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世界で一番長く存続している「機関」、バチカン

秘密選挙「コンクラーベ」に到着した枢機卿 AFP

カトリック教会のトップであり、バチカンという国家の長でもあるローマ法王。その地位にあった法王ベネディクト16世の存命中の退位は、大きな波紋を広げた。その後継者を決める選挙が今日12日に始まる。教皇政治の歴史を専門にする、ローザンヌ大学のアゴスティーノ・パラヴィチーニ名誉教授に、バチカンの歴史や役割などを聞いた。

 266代目の法王を決定する秘密選挙「コンクラーベ」は、ここ数年間カトリック教会を直撃した内部文書の流出事件や同性愛問題によって大きな影響を受けることになる。

 しかし、「バチカンというこのローマ法王庁は、今までも歴史上の多くの危機を乗り越え存続してきた」と、パラヴィチーニ名誉教授は話す。

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swissinfo.ch : 存命中に退位したローマ法王ベネディクト16世とその後継者の選挙は、(教会の現代化を図った)第2バチカン公会議とその後の保守化の流れの両方から影響を受けているのでしょうか?

パラヴィチーニ : まさに、ベネディクト16世の退位は、こうした問題を白日のもとにさらしたと言えます。革新的なグループは、法王の存命中の退位を教会の現代化の印と受け取り、他方の保守的なグループはこうした現代化に当惑しています。

いずれにしても、ベネディクト16世の退位において最も革新的なのは、退位そのものと、退位後も司教としてバチカンにとどまるということです。これは雪だるま式に、さまざまな反応を引き起こすのではないでしょうか。なぜなら、ベネディクト16世が司教として残ることは、法王の非神聖化につながるからです。しかし一方、司教のトップとしての地位は確保されるわけです。

何はともあれ、世界でこれほど長く続いた「機関」は存在しません。歴史家としては、この機関が絶えず新しい要素を取り入れながら、どのように存続していくのかを見ることはぞくぞくするほと興味深いものです。

swissinfo.ch : バチカンの外交力は、世界的な社会問題を解決する上で今後有効に働くのでしょうか?

パラヴィチーニ : 大きな社会問題に関し地球規模の対話が行なわれる中で、バチカンは過去20年、自らの役割を探り続けてきました。

これは今後も続きます。特に、もし新しい法王がヨーロッパ大陸以外から選ばれるとなると、バチカンが社会問題を解決する上で、外交力は大切になってきます。

また新しい法王は、バチカンとカトリック教会が直面する諸問題も解決していくと思います。

スイスにおける教皇大使館が1597年、ルツェルンに開かれた。これは北アルプスにおけるバチカン大使館としては最古のものだった。

1848年、プロテスタント諸州とカトリック諸州の対立による紛争後、スイス連邦が成立。これに伴いローマ法王はルツェルンの大使を通してのみ、スイスのカトリック教徒の代表を務めることに決定される。

1920年、スイス政府はしばらく中断されていた教皇大使の復活を認める。よってベルンに置かれた教皇大使館のみが、バチカンとスイスの関係をつなぐ役割を負う。

1991年、スイスは在バチカン・スイス大使をバチカンに送る。こうして、はじめて相互的な関係が樹立される。

2004年6月、ジャン・ポール2世のベルン訪問の前日、スイス政府は当時プラハにいた大使をバチカン専属の大使に任命。

2010年以来、在バチカンであるべきスイス大使は、スイスのベルンで勤務することに決定する。

2011年以来、ポール・ウイッドメール大使がバチカンのスイス大使として、ベルンで勤務している。

swissinfo.ch : いつからバチカンの外交というものは始まったのでしょうか?

パラヴィチーニ : 11世紀にローマ教皇は外交制度を構築し、16世紀に各国の大使のようなローマ教皇特使を設けました。

当時、バチカンは「巨大な支配者」でした。広範囲に、しかも迅速に情報が伝達される外交的なネットワークを持っていたのです。中世においてこのネットワークは、王や皇帝の所有していたネットワークより重要なものでした。

1日に70キロメートルもの距離に、情報が伝えられるシステムだったのです。

15、16世紀になると、イタリア王国やヴェネツィア共和国などもこうしたネットワークを発展させていきます。しかし、何世紀にもわたり、どの君主といえどもバチカンほど広範囲なものを持つことはできませんでした。

ところで、昔から情報をより多く手に入れたものが、敵に対しても仲間に対しても支配力を持つということは変わりありません。

swissinfo.ch : こうしたバチカンの外交にとって、ナチズムの台頭はどのようなインパクトを持ったのでしょうか?

パラヴィチーニ : 当時、外交はすべて水面下で行われていました。ピオ11世がナチズムの台頭に非常に批判的だったのに対し、後継者のピオ12世は沈黙を守ったのです。これは、今も議論を呼んでいますが。

swissinfo.ch : 冷戦時代、バチカンの外交はどのように動いたのでしょうか?

パラヴィチーニ : バチカンに敵対心を持っていた旧ソ連に対し、バチカンはその基本姿勢を守るため非常にデリケートで巧みな政策を使いました。

この巧みさは、ポーランド出身のジャン・ポール2世を法王に選ぶときにも使われたのです。ジャン・ポール2世は、実はこの対ソ連の政策に関わった人です。

当時CIAのトップが、バチカンにしばしば来ていたと言われているほどでした。

swissinfo.ch : スイスとバチカンの関係はどうでしたか?

パラヴィチーニ : スイスとバチカンの関係は長い間、非常に複雑でした。特に19世紀の教会と諸州との間の衝突により、宗教的な平和には最大限の注意を払うようになり、結果としてバチカンのように宗教的過ぎる国の代表者を敬遠しました。

しかし一方で、非常に緊密なコミュニケーションを取っていました。特に第2次世界大戦の間は、お互いの連絡が密になっていました。

( 仏語からの翻訳・編集、里信邦子 )

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