いをどう受け止めてくれたのだろうか?

 アベルさんは、環境・治安局の緑化担当のオリビエ・ロベールさんとの出会いが決定的だったと言う。「交渉の場で、ロベールさんはソメイヨシノという言葉を発音。びっくりした。日本の桜をはじめ日本のことをよく知っていた」。実は後で分かるのだが、奥さんが日本人。日本の野山は歩き回っている。 

 「植樹の提案はスムーズに承諾された」と、ロベールさん。理由は、まず環境・治安局長のギヨーム・パラゾーネさんをはじめ、ジュネーブ市が「日本・スイス国交樹立150周年」という政治的行事への参加に積極的だったからだ。しかし一番の理由は、たまたまジュネーブ市のコンセプト「テーマパーク」に、桜の提案がぴったりだったからだという。

 それは、各公園にすでに植わっている樹木をもっと増やすことで公園の特徴を際立たせ、各季節に「あの公園に行けばあの木・あの花に出会えるようにする」というもの。こうしてアリアナ公園を、すでにある12本の桜に今回の20本を足すことで、「桜を味わうなら、アリアナだ」という風にしたいと考えた。「今後、ジュネーブの人にとってアリアナ公園が桜の象徴の場になるのは間違いない」

 ただし、今後もっと桜がこの公園に増えるかといえば、そうではない。あくまで公園の一部を「日本の桜の景色を見る場所」にとどめるだけ。「ほかの部分はアリアナ美術館固有の歴史的背景があるので触りたくない」

 ところで、今回選ばれた太白桜とソメイヨシノだが、「特にソメイヨシノは日本の桜の代表。江戸時代に実ではなく花だけを楽しむようにと品種改良され、それが山野に広がり日本の風景を形作った」と、ロベールさんがスイスで講釈する。

これから100年、桜はすくすくと成長

 スイスには、樹齢100年を超すような桜は「僕の知る限り存在しない」とロベールさん。病気や嵐にやられるからだ。「とにかく、日本の気候風土ほど桜に適しているものはない。しかし、野生の桜がスイスの山にたくさんあるようにスイスの気候も決して悪くはない」

 これから100年、20本の桜はすくすくと成長するとロベールさんは保証する。「幹は40、50センチにもなるだろう。それをを見込んできちんと間を開け植樹した」

 また、すでに植えてあった12本の桜の濃いピンクと今回のソメイヨシノなどの白さが濃淡を織りなすように、そしてこの「桜の雲」の合間に品川の梵鐘(ぼんしょう)が浮かぶように設計もした。梵鐘は、1870年代に品川寺から消え数奇な運命をたどった後、公園内のアリアナ美術館の開閉を告げる鐘として長年使われていたもののレプリカ。「梵鐘は忘れられがちだったが今回の桜並木でまた人々の心に蘇ることだろう」

 梵鐘と桜並木という「日本の心」の空間が誕生したことは確かなようだ。今週初めの雨上がりの午後、スイス在住の日本人の互助会「ケアチームジャパン」のメンバー10人が梵鐘のそばを散策していた。会の茶話会に桜を眺めにここに来たという。あいにく前日の雨で半分は散っていた。「でも、来年は絶対にここで花見を企画します」と幹事の1人は言った。

品川寺の梵鐘とアリアナ美術館

現在、ジュネーブ国連ヨーロッパ本部横のアリアナ公園の「品川寺の梵鐘」はレプリカだ。

同公園にあるアリアナ美術館を創設したジュネーブの美術収集家、ギュスターブ・レビリオが1873年、「スイス・アーラウの鋳造所が東洋美術品を大砲に鋳直している」と聞き、溶かされる寸前に救い出したのが品川寺の梵鐘だった。その後、梵鐘は庭で美術館の開閉を告げていた。

1919年、ある日本人留学生が「これが品川寺の行方不明の梵鐘」と気づく。それを知った同寺の仲田順海住職は1928年、ジュネーブ市に返還を願う手紙を送った。

1929年、「梵鐘のない寺の意味」を理解したジュネーブ市は返還を承諾。翌年、梵鐘は東京に戻った。順海住職の息子、仲田順和住職は約60年後の1991年、梵鐘返還の礼にレプリカをジュネーブ市に寄贈。それが現在アリアナ公園にある梵鐘だ。

1992年、このレプリカに魂を入れる新梵鐘開眼供養式が真言宗醍醐寺と品川寺の僧侶によって行われ、これを契機にジュネーブ市と品川区は友好憲章を交わしている。

品川寺の梵鐘が日本から姿を消したのが、まさに日本とスイスが修好通商条約を結んだ数年後の1870年ごろ。そんな150年の歴史を秘める鐘が、両国の国交樹立150周年で再び脚光を浴びるという不思議さがある。

一方、古今東西の陶器とガラス工芸品をコレクションするアリアナ美術館は、日本の古い陶器も750点収集している。

「うちは東西の文化交流を象徴する美術館。中でも日本は、陶器において歴史的に非常に重要だ。また現代でも多くのスイス人陶芸家が日本に勉強に行く一方、今行われている展覧会には若い日本人陶芸家が展示。こうしたすべての日本とスイスの交流において、アリアナは公園の一部に桜が植樹されたことを本当にうれしく思う」と館長のイザベル・ネフ・ガルバさんは話す。「それに、毎年桜が咲く季節には、品川寺の梵鐘の歴史も思い起こすことができる」

swissinfo.ch



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