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ザウバーF1チーム、BMWに売却:会長インタビュー

ザウバー氏を惜しむ声も高く響く Keystone

スイスが誇るF1チーム、ザウバー(Sauber)の会長、ペーター・ザウバー氏がチームの売却についてスイスインフォに語った。F1で最も成功を収めたともいわれる個人のレーシングチームが、35年以上の輝かしい歴史の幕を閉じる。

それは、電気学科の卒業生がフォルクス・ワーゲンの「ビートル」から始めて、ル・マン24時間耐久レースを勝ち抜き、モータースポーツの俊英としてF1レースで数々の勝利に酔うまでのちょっとした旅だった。

独BMW社は6月22日、スイスのF1チーム、ザウバーの株式の過半数を買収したと発表した。62歳になる創業者、ペーター・ザウバー氏は、「この何年か、ずっとしっかりした売却先を探していた」とコメントを出した。  

「BMWとの提携は2つの点で非常に理想的でした。1つは、車の性能の向上が期待できること、もう1つは、現在ザウバー社で働いている約300人の従業員の、確実な受け皿となってくれることです」

ザウバー・チームの本拠地はスイスのチューリヒ郊外だが、BMWはここで働く従業員数をさらに増やす計画さえ立てている。昨年、ザウバーはウインドトンネル(車体に風をあてて空気の動きを見る実験所)に7000万フラン(約60億円)もかけ、世界でもこの分野で最先端をいっているのだ。

スイスF1の父

 電気工学専門だったペーター・ザウバー氏は、1970年に以前に創業していたPPザウバーをザウバー・モータースポーツと名前を変え、本格的にレースの世界に乗り出した。

 個人が持つチームをプライベーターというが、ザウバーはF1の中でもプライベーターの雄であった。ザウバー氏は堅実な経営手法でチーム内外からの尊敬を集めており、ザウバー・チームは資金規模で圧倒する大企業とも対等にやりあってきた。

 F1解説者のジャック・デッシュノー氏はスイスインフォに語る。「ザウバー氏は多くの人々から尊敬されていました。同時にザウバー社は、F1の中で最高のプライベート・チームだと誰もが評価していたのです。ミヒャエル・シューマッハやハインツ・フレンツェン、フェリッペ・マッサ、キミ・ライキネンなどもここから巣立ちました」

 デッシュノー氏によるとザウバー氏の偉業はその経営手法だけではない。スイスでは1995年に80人もの観客が事故に巻き込まれて死んでから、モータースポーツが禁止されている。このような国に会社の本拠地を置き、世界的レーシングカー・チームを作りあげるのは並大抵のことではなかった。

早くから成功を収める

 彼のモータースポーツはフォルクス・ワーゲンの「ビートル」から始まった。そして1970年、愛妻クリスティアンの頭文字「C」を取って「C1」と名づけた車を、両親の家の地下室で制作する。今でもザウバー・チームの車は「C」を冠している。現在の車は「C24」だ。

 ザウバー・チームが初めて世界の注目を浴びたのは1976年、C5を運転したヘルベルト・ミューラーが欧州レースで優勝を飾ってからだ。その後、メルセデス・ベンツのエンジンを搭載したザウバー・チームは、世界スポーツカー選手権やル・マン24時間レースで優勝するなど、1980年代にはめざましい活躍ぶりを見せる。この時ドライバーだったのが後に世界的なトップレーサーとなるミヒャエル・シューマッハである。

 1993年の南アフリカ・グランプリで、ザウバー・チームは満を期してF1に参戦する。この時のドライバーはフィン・レトで、初参戦ながら決勝に残り、5位に食い込んだ。初めて表彰台に登ったのは、モンツァで開催されたイタリア・グランプリで、ハインツ・フレンツェンが3位になった。

満足のいく売却先

 このような輝かしい業績にもかかわらず、チームを売却したことについて、ペーター・ザウバー氏は「年を追うにつれ、レースで優勝するためには資金がかかりすぎるようになりました。どこのチームにとっても運営は非常に難しくなってきましたが、これが個人のチームとなれば、なおさらなのです」と理由を語る。

 「BMWとの連携は、ザウバー・チームがこれからも続いていくための保障だったのです」。ザウバー氏は強調する。「嵐の中もなんとかくぐりぬけて、35年以上もやってきました。この大切なチームを絶対に安心な相手にお願いすることが、この上なく重要なことでした」

 ザウバー氏は経営責任からは退くものの、アドバイザーとしては残る。彼はまだ20%の株を保有しているのだ。「けれどもこれから長期休暇を取ってゆっくり休みたいと思います」。ザウバー氏は、今後、F1レース会場よりもチューリヒ郊外の家で古いオートバイ(もちろんBMWだ)と過ごす時間の方を多くする予定だ。

 「今までは、年休も2、3日しか取れませんでした。これからはもう少し多く取れそうです」

swissinfo トーマス・シュテファンス、遊佐弘美(ゆさひろみ)意訳

– ペーター・ザウバー氏は1943年、チューリヒで生まれた。

– ザウバーのチームが初めてF1に参戦したのは南アフリカで、1993年のことだった。

– それから206回を数えるまでザウバーは優勝することはできなかったが、6回ほど3位に入った。

– ザウバーの年間予算は1億6000万フラン(約140億円)で、フェラーリより3億フラン(約250億円)安い。それでも1993年に比べて今年の予算は4倍にもなっていた。

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