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スイスの高級時計メーカー、フレデリック・コンスタント外部リンク(本社・ジュネーブ州)は販売、マーケティング、顧客サービス、ロジスティクスの4部門をフリブール州グランジュ・パコからビール(ビエンヌ)州へ移転すると発表した。生産部門は引き続きジュネーブに置く。
同社は咋年5月に日本の時計製造大手シチズン時計外部リンクが買収。デザインから開発、製造、組立、調整まで、時計づくりの全工程をスイス国内の自社工房で一貫して行っていることで知られる。2014年の製造本数は約13万8千本、世界の2千800カ所以上の店舗で販売された。
同社のPeter Stas取締役会会長外部リンクは無料日刊紙20minの取材に対し「今後数年間で、従業員数を倍増させることができるよう願っている」と話している。
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スイスの時計産業について知っておくべき6つのこと
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世界最大の時計宝石見本市「バーゼルワールド」がバーゼルで開催される。今年は時計産業にとって重苦しい開幕となりそうだ。
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高級時計見本市ジュネーブサロン、初の一般公開
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景気低迷が続く中、時計産業は決して好ましい状況にあるとはいえない。過去17カ月、スイス時計産業の輸出額は減少。2014年の輸出額は約220億フラン(約2兆4860億円)だったが、16年は大きく下回り約195億フランと推…
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パーティーよりも社員食堂を愛したロレックスの元幹部、死去
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世界的にも知名度が高いスイスの高級腕時計メーカー、ロレックスで過去に長年、幹部として経営に関わったハリー・ボレ氏が先週13日、スイスのビール(ビエンヌ)で死去した。89歳だった。
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スイス人青年実業家、24歳で東京に会社を設立 スイス時計で挑戦
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スイス人青年実業家、ルカ・オルドゥニャさん(27歳)が初めて日本を訪れたのは5年前。その後、スイス時計の輸入代理事業を担う会社を東京に設立し、スイスの伝統工芸である時計を介してスイスと日本を繋ぐ。日本で働くことは毎日が挑戦だというオルドゥニャさん、スイス人の枠にとらわれない考え方や柔軟性が懐かしいと話す。
スイスインフォ: 日本に行こうと決めたきっかけは何ですか?
ルカ・オルドゥニャ: 私の両親がチューリヒで旅行代理店を経営している関係で、幼い頃からアジアの文化と言語に興味を持っていました。
そして学生時代にザンクト・ガレン大学で受けた講義を通して、多様性溢れる日本文化の虜になりました。これをきっかけにスイス日本商工会議所の奨学金制度を使って日本へ旅立ちました。22歳でした。
スイスインフォ: 今の職に就くきっかけは何ですか?
オルドゥニャ: 1年間の奨学金制度を終え、将来について考えていた頃、スイスの友人が一緒に会社を立ち上げないかと声をかけてきました。
こうして仲間4人で、アジアを中心にスイス時計の輸入代理販売を行う会社を立ち上げました。1人がスイスに本社を構え、他の2人が香港と台湾に、そして私が日本でSwissPrimeBrands社を設立しました。
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拡大する高級腕時計の格安販売ビジネス
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スイスの時計業界では、新品腕時計の在庫一掃セールや、並行品(メーカー管理下の正規ルート以外で仕入れた商品。大幅な値引き価格で売られることが多い)の販売はタブーになっている。だが実際には、高級腕時計が格安で販売されるケースが増えている。世界的に経済活動が低迷していることや、小売店が在庫の山を抱えているのがその主な原因だ。
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人口当たりの特許出願件数、スイスが世界1位―大企業が貢献
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スイスは特許出願の世界王者だ。2016年にヨーロッパ特許庁が受理した特許出願件数は、スイスが人口比で最多だった。スイス人はそんなに発明家が多いのか。
砂利の分別機、湿度を活用した気象計、特別な電動タイプライター。これらは100年以上も前にスイスで特許出願された製品の一例だ。しかも、審査にあたったのは、かの有名なドイツ人物理学者アルベルト・アインシュタインだったかもしれない。アインシュタインは1902年から09年まで、スイスの首都ベルンにある特許庁で働いていた。アインシュタインは当時の職場を「まるでこの世の修道院。おかげで最高のアイデアがここから生まれた」と皮肉っている。
当時は、ドイツの製品をスイスの製薬産業が模倣したとして始まった両国間の経済紛争が終結したころ。スイス特許・商標弁理士会のルイ・ラグナ―会長は「1888年の特許法施行まで、スイスは模倣大国として知られていた。この国の経済成長は模倣産業が支えていた」と指摘する。
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