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独立性を問われるスイス国立銀行

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今年1月、スイス国立銀行(SNB/スイス中銀)のフィリップ・ヒルデブラント総裁が夫人のインサイダー取引疑惑で引責辞任した。それから半年以上がたち、騒動は沈静化したが、スイス中銀の金融政策は現在も政治家や産業界の批判にさらされている。

 スイスフラン高に苦しむスイス中銀は2011年9月初旬、1ユーロ=1.20フランの上限を設け、ユーロ相場に連動させる通貨政策を導入したが、各界から一斉批判を浴びた。

全党一致

 2010年前半に実施したスイスフラン売り・ユーロ買いの介入により巨額の損失が出たため、右派国民党(SVP/UDC)は、為替介入はリスクが大きすぎると主張した。

 左派と労働組合は、スイス中銀は逆に慎重すぎると批判。一方、エコノミスト、金融業界のトレーダー、ジャーナリストは、ユーロがさらに下落した場合、事実上の固定相場は失敗し、再び損失を出す恐れがあると警告を発した。また激しいインフレと不動産バブルを引き起こしかねないとの危惧感もある。

 このような状況の中、ヒルデブラント氏の妻、カシュア夫人が、為替のインサイダー取引で利益を得たとする疑いが持ち上がり、スイス中銀に対する非難の矛先はヒルデブラント氏個人にも向けられた。

 このインサイダー取引疑惑は、ヒルデブランド夫妻が個人口座を所有しているサラシン銀行(Bank Sarasin)のIT行員が、社外秘の個人情報・記録を持ち出したことから発覚した。夫妻の個人情報をIT行員から受け取り、世間に公表するのに関わったとされるのが国民党の有力議員クリストフ・ブロッハー氏ら数人だ。この事件でヒルデブラント氏は辞任することになったが、ブロッハー氏らもまた不正な手段で個人情報を入手し、銀行守秘義務違反を犯したとの疑いで、名声に傷を負った。

 事件後、全ての党がスイス中銀の独立性を支持すると強調したが、スイス中銀に対する圧力は現在も衰えていない。

政策リスク

 ジュネーブ国際開発高等研究所(Graduate Institute of Geneva)で金融・為替問題を研究するシャルル・ウィプロ教授によると、一般的に中央銀行の政策は多方面に重大な影響を及ぼす可能性があるため、政治的空白がある間は正常に機能できない。

 「スイス中銀は(為替介入で膨らんだ)巨額の外貨準備金の処理に苦心することになるだろう。今後もユーロを貯えておく引き出しを追加しなくてはならない」

 さらにウィプロ教授は、「この政策に伴うリスクに政治家が危機感を抱けば、スイス中銀に対する政治的圧力は不可避だろう」と予測する。

 国民党は、スイス中銀の通貨取引を制限し、為替介入による損失補償に備えて最低資産額を設けるよう提案したが、今年3月の連邦議会で否決された。

 国民党のハンス・カウフマン金融担当広報官は、一つの通貨に対する大規模な介入は弊害を引き起こすと憂慮している。

 「この政策は、実質的に欧州連合(EU)の金融政策に対する介入だ。スイス中銀は、ユーロ圏の経済基盤に影響を及ぼさないよう、これらの外貨をどうやって売り抜くつもりか」

 カウフマン広報官はまた、スイス中銀はユーロを重視するあまり、投資リスクを分散していないと指摘する。スイス中銀は欧州最大の国ドイツの国債を10%近く保有しているが、もし挌付け機関がドイツ経済の評価を格下げしたら、国債価格が下落すると危惧する。

 さらに「国債投資などの制限を伴う投資政策を推し進めるよりも、通信、原材料など特定産業のファンドを設立し、戦略的に運用するべきだと我々は考える。この提案は、金融政策ではなく、投資政策に対するより効果的な代替案だ」とカウフマン氏は付け加えた。

ごり押し

 中道左派の社会民主党(SP/PS)もスイス中銀に圧力をかけていると批判されている。同党は輸出業者、労働組合、観光業界の要求を取りまとめ、雇用を守るために為替レートの上限を1.20フランから1.40フランに引き上げ、フラン安に是正すべきだと主張したためだ。

 社会民主党の有力政治家であるスザンヌ・ロイテンエッガー・オーバーホルツァー氏はこの夏、外国人投資家の資産流入を制限するために、マイナス金利を設け、資本規制の実施を呼びかけた。また、スイスフラン相場の上昇圧力が高まった場合、スイス国内の銀行は外国人向け融資を停止するべきだと迫った。

 スイス中銀に対し圧力をかけているのは政党だけではない。観光業、中小企業、年金運用機関、州政府、金融機関など各界を代表する強力なロビー団体が要求を押し通そうとしている。

 例えば、電気・機械エンジニアリング企業の統括組織スイスメム(Swissmem)は社会民主党や複数の労働組合の呼びかけに応じ、輸出業者支援を目的とした為替レートの上限引き上げを繰り返し要求してきた。

 また、多数の中小企業を代表するスイス産業協会(Swiss Trades Association)のハンス・ウルリヒ・ビグラー会長も6月、スイス中銀の政策を批判した。ただ、同協会はビグラー会長の発言とは距離を置いている。

 そのような状況下でスイス中銀は、投資銀行を厳しく取り締まる新規制を近年導入し、抵当貸付の厳重な規制の法制化を実現した。抵当貸付は、銀行に高い利益をもたらす残り少ない分野のため、スイス中銀は金融界にも敵を作ってしまった。

 しかし全ての業界がスイス中銀に批判的なわけではない。幅広い業界を代表する経済連合エコノミースイス(economiesuisse)は、対ユーロ1.20フランの上限と政策全般の両方を支持している。

 だが、スイス中銀からスイス各州に分配される1年間の利益剰余金が、25億フラン(約2054億円)から10億フラン(約822億円)へ減らされたため、各州は不平を漏らしている。しかし、州財政長官会議のアンドレアス・フーバー・シュラッター書記官は、スイス中銀が「素晴らしい仕事をしている」と評価する。「スイス中銀の目的は、利益を上げることではなく、物価を安定させることだ。我々は常にこの原則を支持してきた」

 スイス中銀が落ち着き、退屈なまでの日常を取り戻すまではしばらく時間がかかるだろう。支持者は存在するものの、スイス中銀は引き続き国内外からの圧力に直面せざるを得ない。

スイス国立銀行(SNB/スイス中銀)のフィリップ・ヒルデブラント総裁は今年1月9日、夫人のカシュアさんが行った為替取引についてのインサイダー疑惑で辞任を余儀なくされた。

スイス中銀が為替介入を行うと発表した昨年9月6日の数週間前に、カシュア夫人が為替取引を行い、利益を得ていたことが11月に発覚し、インサイダー取引の疑惑が持ち上がった。この結果、数週間にわたる調査が行われ、ヒルデブラント氏は辞任に追い込まれた。

ヒルデブラント氏の辞任から2カ月後の今年3月、スイス中銀は上級役員の個人取引についての内部規定を強化した。

ヒルデブラント氏の辞任以来、臨時に総裁代理を務めてきたトマス・ジョルダン氏が4月18日、総裁として正式に任命された。

サラシン銀行(Bank Sarasin)のIT行員が盗み出した社外秘の記録・書類は、右派国民党(SVP/UDC)党員の弁護士を経由し、元連邦大臣で現在国民党副党首を務めるクリストフ・ブロッハー氏に渡された。

チューリヒの検事は、銀行守秘義務違反の容疑で、このIT行員を逮捕した。

1月にブロッハー氏の家宅捜査が行われ、同氏はチューリヒ州の議員および国民党の弁護士とともに事情聴取を受けた。

連邦議会の専門委員会は6月、ブロッハー氏から国会議員の免責特権を剥奪した。

しかしブロッハー氏は、調査停止のために裁判で争うと宣言した。

1907年に創設されたスイス中銀は、貨幣製造の独占権を所有し、物価安定を保証する義務を負う。

法人格を所有し、スイス全26州がそれぞれ相当数の株式を所有している。

スイス中銀は、毎年利益剰余金の3分の2を各州政府に、3分の1を連邦政府に配分する義務を負う。

(英語からの翻訳、笠原浩美)

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