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チューリヒのクラブと契約 「スイスでプロサッカー選手に」海外で夢に挑む日本人

飯野多希留さん

スイス5部リーグのサッカークラブ、バッサースドルフに加入した飯野多希留さん(左)

(swissinfo.ch)

日本から遠く離れたスイスでプロサッカー選手を目指す若者がいる。東京都出身の飯野多希留(いいの・たける)さん(24)だ。このほどスイス5部リーグのクラブ、バッサースドルフ他のサイトへ(チューリヒ)に加入。言葉のハンデをものともせず、ただ一人の日本人選手として日々技術を磨いている。

  バッサースドルフの練習は週3回、チューリヒ空港に程近いサッカー場で行われ、毎週末には試合がある。選手の年齢は19歳から32歳と幅広く、多くがプロ選手を目指してしのぎを削る。スロバキアからの外国人選手もいるが、ほとんどがスイス人だ。

 飯野さんは6歳から東京都、千葉県のサッカークラブに所属し、スイスに来る前はドイツ下位リーグのクラブ・メンディヒ他のサイトへでプレーしていた。中央大学文学部ドイツ語文学文化専攻に在学中、子供の頃から夢だった欧州サッカー留学を決意し、エージェントを介して契約にこぎつけたチームだった。

 メンディヒには2014年から所属していたが、昨年、大学に復学。再び欧州の地を踏むため都内のテレビ局で毎日8時間、アシスタントのアルバイトに明け暮れ、渡航費用を貯めた。

「君ならスイスでプロになれる」

 そんな時、バイト後に時々参加していた駐日ドイツ大使館のサッカーチームで知り合ったスイス人男性に「君ならスイスでプロになれる」と背中を押された。スイスも同じドイツ語圏。「新しい場所で、新しいサッカーを学べば、自分の視野をもっと広げられるのではないか」。あくなき向上心がスイス行きを決断させた。

 ただスイスには何のつてもない。スイスに詳しいエージェントも見つからなかった。「それが逆にチャンスだと思った」(飯野さん)。インターネットでスイスの2部、3部リーグのクラブを探し、片っ端からドイツ語で「練習に参加したい」とメールを送った。だが返事をくれたのはほんの一握り。しかも「すぐ練習に来られないのならいらない」と断られた。「現地に行かなければ始まらない」。今年3月、大学を卒業してすぐスイスに飛んだ。

 メールや電話でコンタクトを取ったチームは50を超えた。バッサースドルフの監督には電話で頼み込み、トライアウトに参加。すると実力をかわれて「ぜひうちに」と言われた。トライアウトに参加した別のクラブからも引き合いが来たが「バッサースドルフの監督の熱意に押されて入団を決めた」という。

スイスドイツ語の壁

 練習に参加するようになってすぐ、「スイスドイツ語の壁」にぶち当たった。大学と2年間のドイツ生活で、ドイツ語のコミュニケーションは何の問題もなかったが、スイスドイツ語はドイツで話される標準ドイツ語とはかなり異なる。スイス人は標準ドイツ語を学校で習うが、わざわざ普段の生活で使う人はいない。「監督の指示が聞き取れず、まごついてしまうこともあった」。だがそんなときは自分からチームメートに標準ドイツ語で話しかけ、助けてもらった。

 言葉のハンデがある分、プレーでアピールしなければ認めてもらえない。元々は前方にボールを送るロングフィードとディフェンスが自分の強みだったが、ゴールに絡むプレーに積極的に関わるようになった。「別のチームの練習に参加したとき、紅白戦で計18点取った。そうしたら監督の見る目が明らかに変わった」。海外のチームで生き抜くために、自分で考え出した戦略だった。

 チームメートとは「言葉が完璧でなくても、笑いを取れば打ち解けられる。監督の物まねは鉄板」と屈託なく笑う。日本にいたときは考えられなかったが、意見があれば監督にも向かって行くようになった。「海外に来てプレーのレベルはもちろん上がった。それ以上に自分の意思を伝える図太さが身に着いた」と話す。

海外を目指す子供たちへ 飯野多希留さんのメッセージ

今年、スイス・チューリヒにある5部リーグのサッカークラブ・バッサースドルフに加入した飯野多希留さん(24)。遠く離れた異国の地で、プロサッカー選手というゴールを目指すために必要なこととはー。

 バッサースドルフとの契約は1年間。スイスは1~3部の上位リーグでないとプロ選手として認められずビザが下りない。そのため今は、ビザを出してくれる仕事を探している。友人とチューリヒ市内のアパートをシェアし、貯金を切り崩して生活している。

 「それでも苦に思ったことはない」と飯野さんは話す。子供の頃、テレビで見たダイナミックな欧州サッカーのとりこになり「欧州でプレーする」ことが目標になった。大学でドイツ語を専攻したのもそれが理由だった。「不自由なことは多いけれど、新しい環境で挑戦出来ることが楽しくて仕方がない」と目を輝かせる。

飯野多希留さん

「一人ひとりがエゴを前面に出していくドイツと違って、スイスは和を重んじる」。2カ国のサッカーの違いを経験できたことも、大きな収穫だったと語る

(swissinfo.ch)

「無理はしても、無茶はするな」

 遠く離れたふるさとから応援してくれる家族の存在も大きい。スイスに発つとき、父親から1通のメールをもらった。「無理はしても、無茶はするなよ」。普段は何も言わない父親の、息子を案じる親心を痛いほど感じた。飯野さんは「ここまで自由にやらせてくれた家族には本当に感謝している。いつか恩返しがしたい」と話す。

 今シーズン初日の練習となる4日夜は新監督の下、ゲーム形式で汗を流した。練習に参加してまだ2週間だが、周りからは「タケ」と呼ばれ、すっかりなじんでいる。

 奇しくも本田圭佑選手と同じ4番を、このチームでは背負うことになった。「ここで技術を磨いて、上位リーグに上がる。そしてスイスでプロ選手になりたい」。24歳の挑戦は続く。

飯野多希留(いいの・たける) 

1993年生まれ。東京都出身。ポジションはMF。

6歳でサッカーを始める。豊南SC-浦安JSCジュニアユース-浦安JSCユース-浦安SC(現ブリオベッカ浦安)に所属。中央大学文学部に在籍していた2014年、大学を休学してドイツにサッカー留学。ドイツ下位リーグのクラブ・メンディヒでセミプロ選手としてプレーした。2017年に復学。今年3月、スイスに拠点を移し、5部リーグのクラブ・バッサースドルフに加入。

四人きょうだいの末っ子。チューリヒ在住。

飯野さんのブログ「THE失敗談他のサイトへ

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