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河瀨直美監督、かけがえのないものを映画に刻んでいきたい

「塵」の最後は、おばあちゃんのお骨の大写しで閉じる 提供、組画

線香の青い煙が画面いっぱいに漂う。やがて極端なクローズアップで顔の一本一本のしわが現れる。耳さえも不思議な造形の凹凸を見せる。それはいとおしい人の顔をゆっくりと指でなぞるような感覚だ。第65回ロカルノ国際映画祭でワールドプレミアとして上映された河瀨直美監督(43)の「塵(ちり)」は、今年2月に亡くなった監督の養母「おばあちゃん」を綴(つづ)ったものだ。


10年前に「きゃからばあ」をやはりロカルノに持ってきた河瀨監督。「実の父親を探す話『きゃからばあ』も『塵』も私の人生の節目となる作品。そういう意味でロカルノは大切な場所だ。私のおばあちゃんは今一緒にここにいて、映像を通じて皆さんの経験と重ね合わせながら皆さんの心の中で再び生きてくれると思う」と上映前のスピーチで話した。

 河瀨監督作品は今回、「コンペ外部門」に選ばれたこの「塵」(2012)以外に、「につつまれて」(1992)、「かたつもり」(1994)、「きゃからばあ」(2001)、「垂乳女~Tarachime~」(2006)が「映画の歴史部門」で特集として上映された。

 この過去の4作は、幼い時に実の両親と別れ河瀨家で育った、監督のトラウマによる苦悩を追い続けた「プライベートなドキュメンタリー」。全作がつながっており、今年の「塵」が最愛のおばあちゃん(河瀨宇乃)を亡くしたために、これまでのドキュメンタリーの「締め」になる。だが、監督の苦悩は創作の源泉であり、それを純粋に描くドキュメンタリーは長編のフィクション映画にインスピレーションを与えるものであるため、今後もこの創作は続いていくだろう。

生まれた時のトラウマ

 さて、「塵」を含めたこれらドキュメンタリー作品では、実の両親にインタビューをしたり、「いややったらあっち(実の両親の所)に行ったら、といったことをどうして何度も私に言ったの?傷つくやないの。どこがうちの家族かと思うやないの」と、おばあちゃんに迫ったりしている。それに対しおばあちゃんは「すみませんでした。これからは言葉に気をつけます」とあやまり、また「直美ちゃんは、おばあちゃんが(直美を)愛しているのと同じくらいおばあちゃんを愛してくれている?」と河瀨監督に問いかけたりもする。

 テーマは絶えず「本当の家族はどこか。家族とは何か。子どもを愛するとは何か。愛とは何か」。少し後半には(監督自身が子どもを授かったからか?)「子どもを産むとは何か。または先人との繋がりである今の生とは何か。愛する人を失うとは何か。そしてさらに記憶とは何か」といった根源的なものだ。

 それを河瀨監督はこう表現する。「どうしてもこう、生まれた時のトラウマだと思うんですけど、両親がいなかったという、つまり確実につながっているであろう人たちとつながっていない関係があった。そうした不安定な中を生きてきた中に映画という手段が突然現れた。それで、その不安定さを埋めている感覚がある。多くの歴史上の芸術家も、自分の中のトラウマなり求めているものがあって、それが実人生で実現できなくて、それを絵画や音楽や小説に表現していくのかなと思います」

音のずれとクローズアップ

 河瀨監督は「突然映画が現れた」と表現するが、それは世界をつかもうとする監督の「実験」にピッタリ合った、来るべくしてきたもののように見える。

 前述の「塵」では、顔のクローズアップに続き、おばあちゃんが湯につかっているシーンがある。やはり極端なクローズアップで、手術をしたおなかのあたりの何重ものしわが湯の中に浮かぶ。次いでおばあちゃんが湯から上がる時、垂れ下がったお乳の、きれいなピンクの乳首の先から水滴が落ちる。バックの音声はこうだ。「私はおばあちゃんのおっぱいを、すうてたん?」「ご飯食べておなかいっぱいやなのに、すうてはりましたな」

 だがこの会話は、この湯につかっていた時に交わされたものではない。河瀨作品ではしばしば映像の時と会話の音がずれる。ほかにも例えばおばあちゃんの寝息がずっとバックに流れているのに、映っているのはおばあちゃんがシーツなどをたたんでいる姿だ。その辺りを監督は「よく意識してみると、実は普通の人たちでも見ているものと聞いているものはずれている。山の美しい風景を風の音を聞きながら見ている時、心にはもしかしたらおとうさんの顔が浮かんでいるかもしれない。そういう感覚とすごく近い」

 また、「塵」にはたくさんの美しい映像が織り込まれる。監督は台所のガラス窓ごしに、庭の畑にいるおばあちゃんを撮影している。そしてレンズの前にある自分の大写しの指でそのおばあちゃんの姿、輪郭をいとおしいように何度もなぞり、そのなぞった跡がガラス窓に残る。

 こうしたクローズアップが多用される理由を改めて質問すると「人間の目というのはあらゆるものを見ているはずだが、見ていない部分が多い。それは心が一点を追っているからだ。このように意識してものを見るものだから、見ている対象はすごくクローズアップされていると思う。そういう感覚が好きで、私の心に合っている」

普遍性を映画に刻む

 バスケットボールに燃えていた少女時代、負け試合で残り時間があと3分、2分とカウントされ止めどもなく涙が流れた経験があったと河瀨監督は言う。「それは失われていく時間に対する涙だった。時間は止められず、それとともにコートで走っていた自分も失われていく感覚だった」

 その後、「私は瞬間を閉じ込めてそれに光と音をあてることで、その『今』をつなぎとめ再生させる映画という手段を得た。だからこそ(どんな瞬間でもいいというのではなく)人にとってかけがえのないものを残していきたい。大きく言えば人類という、長い歴史の中で培ってきたもの(恐らく普遍というもの)をこの時代のコンテキストの中で残していきたいと思う」

 「塵」の最後の頃に意識を失ってしまったおばあちゃんが目を閉じ口の片隅だけを開けてフゥ、フゥと呼吸を繰り返すシーンがある。このおばあちゃんの口ももちろん大写しだ。そして突然意識が戻ったのか、かすかに目を開く。「おばあちゃん、私が誰だかわかる?」「いやわからん」。そして監督の次の言葉が入る。「おばあちゃんの中から私が消えていく」

 「塵」を見たスイス人の観客の多くが、目を真っ赤に泣き腫らしていた。ある中年女性は「河瀨監督に感謝したい。亡くなった母親を思い出し涙が流れた。人生の最後の時を、また死という誰にも訪れる厳粛な時をあれほど美しく表現した作品を私は知らない」

 河瀨監督はすでに20代にして、心のトラウマを「治療」しようと試行錯誤し、自分の心の奥深く分け入り主観性を徹底的に追求することで、かえって「人類の普遍性」に到達している。しかし、今かけがえのない人を失うことで、さらにまた一味違う「普遍性」を手に入れたように思える。

奈良市生まれ。

1989年、大阪写真専門学校(現ビジュアルアーツ専門学校)映画科卒業。

1995年、「につつまれて」(92)、「かたつもり」(94)で、山形国際ドキュメンタリー映画祭国際にて批評家連盟賞を受ける。国内外で注目を集める。

1997年、初の劇映画「萌の朱雀(もえのすざく)」(97)でカンヌ国際映画祭新人監督賞を史上最年少で受賞。

2007年、「殯の森(もがいのもり)」(07)で、カンヌ映画祭にてグランプリ受賞。

「玄牝-げんぴん-」(10)を始めドキュメンタリー作品も多数。今年、9月14~17日に開催する第2回「なら国際映画祭」のエグゼクティブディレクターも務める。

なお、第64回カンヌ国際映画祭コンペ部門にノミネートされた「朱花(はねづ)の月」が近くスイスドイツ語圏で公開される。

スイス、ティチーノ州ロカルノ (Locarno)市で8月1日~11日まで開催。ヨーロッパで最も古い国際映画祭として、また新人監督やまだ知られていない優れた作品を上映することで有名。
 
今年は、昨年より多い300の作品が上映される。アラン・ドロンやシャーロット・ランプリング、オルネラ・ムーティやハリー・ベラフォンテなどの豪華スターも招待されている。
 
世界最大級(26mx14m)のビッグスクリーンがあるピアッツァ・グランデ(Piazza Grande/グランデ広場)。ここには8000人の観客が収容でき、人気ある作品が上映される。この「ピアッツァ・グランデ部門」に今年は17本が選ばれ、うちスイス人監督の作品が3本含まれている。松本人志監督の「さや侍」が昨年、ここで上映された。
 
 コンペ部門として、メインの「国際コンペティション部門(Concorso internationale)」と新鋭監督作品のコンペ「新鋭監督コンペティション部門(Concorso cineasti del presente)」がある。

「国際コンペティション部門」の最優秀作品には「金豹賞(グランプリ)」が授与される。2007年に小林政広監督の「愛の予感」がこれを勝ち取っている。2011年には青山真治監督の「東京公園」に対し審査員から金豹賞と同格としての「金豹賞審査員特別賞」が授与された。

今年、「国際コンペティション部門」には三宅唱(しょう)監督の「Playback」が、「新鋭監督コンペティション部門」には、奈良県十津川村(とつかわむら)で撮影したペドロ・ゴンザレス・ルビオ監督の「祈(いのり)」がノミネートされた。
 

また、新人監督やよく知られた監督の特別作品を上映する「コンペ外部門」もある。今年、この部門に河瀨直美監督の「塵」と、酒井耕(こう)&濱口竜介(りゅうすけ)監督の「なみのおと」がノミネートされた。また、学生や新人監督の短・中編を選考する「明日の豹たち部門(Pardi di domani)」に米澤(よねざわ)美奈監督の短編「solo」もノミネートされた。

河瀨直美監督は今年、過去と現代の偉大な映画監督や芸術家に敬意を表する「映画史部門(Histoire du cinéma)」に特別招待され、そのドキュメタリー作品4本が8月2日~3日に上映された。なお、同部門でオットー・プレミンジャー監督の作品も多数上映される。

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