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農薬へのアクセス制限で自殺を防ぐ

農業従事者には、毒性の高い農薬を自殺手段に用いる人が多い Keystone

農薬が自殺手段として使用されることが多い国では、農薬販売を規制して衝動的な自殺を予防するプロジェクトが進んでいる。世界では自殺者の約3割が農薬を使用しており、農薬会社にも自殺予防への取り組みを求める声が上がっている。

 スリランカでは2008年、農薬業界に衝撃が走った。同国の農薬に関する技術勧告委員会が、パラコート、フェンチオン、ジメトエートなど一部の農薬を市場から回収するよう命令したからだ。回収の理由は、これまでのように人や環境に与える危険性を回避するためではなく、農薬を使った自殺が同国で多発しているためだった。

 世界保健機関(WHO)は、今年9月に発表した自殺防止に関する初の報告書で、農薬による自殺の多さを問題に取り上げている。その数は世界の自殺者の約3割に上ると推測されており、12年だけでも24万人が農薬を服用して自殺したとみられている。特に、農村人口の多くが小規模農業に従事する途上国や新興国で、農薬による自殺が拡大している。

企業責任

 農薬が自殺の手段となっていることに対して、スイスの農薬大手シンジェンタなどのメーカーに責任を求める声が上がっている。しかし、「薬物や薬を使った自殺があるからといって製薬会社が責任を持つべきか、と尋ねるのと同じだ」と、国際自殺防止協会(IASP)のヴァンダ・スコットさんは話す。

 農薬メーカーは農家を対象に、製品の安全な取り扱いに関する講習会を企画しているが、一方で農薬が本来の用途以外で使用されることについてはあまり関心がないようにもみえる。

 シンジェンタの広報担当者は「農薬の事故と自殺目的での服用を分けて考える必要がある。使用説明書に沿って本来の用途に使用される限り、農薬は安全で効果的な製品だ」と話す。

 自殺予防団体や研究者たちは、農薬メーカーの置かれている微妙な立場を認識している。

 インドの自殺予防団体「スネハ(Sneha)」を設立したラクシミ・ヴィジャヤクマールさんは「死と結び付けられる製品を好む人などいない。農薬メーカーは問題に取り組む道を模索してはいるが、同時に、製品を売らなければならない」と言う。

 農薬メーカーは、農薬の不正使用に対する直接的な責任は認めてはいないが、農薬へのアクセス制限が自殺予防につながるとの考えを示している。

 スイスの農薬メーカー、バイエルクロップサイエンスの広報は「農薬を鍵のかかった場所に保管し、限られた人しかアクセスできないように制限することで、事故や自殺を防ぐことができる」と話す。

 シンジェンタもまた、農薬の安全な保管方法を確保するために研究者や団体と協力する必要性を認めている。「私たちだけでは問題を解決できない。そのため、WHOやIASPと5年以上協力し、メンタルヘルスや農薬の安全な保管方法などを中心とした自殺予防プログラムを支援している」(同社規制管理部)

安全な保管方法の確保

 自殺予防分野のトップ研究者たちが集まった07年のWHOの会議では、アジアの農村地帯で農薬を鍵付きの棚で安全に管理した場合に、どれほどの自殺予防の効果があるのかについて調査することが決まった。農薬の管理方法に注目されたのは、精神的に悩みを抱える人が簡単に農薬を入手できないようにするためだ。

 調査国としてインド、スリランカ、中国が選ばれた。インドでは、農薬による自殺は首つり自殺の次に多く、自殺方法の第2位だ。

 インド政府によれば12年の自殺者13万5445人中、約15%にあたる2万人以上が農薬を使って命を絶った。しかし、インドでは自殺が社会的に恥で、犯罪行為であることなどを考慮すると、報告されていない自殺も多い。

 農薬を鍵付きのロッカーで集落ごとにまとめて管理する試みは、10年に初めてインドのタミル・ナドゥ州の二つの村で実施された。

 「この村では花が栽培されており、15日ごとに農薬が散布される。農薬の使用頻度が高いことからこの村が選ばれた」と、調査を進めているヴィジャヤクマールさんは説明する。

 当初、二つの村は共同の保管ロッカーの導入に消極的だった。畑とロッカーの間を行き来しなければならなくなるからだ。だが、通うのに便利な場所にロッカーが設置され、また定期的に店に農薬を買いに行く必要もなくなるので、最終的には人々に受け入れられた。

 「初めは理解を得られず、保管ロッカーの利用率は4割だった。だが、今は満杯で、もう一つ保管場所を確保しなければと考えているところだ」(ヴィジャヤクマールさん)

 結果としては、二つの村では導入から18カ月間で自殺者は26人から5人に減り、自殺防止に効果がみられた。

 農薬へのアクセスを制限することで、さらにマハシュトラ州やアンドラプラデシュ州、チャッティースガル州、カルナータカ州などの半乾燥地域でも自殺防止が見込まれている。この地域では、農業従事者の6割が自殺し、農薬を使った自殺が多い。

農薬の入手制限プロジェクト

 農薬の管理方法を変えること以外にも、「有毒な農薬の一部を販売禁止にすれば自殺予防に大きな効果が期待できる」とヴィジャヤクマールさんは指摘する。

 例えばスリランカは1995年、WHOが最も毒性が高いとする農薬の輸入・販売を制限し、98年には殺虫剤に使用されるエンドスルファンも制限した。これにより、同国ではこの時期の自殺者数が減少。規制実施後の10年間(1996~2005年)では、それ以前の10年間(1986~95年)と比べ、自殺者は約2万人少なくなった。

 WHOは自殺防止に関する報告書で、管理方法の見直しや販売制限など農薬へのアクセスを制限することは「このおびただしい数の自殺者を減らす手段として、大きな可能性を持つ」と指摘している。首つりや、薬物や銃による自殺に比べ、農薬自殺の危険のある人は見つけやすく、農薬に近づけないようにすることも簡単だからだ。

 英エディンバラ大学の研究員、メリッサ・ピアソンさんは現在、農薬を安全に管理し自殺予防を試みるプロジェクトをスリランカで進めている。「農薬自殺の多くが、衝動的で発作的なものだ。インドや中国、スリランカのこれまでの調査から、自殺率の高い他の国で見られるような、死に対する強い決意があるわけではないことが分かっている」

 ピアソンさんのプロジェクトはスリランカの162の村で2010年に始まった。農薬の入手制限による自殺予防計画では最大規模の試みで、注目が集まっている。プロジェクトの成果報告書は、インドと中国の調査データと同様に、16年に発表が予定されている。

(英語からの翻訳・編集 由比かおり)

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SWI swissinfo.ch スイス公共放送協会の国際部

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