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歴史あるベルニナ鉄道、未来を展望

モルテラッチュ ( Morteratsch ) 近くのモンテベロカーブを、ピッツ・ベルニナ山を背景に走るベルニナ急行 © Rhaetische Bahn, Chur/ Foto: Andrea Badrutt

スイスの私鉄レーティッシュ鉄道のベルニナ線は今年100周年を迎えたが、見事に保全されている。比類ない美しさを持ちアルプスを駆け抜ける線路は、今も多数の観光客を魅了する。


ベルニナ線は2008年にユネスコ( UNESCO ) の世界遺産に認定されたが、当初、その達成は危ぶまれた。レーティッシュ鉄道の経営陣を動かしたのは地元住民による運動だった。

過去から未来へ

 ベルニナ線の開通式は1910年7月5日に行われた。ガタガタと音を立てている電車が線路上で連結された。スイスのサンモリッツとイタリアのティラノを結ぶ初の電車だ。連邦大臣のヌマ・ドロツ氏がベルニナ峠を越える鉄道の建設を提案してから12年、そして工事が始まってから4年の月日がたっていた。

 しかしベルニナ線は、直ちに大盛況となった。その年の8月までに約9万2000人の観光客が乗車した。地元の住人にとって電車代は高価すぎたが、気にとめることはなかった。地域の発展や、電車を運行させるためにカンポコローニョ ( Campocologno ) 水力発電所が生み出した雇用と電気など、ベルニナ線は住民にも恩恵をもたらしたからだ。

 ベルニナ線開通から100年を経た今年、多くの記念行事が行われる予定になっている。これは単にその歴史を振り返るためではない。二つの世界大戦、その後立て続けに起きた経済不況、車との競争、電車の特長に対する近視眼的な過小評価を生き残ったベルニナ線には未来がある。

スパイラルな驚異

 ベルニナ線の「小さな赤い電車」のファンは世界中にいる。スイスのブルシオ ( Brusio ) にある弧を描いて走るループ式高架橋の複製が、2000年にコスタリカで完成した。この高架橋の建設は、コスタリカに駐在していたスイス人のアイデアから生まれた。彼は、滞在先のホテルとパノラマ眺望を持ったレストランを結びつけるらせん状の橋の建設を考えていた。
 
 コスタリカのループ式高架橋のもとになったブルシオの九つのアーチを持つ高架橋は、電車が山を登る際にらせん状に走ることによって急勾配を緩和するために作られた。岩山と栗の木の林を背景に立つブルシオのループ式高架橋は、優美さを備えた傑作だ。また技術面からも、この種の橋としては初の高架橋ではないものの、世界中でまたたく間に評判を呼び、ベルニナ線のシンボルとなった。100周年記念祝賀祭はこの高架橋でも行われる。

 快適な乗り心地のほかにも、乗客はエンガディン ( Engadin ) 地方の森、ピッツ・ベルニナ山の万年雪、グラウビュンデン州のアルプスの最高峰、標高4049メートルのヴァル・ポスキアーヴォ山の谷、ティラノの聖母の聖堂を車窓から眺めることができる。
「2時間という限られた時間内で、それぞれ異なる言語を話す三つの地域とスイスの国境を通り越し、氷河のある地域からヤシの木の生えている地域まで移動できるような土地がほかにあるでしょうか」
 とベルニナ線を運営するレーティッシュ鉄道の副取締役シルヴィオ・ブリッコラ 氏は言った。

宣伝文句は「ユネスコ認定」

 ベルニナ線そしてサンモリッツとグラウビュンデン州の州都クール ( Chur ) の間を走るアルブラ線が、2008年に国連の文化機関ユネスコの世界遺産に認定された際の決め手となったのは、高度な鉄道技術と沿線の地方の豊かな自然と文化の強いつながりだった。

 昨年は100万人以上の乗客がベルニナ線を利用した。
「ユネスコ認定の効果を数値で表すのは難しいのですが、観光客の数と粗利益が増えたことは確かです」
 とブリコッラ氏は言う。現在レーティッシュ鉄道は、ユネスコのお墨付きを誇りにし、観光客とジャーナリストへの宣伝に活用している。第1回目の100周年記念式典には、外国のメディアが多数参加した。

 しかしレーティッシュ鉄道の経営陣は、当初ベルニナ線のユネスコの世界遺産への登録について消極的だった。
「登録を決定した結果、生じる影響を査定するための基準となる例が全くなかったのです」
 とブリコッラ氏は説明した。
「わたしたちにとって大切なことは、ベルニナ線が鉄道博物館になってしまったり、開発の機会を失ったりしないことでした。さらに、すでにかさんでいた維持費の増加を認めることはできなかったのです」

 そのため2004年にレーティッシュ鉄道は、アルブラ線の方が技術面からみてより興味を引くであろうと判断し、ユネスコの世界遺産の候補地にすることに決定した。

立ち上がった地元住民

 レーティッシュ鉄道の経営陣は、ヴァル・ポスキアーヴォ ( Valposchiavo ) の住民を考慮していなかった。
「美しく素晴らしい特性を持ったベルニナ線を除外することはできません」
 とヴァル・ポスキアーヴォ観光局の局長カシアーノ・ルミナッティ氏は語る。
「この決定を覆すために、わたしたちは委員会を設置し、ベルンやイタリアに持っているありとあらゆるつてを使って、レーティッシュ鉄道の経営陣が決定を変えるまで運動を行いました」

 最終決定が正しかったことを疑う人間は現在1人もいない。
「これは自らが信じることのために戦ってきた地方の人々のプライドに対する正しい対応でした」
 とブリッコラ氏は言った。

 ところが矛盾したことに、ベルニナ線を使用する地元住民はほんの少ししかいない。
「それは事実です。ほかに選択肢がない時しか電車を使いません」
 とルミナッティ氏は認める。問題は、電車が遅すぎることだ。ベルニナ線の電車は、車で45分しかかからないところを2時間かけて走る。

 しかしベルニナ線は雇用を提供する。実際誰もが、ベルニナ線で情熱を持って働いている、または働いていた人を知っている。その中には、昔の機関車「コッコドリロ ( coccodrillo ) 」ことGE4/4 182号を無償で修理している定年退職者もいる。

 情熱と感謝もまた、展覧会、公演と100周年記念祝賀祭の数多いイベントのテーマだ。

ドリス・ルチーニ、swissinfo.ch
( 笠原浩美 訳 )

1906~1910年にアルブラ鉄道と同時期に建設された。両者とも世界遺産に認定されている。
エンガディンのサンモリッツとイタリアのティラノ間を結び、イタリア語圏のグラウビュンデン州にある四つの谷のうちの一つヴァル・ポスキアーヴォ谷を越える。
ベルニナ線は前長61kmにすぎないが、標高1850mのエンガディンから、2253mのオスピッツィオ・ベルニナ ( Ospizio Bernina ) まで登り、その後標高429mのティラノへ降りる。
電車は70%の傾斜を、歯車を用いたラック式を使用せずに走ることができる。また、トンネルを通らずにアルプス越えをできる唯一の路線。
さらに、材木 ( 北から南へ ) や石油製品 ( 南から北へ ) の運搬のための優良な手段としての役割を果たしている。
日本の箱根登山鉄道とは姉妹提携をしている。

本来ベルニナ線は、夏期にのみ運行されていたが、1913年までに年間を通じて運行されるようになった。100周年記念祝賀祭が今年1年間中開催されるのはこれが理由となっている。祝賀祭は1月にサンモリッツから始まり、5月8~9日にティラノで開催される式典まで継続して行われる。
初夏 ( 6月18~20日 ) には、スイスの大統領ドリス・ロイタルド氏が参加するイベントがヴァル・ポスキアーヴォで開催される。ブルシオのループ高架橋がこの祝典の中心地となる。
最終祝典は、9月18~19日にポントレジーナ ( Pontregina ) のエンガディンに戻って行われる。
ベルニナ線と箱根線は、1979年に姉妹関係を結んだ。ベルニナには「Hakone」と記された赤い車両 が走っている。
両者とも登山電車の路線という共通点を持っているが、ベルニナ線を利用する日本人観光客はまだ少ない。
レーティッシュ鉄道は、ユネスコの世界遺産認定を機に現状が変わることを期待している。世界遺産への認定は、アジア人観光客がヨーロッパの観光地を選ぶ際に使う基準の一つ。

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SWI swissinfo.ch スイス公共放送協会の国際部

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