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3・11から1年 フクシマの写真集がスイスから出版


里信邦子(さとのぶ くにこ)



放射能汚染された土が入った無数の袋。2012年1月11日に撮影。福島県川内村にて ()

放射能汚染された土が入った無数の袋。2012年1月11日に撮影。福島県川内村にて

遺体に手を合わせる自衛隊員。破壊された自宅跡で瞼(まぶた)を押さえる老人。入学式で緊張する小学1年生。これらは、福島の被災地で当事者の視線でシャッターを押すフォトジャーナリスト、小原一真(おばらかずま)氏の作品だ。

小原氏は震災の3日後、金融関係の仕事をやめ福島に入った。数々の作品の中でも圧巻は、福島第一原発で作業員の顔を真正面から見つめ、その生の言葉もレポートしたものだ。

 「一真の対象を捉える姿勢の正直さと原発作業員をレポートするという勇気に心打たれた」と語る2人のスイス人が、写真集「RESET-BEYOND FUKUSHIMA(福島の彼方に)」の出版を決意した。

 

 「外国のカメラマンだったらもっと遠くから撮るような場面を、一真はクローズアップで撮る。その被写体に最大限近づくところに、一真の感情が入っている。もちろん東北弁ができるから人の輪の中に入りやすい。しかしそれだけでない」と自身もカメラマンであるアドリアーノ・A・ビオンド氏は、小原氏の感情移入された表現を高く評価する。

 それは例えば、自衛隊員が瓦礫(がれき)の中で遺体に手を合わせる場面や避難所の食事場面で、手に持つ茶碗のご飯粒が見えるほどに老人に近寄り、その笑い顔を撮っている写真なのだ。

5週間で完成

 ビオンドさんはスイスのバーゼルに住む。今回、小原氏の写真集の出版企画・編集を担当した。

 妻の和子さんが、スイステレビの文化番組(SF/Kulturplatz)で、大江健三郎など文化人がフクシマを語る番組の撮影に協力し、その過程で小原氏に出会った。「日本から帰国した妻が、フクシマを真っ直ぐに見つめるフォトジャーナリストがいる。しかし、原発の作業員の言葉など、現実をあまりにはっきりと表現しているため、写真集は日本の出版社で出せないと話してくれた」

 写真、デザイン、建築、そして社会レポートに優れるバーゼルの「ラース・ミュラー出版社(Lars Müller Publishers)」に持ち込むしかないと思ったビオンド氏は、早速、社長のラース・ミュラー氏に電話。2日後の夜中に「よし、やろう」という返事が返ってきた。「急な話で驚いた。しかし、話題性、一真の対象を切り取る真摯な姿勢に感動した」とミュラー氏は当時を振り返る。

 ただ、「話が来たのは今年の1月も中ばだった。3月11日に間に合わせなければ意味がない。ということは逆算すれば5週間しかない」。過去30年の出版経験でも5週間で完成させたのは初めて。大きなチャレンジだったとミュラー氏は言う。

 ビオンド氏とミュラー氏は3日間で、写真の選別、構成、エピローグの担当者などを話し合った。ビオンド氏はこう語る。「何本もワインを開けて徹夜に近い状態が続いた。だが、2人ともやり遂げなければならない仕事だと燃えていた。そして3月2日に日本に向けて荷積みできた。今は本の完成を誇りに思っている」

フクシマは長期的な世界の問題

 ところで、2人の心の中で始めからはっきりしていたことがある。それは「東洋の日本で出版できないから、西欧のスイスがやってやるというふうには取られたくなかった。フクシマは日本だけの問題ではない。世界の、人類の問題だ。このような過酷な事故からの教訓を世界は共有し、世界から原発を無くしていかなければならない。そのためにこの写真集は役立つ」ということだった。

 

  もう一つ、ミュラー氏の頭にあったのは、「長期の記憶」を実現するメディアの在り方だった。「出てはすぐに消えるニュース。カダフィ、フクシマ、金融危機と語られては消えていく現在のメディアの在り方は、結局人々にインパクトを与えない。長期にわたって心に残り、考えさせる『長期の記憶』をもたらすメディアの在り方を追求してきた」

 そうしたとき、社会の問題に鋭く迫るフォトジャーナリズムを本にすることが一つの「長期の記憶」を助けるメディアになるのではないかと思い始めた。「今回特に、フクシマと原発の問題は人々の記憶からすぐに失われてはならないこと。だから小原のフォトジャーナリスムの本は、私の考えにピッタリだった」

反響

 迫力ある写真集は、スイス、ドイツなどで発売されるや、まずテレビや新聞などから大きな反響があった。バーゼル州の日刊紙「バズラー・ツァイトゥング ( Basler Zeitung ) 」は3月12日、文化欄の2面を使って大きく紹介。ドイツのテレビ局からもドキュメンタリー番組企画の話が届いている。

 一般のスイス人からは、「もう、あまりニュースにならないので、原発事故は収束したと思っていた。そこに現場で働く作業員の生の声を読んで再び衝撃を受けた」という反応が多く届いたとビオンド氏は言う。

 日本では、今、大阪の「ギャライーSai」で写真集の一部である原発作業員のポートレートの写真展が、3月の末まで開催されている。

 3月18日、ビオンド氏とミュラー氏は3月23日東京で行われる公式の出版記念パーティに出席するため日本に向け発った。「あくまで国としてのイメージだが、日本は今、脱原発に舵を切り、世界のリーダーになれるか否かの瀬戸際にある」というメッッセージを残して。

小原 一真(おばらかずま)氏略歴

1985年、岩手県生まれ。 フォトジャーナリスト。 宇都宮大学で社会学を専攻。 金融機関で働く傍ら、「Days Japanフォトジャーナリスト学校」で学ぶ。

3・11の3日後、故郷から届く被災地の声に引き寄せられ、会社を退職。取材を開始する。福島第一原発での取材はヨーロッパ各国で報道される。

ラース・ミュラー(Lars Müller)氏略歴

1955年、ノルウェーのオスロに生まれる。 グラフィックデザイナー、編集者。1982年、ビジュアルコミュニケーションのスタジオを設立。

1983年より世界のアート、デザイン、建築、写真、社会のフィールドで多くの書籍を出版する。 大学で客員講師を務める。

アドリアーノ・A・ビオンド(Adriano A.Biondo)氏略歴

1961年、スイス、バーゼルに生まれる。

写真家、クリエイティブディレクター。広告、エディトリアル、アートプロジェクトで活躍する。

さまざまな機関の審査員を務め、大学の客員講師としてビジュアルコミュニケーションと建築の教鞭を執る。

80年代半ばより、日本での仕事を通して欧米と日本を結ぶアドバイザーとしても知られる。

(出典:写真集「RESET-BEYOND FUKUSHIMA(福島の彼方に)」より)

新妻 浩昭さんの話

原発での仕事を始めた理由は?

変な話、双葉郡って原子力が来るまでは地元に仕事なんてなかったのよ。

女川町(宮城県)もそうなんですけど。 俺らの小学校の頃に第一原発が出来たんだけど、その頃の遠足っていうのが、第一原発のサービスホールだったの。

俺は高校の時に就職試験受けた先が電気工事だったんだけど、そこの現場がたまたま原発っていうだけの話で、30年ぐらいやってる。 もちろん、火力も経験しているんだけど、まるまる20年は福島原発の仕事をしてるよ。

震災後の状況はどうですか?

以前入っていたときの線量と比べたら、桁が100倍、1000倍違う。 だって検査のとき、ちょっと線量の高い格納容器にも入ったけれど、俺らなんて、0.01ミリシーベルトでさえ、何だこれって大騒ぎだった。 そんな所で作業したことぐらいしかない。

20年もやっていて、ほぼゼロだもん。 なのに今は10ミリとかさ、毎日1ミリ食ったって1カ月しか働けないし、1カ月で1年の仕事が終わっちゃう。 それじゃ生活できないじゃん。 メーカー、電力さんが生活を見てくれるわけじゃないしさ。

そしたら自分たちも線量の高い所に行きたくない。 そこ終わって、次の仕事、次の仕事ってあるんだったら構わないけど。 もちろん俺が行って、全部が終了するんだったら、なんぼ線量食ったっていいって、そういう気持ちもあるけど、ただそういう場合じゃないでしょ。

(出典:写真集「RESET-BEYOND FUKUSHIMA(福島の彼方に)」より)

里信邦子(さとのぶ くにこ), swissinfo.ch



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