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村の人の姿が草原に並ぶ「人看板」、沖縄のアートがスイス・ジュラで蘇る

ジュラ州・ボンフォル村の人々の「人看板」の完成予想図。村の草原に2017年夏に設置される予定だ Masaru Nakamoto

家族や村長など、村の人々の姿が白い等身大パネル「人看板」になって草原に立ち並ぶ。そんな壮観なランド・アートがジュラ州の小さな自治体ボンフォルで2017年夏、開催される。制作者は沖縄県立芸術大学教授で写真家の仲本賢(まさる)さんだ。ボンフォルは、旧バーゼル化学工業が1961年から15年間にわたり、化学系廃棄物を埋めた所だ。ところが後にこの廃棄物の人体や環境に及ぼす影響が問題となり、同社による除去作業が今年末に完了。同社はお詫びとして文化イベント「エスカル・ボンフォル」を企画した。

仲本賢(まさる)さん。「ジュラは沖縄の隣町に行く感覚」と言う Daniel Lopez

 「目標はボンフォル(Bonfol)に住む580人全員の写真を撮ること」と、仲本さん外部リンクは村の小さなレストランで目を輝かす。そばから、この村出身で今は沖縄に住む映画作家のダニエル・ロペスさんが「でも400人撮影できれば、最高じゃないですかね」と現実的な意見を言う。2人は来年のプロジェクトの準備のために8月末、この村にやってきた。

 老若男女や職業を問わず撮影される村人の写真は、その後一人ひとり厚さ約5ミリのベニア板に投影される。その形をなぞり、線にそって切り取り、白いペンキを塗ると、「人看板」のできあがりだ。

 次に、約400体のこのパネルは、草原に無作為に立てられる。最終的にはボンフォルの化学系廃棄物が埋めてあった敷地に立てられる予定だが、まずは17年の夏のスタートは、ボンフォル村の牧草地だ。

「人看板」の制作過程 Masaru Nakamoto

パブリックアート

 仲本さんはこの「人看板」を、草原に立てるがゆえに一応ランド・アートと呼んではいるが、それが(アーティストが主体的に何かを表現するという意味での)アートかというと、そうではないのでは?と自問する。

 「人を意図的に選んで撮影するのではなく、村のほぼ全員の写真を撮ってその輪郭を切り取ることは誰にでもできる『作業』。だから私が主役として作った『私の作品』ではなく、主役はボンフォルの人。皆が草原の中で、自分のパネルを探して自分と対峙したり、または家族を探し出したりして、そこでピクニックをしてくれたらうれしい」

 ピクニック?と問い返すと、「そう。そこに集まりしばらく楽しく遊んでくれて、会話が生まれたりすること自体が、作品といえば作品。一般の人の参加によってできた作品を、一般の人が楽しむという意味で、これはパブリックなアートかもしれないのですが…」

 するとそばからロペスさんが「いや、作品を媒介に人が集まるようにする、その仲本さんのコンセプト自体がアートだから、やはり(コンセプチュアルな)アートですよ」と言う。

母親と町長は必ず分かる

 実は、仲本さんがこの「アート」を手がけるのは、今回が初めてではない。2000年に沖縄本島南部の旧佐敷町で、そして2012年に沖縄の伊平屋島(人口1300人)で、町おこしのために「人看板」を作っている。

 伊平屋島では、島の人150人をまず撮影した。「初めはまったく理解してくれなかった島の人たちが、その後、おもしろいと言い出して、毎年50人ずつパネルを増やしていくプロジェクトに変わった。今は島民1300人全員を人看板にするのが目標」と仲本さん。

 島では、人看板のあるところに、「これは自分」と見せるために友人を連れてきたりして人が集まり、まるで「村の神社のお祭り」みたいな役を担いつつある。「それがうれしい。ランドセルやコックさんの帽子の形、釣った魚の形などでなんとなくその人がわかる。でもそんな物の形がなくても、自分の母親と町長のパネルは、なぜか誰もがすぐに見つけ出す」 

政治性はない

 旧バーゼル化学工業が化学系廃棄物を埋めたボンフォルについて外部リンクは、詳しい本が出版されている。その作者で、ジャーナリストのジョゼ・リボーさんによれば、ボンフォルは二つの点でスイスの産業廃棄物処理の典型的な例になるという。

 「一つは、当時のトップの科学者が住民の健康や環境汚染をまったく考慮せずゴーサインを出したこと。もう一つは、意識の高い地元の政治家が除去と土壌浄化の要求運動を起こし、現代の技術の進歩によって、ドイツなどで廃棄物を高温焼却できるようになったこと。さらに旧バーゼル化学工業が、非を潔く認め除去費用をまかなったことだ。同じような処理が急がれる場所が、スイスにはまだ4千カ所もある」

旧バーゼル化学工業が化学系廃棄物を埋めた場所には、ドームがなぜか設置されている。土壌浄化後、草原になればここに「人看板」が設置される。「そのときはベニア板ではなく鉄板になるのかな…」と仲本さん Daniel Lopez

 こんな背景の中で行われる文化企画「エスカル・ボンフォル」外部リンクに、仲本さんの「人看板プロジェクト」は招待されたのだから、何か政治的なメッセージが込められているのではないだろうか?

 仲本さんはこう答える。「政治性はない。というか、政治性とリンクしたくない。廃棄物撤去はデリケートなテーマ。村の誰かがお金をもらって、廃棄物の受け入れを許可したかもしれない。そんな人もいるだろうから、そんな人は写真に撮られたくないかもしれないし。むしろ、そうやって分断された村の人々が、この『人看板』のある草原に集まって、おしゃべりしてくれたらうれしい。これはあくまで、ボンフォルの人への贈り物なのだから」

沖縄とジュラはつながっている

 では、なぜ沖縄の仲本さんがボンフォルというフランスとの国境にある「辺境の地」の文化企画に呼ばれたのだろうか?

 それは、一つにはロペスさんが橋渡しをしたからであり、またもう一つには仲本さんがすでにジュラ地方にあるこの村の知名人だったからだ。

 実は、ロペスさんは2009年から友人たちの協力を得て、ジュラ州の古都でボンフォルの隣町であるポラントリュイで沖縄のアーティストの作品を展示するアート展「ジュラ・沖縄」を開催してきた。基本のコンセプトは、沖縄とジュラがそれぞれ「中心からはずれた地域」という共通性にある。また、ジュラ州は1979年にベルン州から独立してスイス連邦の一員となり、沖縄は1972年に日本に返還されたという歴史も似ている。

ボンフォル村はずれの牧草地。来年の夏、まずここに「人看板」が立つ Daniel Lopez

 この「ジュラ・沖縄」に参加してきた仲本さんだが、他の作家とまったく違うのは彼が現地で作品を作ることだ。4年前から毎年ジュラを訪れ、ポラントリュイを中心にした周辺の住民250人を撮影し、来年の夏にボンフォルの「人看板プロジェクト」と同時期に開催される第3回「ジュラ・沖縄III」でも、同じく「人看板」を作ろうとしている。

 「ジュラには、何回も来ているので沖縄の隣町に行くような気分。今回はボンフォルの企画準備で来たのだが、色々な人から『ジュラ・沖縄III』のために撮った僕の写真はどうなったの?と道で聞かれる。こちらのほうも急がなければ…」

 つまり、仲本さんは、現地を訪れ現地で交流する、まるで人類学的ないしは社会学的アプローチで作品を作る。こうして来年夏には、ボンフォルの草原に約400体、ポラントリュイの草原に約250体、計650体の「人看板」がジュラ州に並ぶことになる。

スイスでは落書きされる

 ところで、沖縄の島で制作した「人看板」は、一度メディアの取材を受けたというものの、いわば「地域の中だけで閉じた」、島の人以外は誰も知らないアートだった。だが、今回ボンフォルとポラントリュイで開催される「人看板」は、地域の中だけで閉じることはなく、もっと広がりをもつだろう。

 なぜなら、沖縄の仲本さんという日本人アーティストの(日本的な?)アイデアが、撮影というジュラの人との交流によって作品になっていき、後にその作品がジュラの人(またはスイスの他の地域の人)の反応でまた姿を変えていくからだ。

 ロペスさんは言う。「日本では、人看板にその人の霊がのり移っているように感じてか、誰も落書きなんかしない。人看板を尊重し大切に扱う。ところがスイスでは、きっと落書きがされると思う」

 それに対し仲本さんはこう答えた。「落書きは許容できる。それはそれでスイスの人の受け止め方だし、作品が形を変えていくのは面白い。それに作品はジュラの人のために贈った(相手に属する)物だから。でも、引き抜かれたり、壊されたりするのはつらいかな…」

仲本賢(まさる)さん略歴

現在、映像デザイン(写真/ビデオ/アニメーション)/パブリックアートを専門に沖縄芸術大学の美術工芸学部デザイン工芸学科で教授を務める。

大阪芸術大学で学士号取得後、筑波大学大学院修士課程芸術研究科デザイン専攻総合造形分野で修士号取得。米国のMaryland Institute College of Artで修士号取得。

2010年に、ジュラ州・ポラントリュイで開催された第1回アート展「ジュラ・沖縄」で撮影したポラントリュイと沖縄・栄町の住人を見開きのページの左右に載せた写真集「栄町 – ポラントリュイ 肖像写真集」(ガイア出版)を、2012年に「メルカトル・パノラマ写真集」(ガイア出版)を出版。また、2004年以降、写真の個展・グループ展を数多く行っている。

また、「写真とはまったく違う発想」で制作される「人看板」を2000年に沖縄本島南部・旧佐敷町で、2012年に沖縄・伊平屋島で制作。2017年夏には、ジュラ州のボンフォルとポラントリュイで「人看板」が制作される

ボンフォルの化学系廃棄物

旧バーゼル化学工業(現在、製薬・バイオテクノロジー大手ノバルティスに統合されている)は、1961年~76年の間、11万4千トンの化学系廃棄物をジュラ州・ボンフォル(Bonfol)で2万平方メートルの敷地に埋めてきた。

当時、ボンフォルはベルン州に属していたため、スイス軍の廃棄物の一部もここに捨てられた。

意識の高い地元の政治家による反対運動が起こり、2000年ジュラ州と旧バーゼル化学工業が、15年までに化学系廃棄物の除去と土壌浄化を行うと約束した書面に調印した。実際には、16年末に完了する。

経費は旧バーゼル化学工業が全面的に負担し、その額は約3億5000万フラン(約370億円)に上る。

一部の廃棄物は、ドイツとベルギーに運搬され高温焼却されている。

ボンフォルの環境汚染はメディアでも大きく取り上げられ、今回の廃棄物除去・土壌浄化も注目を集めている。

ボンフォルの地元住民は、継続的な健康調査を求めている。また、旧バーゼル化学工業は「お詫びの印」として、文化イベント「エスカル・ボンフォル」を企画し、費用を全額負担する。

スイスには、ボンフォルと同様の産業廃棄物の除去・土壌浄化が必要とされる場所が4千カ所ある。

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SWI swissinfo.ch スイス公共放送協会の国際部

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