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冷戦 「スイス民間防衛」日本で売れ続ける理由

冷戦期、スイス連邦政府は有事の際の備えを説いたハンドブック「民間防衛」を各家庭に配った。今や歴史の遺物と化し、存在すら忘れられたこの冊子が、意外な場所で売れ続けている。それは日本だ。

スイス軍 スイスの兵役義務、拒否できる?

スイスは成人男性に兵役義務を課す、欧州では数少ない国の1つだ。フランス、ドイツ、イタリアなどは同制度を廃止している。1996年から、兵役の代わりに社会奉仕ができるようになったが、それより以前は何千人もの男性が兵役拒否を理由に刑務所へ送られた。

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心の病 スイス人の国民病「ホームシック」

200年前、ホームシックは典型的なスイス人の病気だった。牧人の歌には故郷への思いがつづられ、スイス文学の代表作「ハイジ」の主人公もこの病に苦しんだ。

カルト集団 太陽寺院の謎の集団死から25年

四半世紀前の10月、スイスで起こった怪奇事件が世界を震撼させた。計53人が謎の集団死を遂げたのだ。そのほとんどがスイス西部で命を絶った。他殺か自殺かも謎に包まれたままだ。

冷戦時代 東欧の「悪魔」を追い払え スイスで渦巻いた反共産主義

スイスでは、冷戦は人々の頭の中で繰り広げられていた。世間に渦巻いていたのは、ソ連の共産主義に対する恐怖。共産主義に対する立場がはっきりしない全ての人に対する疑念。そして近くに住む敵が共産主義という名の毒をまき散らしているという妄想だった。

教えて!ディッコン先生 トーマス・クックがスイスにもたらした「革命」

世界最古の旅行代理店であるトーマス・クックが破産した。スイスを一大観光地に仕立て上げた功績者の消滅に、スイス人も少なからず衝撃を受けている。

歴史資料 「ボートは満員だ」 ユダヤ亡命者を追い返したスイス政府

1942年9月25~26日、スイス各州の移民局長会議が西部ヴォー州モントルーで開かれた。議題はスイスに押し寄せてくる大量の亡命者への対応だ。多くはナチスの手を逃れてきたユダヤ人だった。

シリーズ「スイスのアナーキスト」第5回 モントルー銀行強盗事件 大衆は「死刑」を叫んだ

スイスでは20世紀初め、アナーキストの亡命者による犯罪が多発していた。人々は驚くほど長い間冷静だったが、銀行員が冷酷に頭を撃ち抜かれ死亡した1907年のモントルー銀行強盗事件で大衆の怒りが爆発した。事件の裁判で被告に言い渡された判決は「死刑」だった。

歴史 第二次大戦開戦から80年 スイスはどう伝えたか

第二次世界大戦の勃発から80年。スイスインフォは前身のスイス短波サービス(SOC)が開戦をどう報じたか、アーカイブを掘り起こした。

シリーズ「スイスのアナーキスト」第5回 人違いから起きた高級ホテル殺人事件

若いロシア人の女が1906年、ユングフラウなどスイス名峰の観光拠点であるインターラーケンの高級ホテルでフランス人実業家を射殺した。女はアナーキストだった。この事件の裁判ではスイスアルプスを擁するベルナーオーバーラント地方の農家たちが陪審員を務め、寛大な判決が下された。 

月面着陸から50年 アポロ11号がスイス文化に残した足跡

50年前に人類が初めて月に降り立った瞬間は、スイス文化にも大きな足跡を残した。

軍事同盟 NATOが創設70周年 スイスとの関係は?

北大西洋条約機構(NATO)は今年、創設70周年を迎えた。スイスは中立国のため非加盟だが、20年以上、NATOと協力関係にある。

スイスの暗い過去 被害者ポートレート 国に幼少期を奪われた人々に光を当てる

1981年までスイスでは、社会規範にそぐわないという理由から、国の児童養護制度によって罪のない子供たちが強制的に里子に出されたり、児童養護施設や少年院に収容されたりした。こうした行政措置の被害を受けた人たちの苦しみに光を当て、ポートレート写真とともにその体験と思いを刻んだ本が出版された。

国際都市ジュネーブの歴史 100年前、国際連盟発足とともにジュネーブを発見した国際ジャーナリストたち

今から100年前、第一次世界大戦直後の1919年6月、ヴェルサイユ条約により、世界初の平和維持機構である国際連盟の本部としてスイスのジュネーブが選ばれた。この歴史的に大きな意義を持つ決定を機に、国内外から1500人近くの記者がジュネーブに集まり、ジュネーブから発信されるニュースは世界各国で新聞...

ブカレストを訪問したスイス閣僚ヴィリー・シュピューラー

スイス連邦閣僚のヴィリー・シュピューラーが1969年4月22日、ブカレストで開かれたスイスの産業メッセを訪問した。

小さな芸術 チューリヒの世界最小オペラが紡ぐ世界

チューリヒで世界最小のオペラが展示されている。それは1995年にこの世を去った舞台芸術家・興行師、ベルンハルト・ヴォーゲルザンガーの作品だ。

時計の国の時刻 125年前までスイス標準時は30分遅かった

スイスはグリニッジ子午線から東に15度のタイムゾーンにある。だが1894年5月31日までは、7.5度西寄り、つまり30分遅い時刻がスイスの標準時だった。「ベルン時間」と呼ばれていたものだ。

アーカイブ映像 スイス人の見た天安門事件

今から30年前。チューリヒ空港には多くのスイス公共放送の記者が集まり、中国から帰ってくるスイス人を探していた。1989年6月4日、北京の天安門広場や他の都市で起こった政治弾圧の目撃者から証言を得るためだ。

ローマ法王 バチカンのスイス衛兵、なり手が減少

毎年5月6日はバチカンのスイス衛兵にとって最も重要な日。新兵がローマ法王へ忠誠を誓う宣誓式が行われるからだ。500年の伝統を誇るバチカンのスイス衛兵だが、最近はなり手の確保に苦心している。

シリーズ「スイスのアナーキスト」第4回 ジュネーブで爆弾が爆発したとき

スイスは欧州の中で平安無事の「島」と言えるだろうか?少なくとも20世紀初頭は違った。ジュネーブでは1902年と1905年に爆弾事件が2件発生。事件の背景には、イタリアとロシア出身のアナーキストたちが関わっていた。