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ポラントリュイに暮らして

Château:ポラントリュイ城。塔から左部分はバーゼル大公司教の住まいであった。 swissinfo.ch

「光陰矢の如し」とはよく言ったもので、ポラントリュイ暮らしも今年で18年になった。今でこそ土地に根ざした諸活動に没頭し、日常を満喫しているが、引っ越し当初から数年間は、町の魅力になぞ、これっぽっちも気づかなかった。

 昔はこの辺りで日本人といえば私だけだったが、数年来、若い日本女性がぼちぼち住み始めている。彼女達の明るい表情や前向きな暮らしぶり・活躍を拝見するにあたり、ああ以前の自分は外国生活というまたとないチャンスに恵まれながら、何と消極的だったのかと反省すること幾たびか。私にとっては「暗い過去シリーズ」に入るあの頃。その失われた数年間を取り戻すため、今を懸命に生きるとしよう。

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 ポラントリュイはスイス北西部の隅っこに位置し、人口6600人余と小さく、非常に地味な存在だ。しかしながら、スイスで一番新しい州、カントン・ジュラに於いては、主要な高等教育機関が集中し、尚且つ歴史・文化豊かな古都として一定の評価を受けている。ポラントリュイでの生活が徐々に楽しくなり、町や住民への愛情が深まるに連れ、「この町の良さをもっと皆に知ってもらいたい!」という願望が湧き起こった。その結果、執筆やガイドといった活動に身を投じることになったのである。

 住宅地は年々広がりを見せているが、町は大変歩きやすい。旧市街を中心に小さくまとまり、名所旧跡も凝縮されている。また、その文化遺産クラスの建物を住民が平然と使ってはばからないのも日本人にとっては驚異である。保存・修理具合はまちまちで、なんせ個人宅内の問題であるから、他人があれこれ口を出せることではない。歴史的に価値あるものがいずれは朽ち果てていくのではないかと、ヒヤヒヤしながら横目で見てしまう。

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 歴史遺産と共存している町の人々は、いたって親しみやすく、陽気でホスピタリティにも富んでいる。フランス国境までは車で15分。古来より諸外国との行き来が盛んで、神聖ローマ帝国、そしてフランス王国とも深く関わっていた。その陰で、緊密な交流の弊害に翻弄され続けたことも事実だ。大小の戦争中は各国の侵攻に脅え、政権は権力者の手から手へとたらい回しされ、カントンとしてなかなか独立を認めてもらえなかった。酸いも甘いもかみ分けた末、ポジティヴに形成されたメンタリティなのだろうか。

 フランスと言えば、ジュラはフランス大革命よりナポレオン没落~ウィーン会議まではフランスの領土であった。ポラントリュイは県庁や郡庁が置かれ、ナポレオンの逆鱗に触れた将軍が左遷された地でもある。ちなみにこの将軍Delmasが住んだ館は、現在、老舗の高級家具屋「ニコル」家が所蔵し、広大な家具展示場となっている。余談だが、この家具屋のご主人ニコル氏の先祖は故・シャルル・ド・ゴール大統領の先祖と従兄弟同士であると、最近、ある系図研究家により発表された。ド・ゴールの先祖であるニコル氏は、ポラントリュイに生まれ、フランス国王の傭兵としてフランスに赴いたそうである。この思いがけないニュースに狂喜したポラントリュイ人も少なくない。正に地方史の醍醐味である。

 ことあるごとにポラントリュイの良さをアピールしてしまう私だが、少なくとも、この小さな町に安住し、深く根を下ろし始めているゆえだと自負したい。

マルキ明子

大阪生まれ。イギリス語学留学を経て1993年よりスイス・ジュラ州ポラントリュイ市に在住。スイス人の夫と二人の娘の、四人家族。ポラントリュイガイド協会所属。2003年以降、「ラ・ヴィ・アン・ローズ」など、ジュラを舞台にした小説三作を発表し、執筆活動を始める。趣味は読書、音楽鑑賞。

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SWI swissinfo.ch スイス公共放送協会の国際部

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