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シリーズ「スイスのアナーキスト」第5回 人違いから起きた高級ホテル殺人事件

若いロシア人の女が1906年、ユングフラウなどスイス名峰の観光拠点であるインターラーケンの高級ホテルでフランス人実業家を射殺した。女はアナーキストだった。この事件の裁判ではスイスアルプスを擁するベルナーオーバーラント地方の農家たちが陪審員を務め、寛大な判決が下された。 

月面着陸から50年 アポロ11号がスイス文化に残した足跡

50年前に人類が初めて月に降り立った瞬間は、スイス文化にも大きな足跡を残した。

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軍事同盟 NATOが創設70周年 スイスとの関係は?

北大西洋条約機構(NATO)は今年、創設70周年を迎えた。スイスは中立国のため非加盟だが、20年以上、NATOと協力関係にある。

スイスの暗い過去 被害者ポートレート 国に幼少期を奪われた人々に光を当てる

1981年までスイスでは、社会規範にそぐわないという理由から、国の児童養護制度によって罪のない子供たちが強制的に里子に出されたり、児童養護施設や少年院に収容されたりした。こうした行政措置の被害を受けた人たちの苦しみに光を当て、ポートレート写真とともにその体験と思いを刻んだ本が出版された。

国際都市ジュネーブの歴史 100年前、国際連盟発足とともにジュネーブを発見した国際ジャーナリストたち

今から100年前、第一次世界大戦直後の1919年6月、ヴェルサイユ条約により、世界初の平和維持機構である国際連盟の本部としてスイスのジュネーブが選ばれた。この歴史的に大きな意義を持つ決定を機に、国内外から1500人近くの記者がジュネーブに集まり、ジュネーブから発信されるニュースは世界各国で新聞...

ブカレストを訪問したスイス閣僚ヴィリー・シュピューラー

スイス連邦閣僚のヴィリー・シュピューラーが1969年4月22日、ブカレストで開かれたスイスの産業メッセを訪問した。

小さな芸術 チューリヒの世界最小オペラが紡ぐ世界

チューリヒで世界最小のオペラが展示されている。それは1995年にこの世を去った舞台芸術家・興行師、ベルンハルト・ヴォーゲルザンガーの作品だ。

時計の国の時刻 125年前までスイス標準時は30分遅かった

スイスはグリニッジ子午線から東に15度のタイムゾーンにある。だが1894年5月31日までは、7.5度西寄り、つまり30分遅い時刻がスイスの標準時だった。「ベルン時間」と呼ばれていたものだ。

アーカイブ映像 スイス人の見た天安門事件

今から30年前。チューリヒ空港には多くのスイス公共放送の記者が集まり、中国から帰ってくるスイス人を探していた。1989年6月4日、北京の天安門広場や他の都市で起こった政治弾圧の目撃者から証言を得るためだ。

ローマ法王 バチカンのスイス衛兵、なり手が減少

毎年5月6日はバチカンのスイス衛兵にとって最も重要な日。新兵がローマ法王へ忠誠を誓う宣誓式が行われるからだ。500年の伝統を誇るバチカンのスイス衛兵だが、最近はなり手の確保に苦心している。

シリーズ「スイスのアナーキスト」第4回 ジュネーブで爆弾が爆発したとき

スイスは欧州の中で平安無事の「島」と言えるだろうか?少なくとも20世紀初頭は違った。ジュネーブでは1902年と1905年に爆弾事件が2件発生。事件の背景には、イタリアとロシア出身のアナーキストたちが関わっていた。

テロ スリランカのテロ、スイス人2人が犠牲に

スイス連邦外務省は、スリランカの連続爆破テロでスイス人2人が死亡したことを確認した。うち1人はスイスとスリランカの二重国籍だった。

このコンテンツは2019/04/23 10:40に配信されました

歴史的建造物 スイスの歴史遺産から学ぶーノートルダム大聖堂、どう再建する?

パリのノートルダム大聖堂が火災で焼けた姿は、スイス人にある過去を思い出させる。それは、同じく炎に包まれ、再建によってよみがえったルツェルンのカペル橋だ。このような歴史的遺産をどう再建するか。スイスの専門家に聞いた。

スイス国立博物館公式ブログより スイス人が発明した「台所の強い味方」

フランス料理、イタリア料理、中華料理が世界中で親しまれる一方で、スイス料理を知る人はあまりいない。だがスイスは発明品で料理に貢献しているのだ。世界中で料理人をお手伝いする、「台所のスグレモノ」をご紹介する。

スイスのイースター スイス異色の復活祭 泣く女達の行進

スイス西部フリブール州の中世の街並みが残る小さな町ロモンでは、復活祭前の聖金曜日に、不気味ですらある珍しい宗教行事が執り行われる。全身を黒装束に包んだ女性達がキリストの死を嘆き、泣く。 ...

日・スイス関係 スイス人に愛されるベルン・バラ公園のソメイヨシノ

スイスの首都ベルン・バラ公園には毎春、ソメイヨシノを眺めに多くのスイス人や観光客、日本人が訪れる。今年は新たに植樹された36本の苗木が、1975年に贈られた古株とともに世界遺産のベルン旧市街の眺望を彩る。

日本・スイス関係 ベルン・バラ公園のソメイヨシノ 若木が語り継ぐ酪農交流の歴史

スイスの首都・ベルンのローゼンガルテン(バラ公園)は毎春、日本から贈られたソメイヨシノが世界遺産都市に華を添える。今年は新しく植樹された苗木36本が初々しさも醸し出す。ベルン市民の間ではすっかり有名になったソメイヨシノだが、44年前にある日本人から寄贈された歴史はあまり知られていない。

#SwissHistoryPics 米軍がスイス・シャフハウゼンを誤爆してから75年

第二次世界大戦中、スイスは連合国側の見間違いによって何度か爆撃を受けた。最も被害が大きかったのはちょうど75年前、米国空軍がスイス北東部・シャフハウゼンに焼夷弾と破裂弾約400発を落とした悲劇だ。

外交 あれから20年~中国がスイスと絶交した日

中国の習近平国家主席が欧州を公式訪問し、自国の広域経済圏構想「一帯一路」を推し進めている。だがスイスには立ち寄らない。スイスと中国はすでに緊密な経済関係を結んでおり、その必要がないからだ。しかし、そんな友好関係が20年前に一度、破綻したことがあった。

シリーズ「スイスのアナーキスト」第3回 「皇后の心臓に命中」ジュネーブで起きたエリーザベト皇后暗殺事件

スイスで1898年、世界史に新たな1ページを刻む事件が発生した。シシィの愛称で親しまれたオーストリア皇后のエリーザベトが、ジュネーブでイタリア人アナーキストに刺殺されたのだ。この事件は世間を震撼させ、スイスは世界中から怒りを買った。しかしスイスは寛大な難民政策を守り通した。

建国300周年 貧しかったスイスの隣国リヒテンシュタイン

リヒテンシュタイン侯国では第二次世界大戦中に新しい産業が誕生し、戦後の国の姿をがらりと変えた。貧しい農業国から工業・サービス立国に変身したのだ。