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素量子物理学者、リスク回避型の資産運用を目指す

欧州合同原子核研究機構(CERN)の大型ハドロン衝突加速器(LHC) Keystone

最先端の科学を探求する欧州合同原子核研究機構(CERN)。ここでは、27キロメートルの大型ハドロン衝突加速器(LHC)内で陽子同士を衝突させ、宇宙誕生の瞬間を再現しようとしている。ところが、このような最先端の研究とは対照的に、同組織の年金基金は驚くほどリスク回避型なのだ。


 1954年に設立されたCERNは、スイス・ジュネーブとフランスとの国境にまたがって建っている。そのホームページにはこう書かれている。「宇宙は何で出来ているのか?宇宙はどのように始まったのか?CERNの物理学者たちは、世界で一番強力な大型ハドロン衝突加速器を使いながら、これらの問いに答えようとしている」

 だが、CERNの研究者3600人の年金基金の資産運用は、こうした最先端の研究のやり方に相反するかのように、リスク回避型だ。

 CERN年金基金の資産は40億フラン(約4570億円)で、この基金の資産運用部門のトップは、女性のエレナ・マノラ・ボントンドさん(47)だ。彼女はこう言う。「私は多動な資産運用や急いだ投資決定は好きではない。投資では皆が絶えず反応し続ける。だが、こうした多動なやり方は理想的ではないと考えている」

 もともと素量子物理学を学んだマノラ・ボントンドさんは、まずCERNのリスク管理とITオペレーションを担当。2011年に年金基金の投資ルールを改善するため今の部署に入り、2015年、トップの座に就任した。2児の母親でもある。

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ヘッジファンドには反対

 ファイナンシャル・タイムズからの質問にジュネーブのオフィスから答えてくれたマノラ・ボントンドさんは、いくつかのテーマ ―ヘッジファンドに対する彼女の考えやCERN年金基金の割合、組織統治のやり方に関するもの― には答えたくないと語った。

 CERN年金基金は、ヘッジファンドへの投資を過去18カ月間で極端に減少させている。その投資率は、2014年末の16%から10%に減った。

 はじめは、ヘッジファンドから遠のいた理由の説明を丁寧に断っていたマノラ・ボントンドさんだが、メールを通しての厳密なやり取りの後、こう語った。「ヘッジファンドという、どんな相場環境でも収益獲得を目指す『絶対収益追求型』の戦略から遠のき、より投資の分散を生み出すやり方に変えると年金基金が決定を下した。それが理由だ」

 CERN年金基金は、2015年末にはまだ、巧みな運用で名高いヘッジファンドの数社、ブレバン・ハワードやブリッジウォーター、シタデルへの投資を続けてはいる。

 マノラ・ボントンドさんはまた、 年金基金の資産を傷つけないように提唱された欧州中央銀行(ECB)の低利率策についても不承不承に言及した。

政治性はない

 「CERNで働く者として、政治的発言はしたくない。ECBのいう低利率は、年金基金にも資産運用者にも大きなチャレンジになることは明らかだ。しかし、政治的決定者が状況をきちんとコントロールするための努力を怠ってはいないと信じている」と、マノラ・ボントンドさんは言う。

 だが、将来CERNの研究者にどの程度年金を払えるかという割合を示す年金率は、もう一つのデリケートなテーマだ。国際的な標準に従えば、その数値はかなり危うく、わずか40%だという。だが、CERNが今年5月に独自に出した数値は73%となっている。

 20代にCERNで素量子物理学の研究を始める前、クロアチアのドゥブロヴニクで育ったマノラ・ボントンドさんにとって、こうした(ネガティブな)数値について語ることは愉快なことではないという。むしろ、何人かの資産運用者がより良いリターンを求めようとして罠にかかってしまう「狂気」について語りたいと話す。

 CERN年金基金は、人気の高まっている非流動資産、例えば株式資本金や借入資本金のような資産への投資を行っており、マノラ・ボントンドさんはリスクとは無関係なこうした投資へと、他の資産運用者がなだれ込んでいると話し、こう結論する。「これは、今の低成長・低収率の大きな魅力なのだ」

 「注目すべき資産の種類とは、流動性はないが、ある日突然驚きを生み出すようなものだ。つまり、こうした非流動資産を選ぶときは、極端なまでに厳選する必要がある。近道はわずかしかないからだ」

スマートベータ型ファンド

 マノラ・ボントンドさんは、特にスマートベータ戦略に興味を持っている。これは株価指数などを参照に、低コストで破格的な高リターンを生み出すことを目的にした戦略だ。実際、スマートベータ型ファンドは2017年初めの3カ月で24兆ドルという投資者からの資金流入があり、それは昨年同時期の2000%増を意味する。

 マノラ・ボントンドさんはこう言う。「驚くほど多量の資金が流入すれば、その運用は広告で謳っているようなものではないと断言できるだろう。スマートベータは紙の上では非常に良いが、はっきりと公表されていない数多くのリスクがあり得る」

 CERN年金基金が市場から大きな痛手を被らないために、マノラ・ボントンドさんは基金のストレステスト(健全性審査)を強化している。それは、株の暴落のような思いもよらないインパクトが基金に対して及ぼす影響を測定することを目的にしたものだ。しかし、彼女はもちろんこの審査に限界があることも承知している。

 「現実がストレステストの結果に類似してるかを判断することは非常に難しい。確定要素が少ないため、マクロな展望を持ちにくいからだ」

 「今日我々にとって一番重要なことは、我々が低収率の環境にいるという現実を認め、制御できないリスクからは手を引くということだ。なぜなら、資産の継続的なロスが、基金にとってもっとも大きなリスクになるからだ」

 このように、分析的に発言するマノラ・ボントンドさんだが、科学的なキャリアから遠のいていて寂しく思うことはないと断言する。

 それは、年金基金での仕事が世界の謎に対する答えを探る仕事だからだ。「私の仕事は、とてもおもしろい。世界を覗く一つの窓であり、地球という惑星全体の経済という現実に繋がっているからだ。このことは、今の仕事で最も満足している側面だ」

エレナ・マノラ・ボントンド (Elena Manola Bonthond)さん略歴

1969年生まれ。

学歴

1988〜93年、クロアチア・ザグレブ大学で物理学の修士号取得。

1993〜96年、フランス・サヴォワ大学で素量子物理学の博士号取得。

2010〜12年、スイス・ジュネーブ大学で経営学修士号取得。

経歴

1996〜98年、CERNで物理研究者として働く。

1998〜2010年、CERNの大型ハドロン衝突加速器(LHC)安全管理に関する多種の任務に就く。

2011〜12年、CERN年金基金の資産運用部門のプロジェクトリーダー。

2013〜14年、CERN年金基金の戦略的計画の主任。

2015年〜現在、CERN年金基金の資産運用部門のトップ。

© 2017 Financial Times

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(英語からの翻訳・里信邦子)

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