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なぜスイスは緩和ケアの後進国なのか 専門家に聞く

自殺ほう助で有名なスイスだが、緩和ケアへの取り組みは他の先進国に比べて遅れている AFP

がんなどの病気による体と心の痛みを和らげる緩和ケアにおいて、スイスは後進国だ。病気の根治を目指す治療や救急医療、末期患者の自殺ほう助に関しては高い技術を持つが、緩和ケアに力を入れ出したのはつい最近だ。ベルン大学病院の緩和医療部門に教授職が新設され、今年2月にドイツ人医師シュテフェン・エイヒミュラー氏が就任。スイスインフォが同氏に、緩和ケアの今後について聞いた。

 同様の教授職はローザンヌ大学病院(CHUV)に続き2人目で、ドイツ語圏では唯一。スイスインフォはエイヒミュラー氏が責任者を務めるベルン大学病院緩和ケアセンター外部リンクを訪れ、話を聞いた。

 経験豊富な医師である同氏が自分の仕事に情熱を持っていることは見て取れる。高齢化社会が進むにつれ、他分野にわたる医療知識を駆使して末期患者と家族をサポートする緩和ケアへの需要は高まる一方だ。課題はコスト面だが、緩和ケア先進国の英国やオーストラリアを見習い、適切に計画を構築すればコスト減は可能だ。

swissinfo.ch : スイスが緩和ケアの後進国なのはなぜでしょうか。

シュテフェン・エイヒミュラー: スイスは救急医療と治療措置に重点を置いている。この国では、最も高額だが最高の技術を備えた延命治療が受けられる。

一方で、慢性疾患医療や病と生きる点は、あまり重要視されていなかった。おそらくスイスの医療制度が統一されていないせいだろう。病院は経済主体であり、高齢者施設の介護は大半が保険の適用外のため、自宅で介護する。スイスはホスピスが極めて少ない。人々が期待するのは、病気にかかったら素晴らしい病院で治療すること。例えば国民保健サービスにあるような、病院以外を含む包括的な医療ネットワークでケアするという観点には全く目が向けられなかった。

ドイツ出身のエイヒミュラー氏は独ザールラント州ホンブルク、スイス・ローザンヌで学業を修め、豪シドニー大学シドニー緩和ケア研究所に在籍。2012年からベルン大学病院緩和ケアセンター長 unibe.ch

英経済誌エコノミストが昨年発表した世界の死の質(QOD)指数ランキング外部リンクで、スイスは15位。前回の19位からは改善したが、英国(1位)やオーストラリア(2位)には大きく差をつけられている。上位国は国民保健サービスが整備されている傾向がある。

swissinfo.ch: 他国に比べ、スイスの緩和ケアに足りない部分は。

エイヒミュラー: 経験だ。英国などは30年かけて緩和ケアを強化し、国民に浸透した。スイスは6年前からとかなり遅れた。しかし、私は緩和ケアが今後広く普及し、患者や家族が、他に選択肢が残されていないからではなく質の良い治療方法として受け入れるようになると思っている。

swissinfo.ch: スイスでは死や終末期はタブー視されているのでしょうか。

エイヒミュラー: タブーではない。例えば(スイスでは合法の)医師による患者の自殺ほう助について、メディアや政治家の間で盛んに議論されている。死や終末期は個人の自主性の問題であり、どのように尊厳ある死を迎えるかということに尽きる。病院などで、納得できる生の終え方が見つからない患者にとって、医師による自殺ほう助を選択できるのはメリットだろう。

死を想像するとき、多くの人は、スイスの自殺ほう助提供団体「エグジット外部リンク」や医師の自殺ほう助をとるか、現代医療で終わりのない苦しみに耐えるかの二択にせまられる。例えばそこに、友人や家族に囲まれ、専門家のサポートの下で尊厳ある死を迎えることができたらどうだろう。緩和ケアは人々に新たな選択肢をもたらしてくれる。

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死を巡る議論―自殺天国のスイス

このコンテンツが公開されたのは、 不治の病であれ、生きるのに疲れたのであれ、死について議論する際、自己決定が最も重要であり最後の論拠となる。大多数の人が生の終え方を自分で決めたいと望む。スイスで広く受け入れられている自殺ほう助は、致死量の薬を摂取することで死を迎えるが、この最期の行為は患者本人が行わなければならない。事前に医療の手助けも必要だ。  スイスは自殺ほう助の先進国だ。年老いた人が自殺する権利は事実上規制されておらず、外国人が安楽死を求めてスイスを訪れる「自殺ツーリズム」がブームになっている。このリベラルな現状を見ると、スイスでは自殺ほう助が肯定的に受け止められているような錯覚に陥るが、実際は違う。自殺ほう助は政治や宗教、社会通念や倫理などといった価値観との戦いの連続だ。たとえ差し迫った状況にあるからといって、人の命をどうするか、そもそも問うていいものなのか。自殺ツーリズムを法で規制するか否かの議論はいまだ消えることはない。

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swissinfo.ch: スイス国民に緩和ケアが浸透しないのは、自殺ほう助が広く受け入れられているからでしょうか。

エイヒミュラー: 我々が、緩和ケアと医師による自殺ほう助を比較する公開討論によく呼ばれることを鑑みれば、一般的にはそういう見方なのだろう。今後確実に議論が盛んになることが見込まれるのも一因だろう。

だが私は、生の終え方を考える上では非常に限られた見方だと思う。アジアでは、生の終わりは人生のピークと考え、人生の終盤に差し掛かった高齢者に尊敬のまなざしを向ける。他方、スイスでは、アジアのような死生観は存在しない。

swissinfo.ch: 緩和ケアを普及させる手立ては何でしょうか。医療制度が統一されていないスイスでは、国の包括的な戦略は現実的でないようにように見えますが。

エイヒミュラー: その通りだ。これは政治問題であり、医療提供者である我々が立ち入れる部分ではない。はっきりしているのは、国民保健サービスの下では、医療制度のあらゆる部分に課せられた責任がはるかに重いことだ。私は、スイスの緩和ケアはもっと混合的な制度になり得ると考える。国民保健サービスにのような医療ネットワークの構築に向けて慢性疾患医療を促進する一方、救急医療を必要に応じて維持する。こうすれば両者の良い部分を最大限生かせる。

swissinfo.ch: ご自身はなぜ緩和ケアの世界に?

エイヒミュラー: 本当の意味での人間医学ができる素晴らしい分野だと思ったからだ。医療面のあらゆる問題に関心が向く。問題の中には極めて複雑なものもある。他方で、そこには一人の人間がいて、その人の人生があって、家族がいる。我々はそのような状況の中で、患者と一緒にベストの方法を探す。そこにやりがいを感じる。

周りには驚かれるが、緩和ケアに従事することは少しもつらくないし、過労からくるバーンアウトに陥るケースは極めてまれだ。緩和ケアは私たちにとって非常に意義深い何かがある。この分野に関われることは、私にとっては非常に名誉なことだ。

がんなどの病気をわずらい、回復の見込みがないとしたら、あなたは緩和ケアを選びますか?それとも自殺ほう助を考慮に入れますか?ご意見をお寄せ下さい。

自殺ほう助

スイスでは、末期患者を苦しみから解放するために致死量の薬を投与することは、積極的な自殺ほう助として犯罪になる。一方で、患者自らが致死量を服薬する行為は、ほう助する側の第三者が患者の死に利害関係を持たない場合に限り容認されている。こうした背景から、自殺ほう助を支援する非営利団体「ディグニタス」と「エグジット」が生まれた。

医師による自殺ほう助は安楽死とは意味が異なり、スイスでは合法化されている。今年初めに出された調査では、ドイツ語圏で2013年、何らかの形で医師による自殺ほう助を施した末期患者は5人のうち4人に上った。通常は延命治療の中止か薬の投与による方法がとられ、モルヒネなど鎮痛剤の投与量を増やすこともある。ほとんどの場合、患者本人と家族の合意の上で行われている。


(英語からの翻訳・宇田薫 編集・スイスインフォ)

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