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今だから、美人画の世界に惹かれる

歌川豊国の浮世絵「風の中の花」 Honolulu Museum of Art

ホタル取りに夢中の女たち、恋人の肩に乗り短冊を桜の枝に付ける女、一服のお茶を飲む女。浮世絵に描かれたこうした女たち、いわゆる「美人画」の、しかも質の高い作品100点が、チューリヒのリートベルク美術館に、「瞬間の美しさ‐絵の中の女性たち展」として展示されている(7月7日~10月14日)。

 鈴木晴信や喜多川歌麿などの名品に出会えることも格別。しかし一方で、女たちの上述したような生活の一コマ、しかも心がなごみかつ美しく表現された瞬間は、経済危機や原発事故など激動の今だからこそ心にしみる。それは、しばしば理想化された表現が使われているのだと理解した上でもそうだ。また、二次平面でありながら「環境・雰囲気」を伝える独特の手法や、映画のように時間の連続性を伝える手法で、見る者のなごみのときをより増幅させてくれる。

ある種の哲学

 「仏像、びょうぶ絵、浮世絵など、日本の芸術はもしそれらの質が高ければ世界のトップだと確信している」とクリスティーヌ・ギンスベルグ学芸員は言う。自らの博士論文のテーマである長谷川等伯の展覧会や観音菩薩の展覧会などの企画で、質の高い日本の芸術をリートベルクに持ってきたことで知られる。

 ただし、質の高い浮世絵を見た経験がなかったため、浮世絵というものは一般大衆向けで、宗教的ないしは精神的な高みがない芸術だという偏見を今まで持っていたと語る。ところが、ハイレベルの浮世絵コレクションにハワイの美術館で出会い、この偏見が崩れ去った。「歌麿の、この湯上がりの女性。ここにはそのさわやかな一瞬がすべて凝縮されている。額にかかる、ほどけた3本の髪が湯上がりを思わせ、耳にあてたタオルから耳がぬれていることも感じられる。もう一つの手にしたうちわから夏の暑い空気が伝わってくる。こうした繊細な細部のニュアンスで、すべてが演出されている」と感嘆する。

 さらに、なごみのある日常の瞬間を優れた構成や色彩で画面に定着させ芸術的に高めることで、「世俗的な浮世絵」は精神的な高みへと昇華していると話す。「人生のこうした瞬間を愛でることを日本人は知っている。それはある種の哲学だ」

 では今回、浮世絵を見るスイス人もお茶を飲む瞬間や夕涼みの瞬間の大切さを、日本人のように感じるのだろうか?「日本人ほどではないが、大切だと感じると思う」。「私だって、恋人の肩に乗って桜の枝に短冊を付ける。こんな瞬間は素晴らしいと感じる。それこそが人生の醍醐味(だいごみ)。そこにこんな風に春の嵐が吹くなんて、まさに至福の時だ」と、ギンスベルグ学芸員は歌川豊国の浮世絵「風の中の花」に見とれる。

その場面の環境・雰囲気

 ギンスベルグ学芸員が歌麿の湯上がりの女の絵を「さわやかな湯が上りの瞬間の凝縮」と絶賛したように、いわば浮世絵には「その場面の環境・雰囲気」がすべて表現されていると評価する美術関係者は多い。今年フランス人の画家ピエール・ボナール(1867~1947)の展覧会をバイエラー美術館で企画したウルフ・キュスター学芸員も、「例えば北斎のように一つの画面に風も雨も光も、そこで動く人々まで表現する浮世絵に影響を受けたボナールは、同じようにその場の雰囲気すべてを画面に定着しようとした」と語っている。

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 実際、お宮の参拝者が突然の嵐に遭う鳥居清長の浮世絵では、雨は斜めの線で表され(キュスター学芸員によると、雨を直接描いた西洋絵画はない)、強風は女性拝観者の着物の揺れやそばの池の荒い波から感じらとられる。また、門の屋根の下にたどり着いた人が体をふく動作からも雨のすざまじさが感じられる。まさに嵐の一瞬は、多角的な要素で総合的に表現されている。おまけに雲の上には嵐を起こした鬼まで描かれている。

時間の連続性

 一方、浮世絵には二次平面の閉じられた空間でありながら、にくいまでの手法で時間の連続性を感じさせる表現が使われる。

 歌麿の作品で、春の夕刻藤棚にちょうちんを飾る3人の女性を描いたものがある。1人は低い姿勢でちょうちんに火をつけ、2人目は火のついたちょうちんの形を整え、3人目は伸び上がって藤棚にちょうちんを付けている。3人は着物も髪飾りも異なるため違う人物なのだが、それはまるで同一人物の一連の動作を説明するかのようだ。こうして見る者は、二次平面に時間の流れを感じ取る。

 同様に、やはり歌麿の作品に、吉原(よしわら)で遊ぶ男たちを描いたものがある。画面の右端に1人の男が蚊帳の中でキセルをくわえる。そばに立つ着流した女の様子から情事の後だと分かる。画面中央には、女に誘われながら2人目の男がその様子を眺めている。画面左端には、きちんと着物を着た男が階段を下り帰宅しようとしている。

 この3人も、髪形や着物などから年齢も身分も違うと感じる。だが、それらは、まるで1人の客が吉原で遊ぶ時の一連の動作(到着して眺め、情事を行い帰宅するといったもの)を説明しているようであるため、まるで映画のような時間の流れを感じる。

 この時間の流れの線は中央から右に行き、また中央を通過して左端に行くようなダイナミズムがある。さらに、3場面ではそれぞれの男に女たちが2人ずつ付き、彼女たちの顔の傾け方や目線から、3場面に固有のにぎやかな会話が聞こえてくる気がする。そのため、見る者はそれぞれの場面でしばし留まりさまざまな想像をし、また次の場面に移るといった時間の使い方ができる。

浮世絵から受け継がれた伝統

  こうしてゆったりと美人画を眺めた後、展覧会場の奥に「男湯」と書かれた扉があるのに気づく。昨年ヴェネチア・ビエンナーレ日本館に選ばれた映像インスタレーション作家、束芋(たばいも)さんの作品を鑑賞するための入り口だ。

 ギンスベルグ学芸員は束芋作品を浮世絵展と並列した理由を、「美人画で描かれている世界の一つである吉原には、美しいことだけがあったのではない。裏にはどろどろとしたものがあった。こうした裏の部分を束芋は、現代の『表現の自由』のお蔭で、どうどうと表現している。だから並列したかった」と説明する。

 三つの画面に立体的に展開されるビデオ作品の一つには、公衆便所の中で流される胎児の話などが暗示される。「自分の生活の1メートル範囲ぐらいの所で起こった出来事に目を向けたかった」と束芋さん。「浮世絵から影響を受けているとしたら北斎の色使いからだ。北斎の色使いは自分の色彩感覚にぴったりだった」とも話す。

 昔のなごみの世界から、突然に突きつけられる現代の現実。紙と複雑なビデオインスタレーションの対立。だがそこには、「日本のアニメやビデオ作品、優れたデザイン製品などに見られる完璧さには、浮世絵から受け継がれたものがある」とギンスベルグ学芸員が語る「もの」が束芋さんの作品の中にも確実にある。そういう意味でも、この並立は優れた選択のようである。

チューリヒのリートベルク美術館(Museum Rietberg)で、7月7日から10月14日開催。

浮世絵の「美人画」、「風景画」、「役者絵」のカテゴリーの中から、18世紀から19世紀の「美人画」だけが100点集められた。

ほぼ全作品がアメリカのホノルル美術館(Honolulu Museum of Art)から貸し出されたもの。同美術館には約1万点の優れた浮世絵が収集されている。

さらに、浮世絵をモデルにした写真と日本の映像インスタレーション作家、束芋さんの作品も同時に展示されている。

映像インスタレーション作家。1975年兵庫県生まれ。長野県在住。1999年、京都造形芸術大学卒業制作として発表したアニメーションを用いた、インスタレーション「にっぽんの台所」がキリン・コンテンポラリー・アワード最優秀作品賞受賞。以後2001年第1回横浜トリエンナーレ、2002年サンパウロ・ビエンナーレ、2006年シドニー・ビエンナーレ等数々の国際展に出品。

主な個展に「ヨロヨロン」(2006年/原美術館)「断面の世代」(2009年/横浜美術館、2010年/国立国際美術館)など。2011年ヴェネチア・ビエンナーレ日本館代表作家へ選出され、新作「てれこスープ」(2011)を日本館で発表。

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