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スイスの時計業界を救った男:ニコラス・ハイエック氏にインタビュー

時計をいっぱい腕に巻いたスイス経済界の大物. Swatch Group

一時どん底だったスイスの時計業界をよみがえらせた男、ニコラス・ハイエック氏。オメガなど大手メーカーも傘下に置くスウォッチ・グループの創設者だ。このスイス経済界の大物が、このたび本を出版した。スイスインフォが実像に迫る。

スイスの有名時計ブランド、「スウォッチ」を世に送り出したのは生粋のスイス人ではない。ハイエック氏の父はアメリカ人で母はレバノン人だ。スイス・ドリームの体現者ともいえよう。

 「自分の大きな弱点の一つは、人よりも目立ちたがり屋だということだ」。これだけ正直に書いた本も珍しい。本の題名は「ニコラス・ハイエック」(Nicolas G. Hayek im Gespräch mit Friedemann Bartu)。現在出版されているのはドイツ語だけだが、今後フランス語や英語でも出版が予定されている。

直球勝負

 彼自身の墓碑銘についてまで書いてある。ハイエック氏は、部下に「彼はどんな時でも公平だった。さもなくば、公平であろうと努力していた」という言葉を墓標に刻むように指示しているらしい。

 77歳にしてまだまだ意気盛んなハイエック氏。彼の成功とキャリアの長さは、スイスでも記録的なのではないか。確かにこの本は、彼の個人的な視点で書かれているので、かなり一方的かもしれない。しかし、隠し立てのない、直球勝負のような文脈は、ビジネスの成功物語として読者の期待を裏切らないだろう。

涙のスタート

 成功までの道のりは当然平坦ではなかった。コンサルタントの仕事をしていたハイエック氏は、ある日銀行から一本の電話を受け取る。なんとぼろぼろだったスイスの時計業界を立て直して、世界で最大の時計生産グループを作ってくれと依頼されたのだ。

 1957年のスイス建国記念日、8月1日。この日はハイエック氏にとって楽しく思い出すような日ではなかった。チューリヒの事務所に一人ぽつんと座った彼の部屋には電話さえなかった。そんなお金さえ工面できなかったのだ。電話をかけたかったら、毎回通りを渡って郵便局にある電話を使わなくてはならなかった。どこからか、人々が陽気に浮かれ騒いでいるのが聞こえてくると、若いハイエック氏の目から涙がぽとんと落ちた。

 仕事の目処はまったく立たず、問題だけが山積みで、目の前を真っ暗にしていた。「安定した職を投げ出してこんなこと引き受けちまうなんて、俺はなんて馬鹿なんだ!養っていかなくちゃいけない女房と二人の子供がいるっていうのに、こんな冒険に手をつけちゃいけなかったんだ」

 家族は家具を質に入れなければならないほど困窮し、とうとうハイエック氏は銀行から4000フラン(約36万円)のお金を借りた。「それまで1円だって誰からも借りたことがなかったのに。あれが最初で最後だね。まあ、おかげさまで、悪いことはそんなに長く続くものじゃないさ」、と彼は書いている。

 しかし涙ぐんでいたその青年は、その後、日本にお株を奪われて、にっちもさっちもいかなくなっていたスイスの時計産業を起死回生させた男として、スイスどころか世界中に名前をとどろかすことになる。

必要なのは船長

 ビール(Biel/Bienne)にあるスウォッチの本社で、ハイエック氏にインタビューした。会社の最高責任者の役割は、ひどい嵐の中で沈没しそうな船の船長になることだという。

「誰もどうすればいいのか分からず、死の恐怖で固まっていて、皆が諦めてしまっているような時、“いや、諦めるな、何とかなる”と叫ぶ役目なんだよ。諦めるなと口で言うだけではだめで、どうやってその場を乗り切ったら良いか、ということを実際に見せてやる。それが必要なリーダーシップというものだ」

 ハイエック氏は自分が決めた優先課題に関しては、どんなことも躊躇しない。優先課題とは、1に製品、2に製品、3、4がなくて5に製品、だ。一方、多くの大企業が困った時に行う人員削減については、非常に批判的だ。

 「彼らは企業を再編して、こねくりまわして、またあちこち触って、そんなことをしている間に、製品自体に対する問題を置き忘れてしまっている」

 「我々は良い品を作ろうとする時、人件費を考えてはいけない。社員は家族の一員なのだから。良い家族が良い製品を作るのだ」

太陽いっぱいの砂浜で

 ハイエック氏は成功の秘訣を教えてくれた。「まず、すばやく状況を判断し、分析すること。手をつける前に、市場や産業がどう動くかしっかり理解することが重要だ」

 「しっかりと見ることができれば、しっかり反応できる。そして準備万端整えて、正しい道を行くことができる。これが成功の最大の秘訣だね。次に重要なのは自信と、社員のやる気をいかに引き出すか、ということかな」

 「スウォッチ・ファミリーの全員が、我々は負けない、と本気で自分を信じる必要がある。そんな雰囲気が社内に満ちれば、必ず勝つ」

 しかし、世界最大規模の売り上げを誇るスウォッチの成功を支えるのは、やる気だけではない。なんといっても高いレベルでたゆまぬ技術革新を続けていることも、大きな理由だろう。年齢や性別を問わず、アイデアがあれば全て真剣に検討される。

 「夢のような話、大歓迎」。ハイエック氏は、このようなアイデアは、ねじり鉢巻をして頭からひねり出すのではなく、子供が砂浜で遊ぶような感覚で生み出されなければならないと語った。

 「創造力を削がず、伸ばしていってやらなければいけない。6歳の時の空想を忘れるな、と口を酸っぱくして言っているんだ。冗談ではなく、本気で言っているんだよ」

まだ最盛期に入っていない

 最近はスウォッチも例年の勢いがなくなってきたと書くメディアもあるが、ハイエック氏は反論する。

 「もちろん、スウォッチには多くの競争相手がいる。他の欧州地域でも、米国でも。でも、彼らは結局中国で生産しているのだ」

 スウォッチは全てスイスで生産している。「中国で生産すればコストは低いかもしれないが、製品の質も同じというわけにはいかない。しかし、質よりも見た目、という消費者には受けるだろう。だからスウォッチが前ほど巨大ではなくなった、ということはある」

 「しかし我々はまだ最盛期に入っていない。まだまだこれからだ」。77歳、闘志は衰えていない。

隠居には早い

 「私がやっているのは、仕事じゃないんだよ。大好きな趣味のようなものさ。毎日、本当に楽しくて仕方ないんだよ。一人で家にいるのなんて御免だ。そりゃ、人間だから時には一人になりたくなる時もあるがね。じっくり考えたい時、静かに音楽を聴きたい時、感情的になっている時、、、、そんな時はやっぱり一人になる必要があるね」

 「だから毎朝私は自分で車を運転して会社にやってくるのさ。運転手なんて必要ない。1時間と10分かかるんだが、これが必要なのだ」

 ハイエック氏は2002年末にCEO(最高経営責任者)の座を息子のニックに譲り渡した。しかし、この会社の事実上の支配者は替わっていない。

swissinfo、 ロバート・ブルックス(ビールにて) 遊佐弘美(ゆさひろみ)意訳

1928年生まれの77歳。風前の灯だったスイス時計業界を救った立役者として知られる。
2003年にはフランス政府から最も権威のあるレジオン・ドヌール勲章を贈られた。

-「自分の大きな弱点の一つは、人よりも目立ちたがり屋だということだ」。スイス経済界の大物が、直球勝負で語った。

-本の名前は「ニコラス・ハイエック」(Nicolas G. Hayek im Gespräch mit Friedemann Bartu)。現在出版されているのはドイツ語だけだが、今後フランス語や英語でも出版が予定されている。

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