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サービスを考える – スイスと日本の違い

至れり尽くせりのサービスはあまりない。そり遊びのために自分で高台までそりを運ぶ子供 swissinfo.ch

11月に日本に帰国した時に、つくづくと思ったことがある。「日本、すごい」と。いい意味でもそうでいない意味でもびっくりすることがあった。スイスにずいぶんと慣れて、祖国日本をまるで外国人のように驚きの目で見ることが多くなったのだ。今日は、日本とスイスのサービスの違いをテーマに、日本帰国で感じたことを綴ってみたい。

 私がスイスに住むようになって今年で13年になる。つまり、今世紀のほとんどをスイスで過ごしている。現代社会というのは変化が激しいものだから、スイスもこの間にいろいろと変わってきている。だが、日本の変化は輪をかけて凄まじく、帰国する度にまるで違う国に行ったように感じる。

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 前回帰国したのは2年前、東日本大震災から数ヶ月しか経っておらず、原子力発電所の稼働停止で東京の節電ムードはかなりのものだった。今回も節電が続いていると言えばそうだったが、2年前の切迫した感じはどこにも感じられなかった。実をいうと、節電を声高に訴えていた2011年でも、スイスの田舎から来た私には東京の明るさは異常に思えて、「暗くて怖い」と不安がる友人に首を傾げてしまった。

 そして、フルタイムで働いている友人が、節電のために店舗が営業時間を縮小していて買い物に困るとこぼしていた。問題は困っているというその時刻である。もともとは夜0時まで開いていたスーパーマーケットの営業時間が21時になってしまったと嘆いていたのだ。私にはショックだった。なぜなら、私が東京にいた頃、21時まで営業していた店舗は近所になかったがそれで困った記憶はなかったからである。

 スイスでその発言をしたら、正気を疑われるに違いない。私の住む地域ではスーパーマーケットの閉店は平日だと18時半だ。小さな店舗だともっと早いこともある。土曜日は16時頃に閉店する。日曜日は営業していない。鉄道駅や空港、一部のガソリンスタンドは日曜祝日の営業が認められ、深夜や早朝にも営業することが出来る。また、観光地の土産物屋など日曜祝日がかき入れ時となる店も営業が許可されるが、通常の店舗は法律で厳しく制限されているのだ。そして、日本でおなじみのコンビニエンスストアは存在しない。

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「でも、不便じゃない?」

日本人はたいていこう質問する。するとスイス人の多くはこう答える。

「従業員にだって生活があるだろう」

「お客様は神様です」

日本ではよく聞くフレーズで、サービスをする側は客を喜ばせるために多くのことに耐えるのが当然だという風潮がある。消費者が夜中に買い物をしたければ、その便宜を図る。労働者は賃金をもらっているんだから遅く働いてもいいだろうという感覚だ。だが、その労働者にも消費者と同じように生活がある。私は、そのどちらも尊重されるべきものだと思う。数名の客が夜9時に買い物をできることと、毎日誰かが夜9時まで拘束されることを秤にかけて、客の方を尊重すべきとは思えないのだ。スイスにも不規則な時間帯で働くことを余儀なくされる労働者はいる。けれどそれは、公共交通、警察、病院勤務など、それが必要不可欠な職種やその時間に営業することが多くの人の利益に適うと認められた店などだ。明日で間に合うリンゴ1個を買い忘れた消費者のためではない。

 クリスマスや復活祭の前日、私の住む地方のスーパーマーケットは通常より早く16時には閉まってしまう。私の仕事が終わったのも16時で、あわてて買い物に走ってももうどこの店も開いていなかった。前日までに計画的に買い物をしておかなかった消費者が多少不便を感じることよりも、労働者たちが早く家に帰りクリスマスイヴを家族で楽しく迎えることの方が大事だというのはよく理解できる。

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 一方で、日本のサービスのきめ細やかさに、毎回感心するのも事実だ。日本ではサービスというものは、相手の立場に立って先回りして考えるもの。しかも、商品の利益を度外視した内容のこともある。例えば、日本の百貨店では雨が降ると店内で流れる音楽が替わり、それによって店員が雨用の紙袋を用意する。スイスでは高級デパートでも、客が店を出た後のことを気にすることはあまりない。

 日本の電車にもいつも驚かされる。時間に正確で、定位置に停まり、しかも案内がとても丁寧だ。スイスの鉄道もヨーロッパの中では特に時間に正確なことで有名で、雪の日でもバスが定刻にやってくるけれど、もし五分くらい遅れたとしても運転手が平謝りするということはない。日本の電車に乗ったとき、電車が一分遅れただけで車内放送で何度も謝っていた。こんな経験は久しぶりだったのでとても驚いた。

 サービスの範疇を超えているかもしれないが、商品開発にも日本らしいきめ細やかさがたくさんあって、素晴らしいと思う。例えばクリスマスの時期にいつもある苺。自然界の法則から考えるとこの時期に苺が出回っているのは普通ではない。旬の果物ではないのだから味の良さを期待するのはわがままというものだ。私のスイス人の連れ合いも初来日の時にそう言って店頭の苺はまずいと思い込んでいた。だが、ひと口食べて飛び上がったのだ。彼は世界中のどこに行っても、あんなに甘くておいしい苺は食べたことはなかった。売るからには消費者を満足させる最高の味と外見を用意したい。これは日本で販売されている多くの商品に共通した特徴である。その努力には本当に頭が下がる。

 高級レストランとはいえない食堂に行っても、すっとおしぼりが出てくるし、たとえば商品のパッケージひとつでも、消費者がカッターやはさみを使わなくてもすっと開けられるような工夫が凝らされている。日本ではそれは当然のことかもしれないが、スイスに戻ってきて同じ状況で苦労すると、日本の人びとにしみついたきめ細やかさという美徳が際立ってくる。

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 帰国したり、インターネットで日本の情報に触れたりするとき、こうした日本の素晴らしさについて、日本人は慣れ過ぎて麻痺しているのではないかと思うことがよくある。スイスに較べて、サービスに対する苦情が厳しすぎるとよく思うし、サービスを受けた人びとが「ありがとう」という言葉を口にすることが少ないと感じるのだ。

 サービスはもともと相手を喜ばせようと心する思いやりから出た特別な行為だったから、驚きと感謝を持って受け止められたはずだ。けれど、それが日常化することで、受けているサービスに対する鈍感さがどんどん広がっているように感じる。買ったものが濡れないように特別の紙袋を用意してもらっても感謝の気持ちも持たない。おしぼりを渡してもらって当然。コンビニエンスストアで何も買わずにトイレを借りる。残業が終わった後にも買い物がしたいので、スーパーマーケットが夜中まで開いている方がいい。消費者が人間であるように、労働者もまた人間である。心を込めて相手を喜ばせようとしても、それが当然のこととして認められないのはつまらない。嬉しいサービスを受け取ったら、やはり心から「ありがとう」と口にできる、そういう社会であってほしいと思う。

ソリーヴァ江口葵

東京都出身。2001年よりグラウビュンデン州ドムレシュク谷のシルス村に在住。夫と二人暮らしで、職業はプログラマー。趣味は旅行と音楽鑑賞。自然が好きで、静かな田舎の村暮らしを楽しんでいます。

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SWI swissinfo.ch スイス公共放送協会の国際部

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