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スイスを脅かす封建化

元チューリヒ統計局長のキースリンク氏は「スイスが封建社会化する」と指摘する Ursula Meisser

スイスの人口の1割が、国内住民の全財産の7割を所有する。チューリヒ州はさらに極端で、人口のたった1%の人が総財産の95%を所有しているという。

過去8年間で、300人の富裕層が4割その富を増やした。一方多くの住民の財産は1990年代と比較して、減っている。このような傾向はスイスに限ったことではない。しかし、スイスに住む億万長者の人口密度は世界一だ。こうした状況は政治的にも経済的にも危機だと指摘する著書を出版した元チューリヒ州統計局長のハンス・キースリンク氏 ( 65歳 ) に聞いた。

swissinfo : スイスといえば、より民主的であり社会福祉もより充実した連邦国として見られています。しかし今回出版された著書の中では、そのスイスが封建社会になってしまう危険を指摘なさっていますね。

キースリンク : 理由としてわたしは、億万長者の影響力に対して、スイスの直接民主主義体制が非常に無防備であることを挙げました。問題は、億万長者の密度が世界一だということにあります。ドイツに住む億万長者と同数の億万長者が小国スイスに住んでいるのです。

スイスに住む億万長者は国民投票にも影響を与えるようになりました。発端になったのは1992年に行われた「欧州経済共同体 ( EEA )」 への参加を問う国民投票です。当時のクリストフ・ブロッハー国民議会議員が、投票運動に何百万フランという資金を投じました。EEAへの加盟は否決されましたが、ブロッハー資金がなかったなら、EEAにスイスは加盟していたはずです。

swissinfo : スイスが封建国家になるというテーゼは、スイスのブルジョワ階級に大きな波紋を起こしました。「ばかばかしい」、「左翼のスローガン」、「グロテスク」という反響です。こうした批判をどう思いますか。

キースリンク : 批判はいろいろありましたが、おおよそ公正に批判されていると思います。マスコミの多くは、わたしの基本姿勢が自由主義であると信じています。本の中でも、努力した人が報われる競争社会を支持していると何度も書きましたし、経済的な努力により大金持ちになった人を問題視する気持ちはまったくありません。

swissinfo : 著書には資産の集中は民主主義ばかりではなく、経済も侵すとあります。どういう意味でしょうか。

キースリンク : 中・下流階級の人たちが、上流階級との距離がどんどん広まっていくと感じるようになり、市場経済の競争での「負け組」になったと感じるとすると、当然のことながら市場経済のシステムは崩壊します。

人々は市場経済のシステムに批判的になり、保護主義的な思想が支持されるようになります。中産階級がほとんど崩壊しているアメリカを見れば歴然としています。現在、2人の米大統領候補は、保護主義的政策に色目を使っているではありませんか。

swissinfo : あなたは、富裕層に対して遺産相続税を課すことを提案しています。チューリヒでは州民投票で遺産相続税は却下されました。課税導入により富裕層はスイスから国外へ出て行かないでしょうか。

キースリンク : ドイツの遺産相続税の税率は40%です。フランスはそれ以上です。こうした国でも億万長者の脱出の危険はありません。わたしは本の中で、大金持ちに対しての遺産相続税の導入を主張しています。遺産額100万フラン ( 約1億円 ) 以上を相続した場合です。せっかく買った家を子どもに残せないというような事態は避けたいと思うからです。わたしの狙いは、南米に見られるような巨大なファミリーが出現し、経済から政治まで影響力を持つような封建社会が忍び寄ることは避けられるということなのです。

swissinfo : スイスでも中産階級が危機に立たされていることは、人道援助団体「カリタス ( Caritas ) 」のユルク・クルメナッハー元代表も嘆いています。スイスでは金持ちはますます裕福になっていく。資産研究家のトマス・ドリューエン教授もスイスに世界最大の資産が集中していると指摘しています。こういった主張にあなたの論理は支えられていると感じますか。

キースリンク : そうですね。わたしも資産の集中については指摘しています。中産階級の危機についてですが、わたしは、富裕層と貧困層を比較し計算して指標を出しただけではありません。富裕層と中産階級も比較しました。全国的な統計はありませんが、チューリヒ州で見ると、1991年には富裕層上部1%が、平均的な市民の持つ資産の677倍の資産を持っていましたが、12年後の2003年には1027倍になっています。中産階級と富裕層の差が大きく広がったのです。

下流階級は初めから社会的援助がありますが、中産階級の人間は、健康保険、保育園、老人ホームなどまず自分の資産を使い切らない限り、社会保護を受けることができません。こうした点からも、大きな危険にさらされているのは中産階級なのです。

swissinfo、聞き手 ジャン・ミシェル・ベルトゥ 佐藤夕美 ( さとう ゆうみ ) 訳

1991年、チューリヒ州における長者番付上位3人の資産は合わせて13億フランだったが、2003年には45億フランに膨らんだ。また、スイスに住む長者番付100位までの資産の合計は1991年には90億フランだったのが、2003年には212億フランと27.1%も増加した。今後30年間で100万フランから200万フランの遺産を相続する人は9万5000人、10億フラン以上の遺産を相続する人は50人になると見込まれている。
経済月刊誌ビランツ ( Blanz ) によると、チューリヒ州に住む長者番付1位はロシア人のヴィクトル・ヴェクセルベルク氏でその資産は140億フランから150億フランと見込まれている。( 1フランは約95円 )

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SWI swissinfo.ch スイス公共放送協会の国際部

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