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平田オリザの世界

Meister

平田オリザ氏脚本、演出の「ヤルタ会談」と「東京ノート」がジュネーブのフェスティバル「ラ・バティ」で9月6日から10日まで上演された。

スイスが海外初公演の「ヤルタ会談」は、戦後処理を話し合う3首脳会談をブラックユーモアに仕立てた作品。一方「東京ノート」は、海外公演が16回目という平田氏の代表作。小津安二郎の「東京物語」を基調に、静かに人生模様を描く。

 「ヤルタ会談」では、ルーズベルト、チャーチル、スターリンの3首脳がテーブルを囲み領土分割問題などを話し合っている。しかし、ルーズベルト役の若い女性が東京空襲を「うん、なんかね、上から見てるときれいらしいのよね。ほら、日本って、全部家が木と紙でできているじゃない。だから、燃える燃える」といった風に語るとブラックユーモア性が彷彿とする。

 「東京ノート」は「そうね」と言ったあとに長い沈黙がある話し方で展開する静かな作品だ。カップルや家族が美術館の休憩室で行う会話を通して、個々の人間が抱える人生の問題、親の世話、夫婦の亀裂などが「精神の振幅の繊細なところをあぶり出す」ように観客に提示される。

 もともとフェスティバルの主催者「ラ・バティ ( La Batie ) 」は、「東京ノート」のみを希望していた。しかし国際都市ジュネーブという土地柄に「ヤルタ会談」上演も頼んだと平田氏は言う。平田氏とスイスの関係は深く、ヴァレー州エーグル市の「テアトル・ド・ムーラン・ヌフ」で、2002年、2006年に平田作品を上演。このエーグル市の劇団は東京にも行き、今回の舞台装置もエーグルで作ったという。

swissinfo.ch :「ヤルタ会談」は観客が爆笑し、大変に受けていますが、この反応をどう受けとめていますか。

平田 : 「ヤルタ会談」はブラックユーモアの芝居なので、( 観客の反応を ) やる前に非常に心配します。場所によって受け取り方が違いますから。例えば原爆の話が出てきますから、長崎ではとても心配し、実際やっている最中に引いちゃった観客もいます。

今回も劇場がユダヤ人の多そうな地区なので心配しました。劇中ユダヤ人ネタも多いので、無事に終わって良かったなと思っています。

しかし、ヨーロッパではヤルタ会談の歴史的背景を理解している人が多いので、日本より受けるのではないかと思っていましたので、今回の反応は予想通りだったというか、本当に良かったです。

swissinfo.ch : 「ヤルタ会談」をブラックユーモアに仕立てることで、結局何を表現しようとされていますか。

平田 : 歴史というものが、個人の嫉妬心とか猜疑心とか、あいまいなもので意外と決められているのではないかということ。それと権力の怖さですかね。国家とか権力といったものを極限まで風刺してみようと思って書いた作品です。

swissinfo.ch : しかし、「ヤルタ会談」がギャグになると初めから思われたのですか。

平田 : ええ、最初からこれはいけると思いました。劇作家としてはどんな状況でもどんな会話でも基本的にコメディーの要素はあると思ってはいますが。

今回、イギリス、アメリカ、ソ連の3首脳ですが、1人が会談の席を立ったときに残った2人でいない人の批判をするという構造です。そもそも一般的に、こうした、いない人の悪口を言うということでドラマは成立するものなのです。

さらに、イギリスとロシアには歴史があり文化的にも誇りを持っているが、アメリカは歴史のない国。ソ連とアメリカは大国だがイギリスは小国。イギリスとアメリカは資本主義でソ連は共産主義。つまり2対1の対立構造が作りやすかったということはあり、それに初めに気がついたとき、「あっこれはおもしろいドラマになるな」と劇作家として思いました。

swissinfo.ch : ルーズベルト大統領は、歴史上では当時病気でやせ細っていたという話ですが、劇中ではどっしりとした若い女性がいつもにこやかに演じています。彼女はアメリカという国の楽観的なところを象徴しているのでしょうか。

平田 : そうです。ルーズベルト役の女性は保安官のバッチをつけて世界の警察官を自認しており、ノー天気なアメリカを象徴しています。また、スターリンも女性にしたのは、フィクション性を高めるためです。

多分男性がやると、似ている、似ていないの話になってしまう。女性だと最初から似ている、似ていないということは関係なくなり、現実の会談とすごく距離ができるからです。

swissinfo.ch :ところで、「東京ノート」は深い感動を観客に引き起こしています。平田さんは西洋翻訳演劇の不自然さに反対し、自然な日本語、自然な演技を実践する「現代口語演劇」を提唱されましたが、その代表作であるこの作品は、いい意味での日本的な要素が強い作品なのでしょうか。

平田 : 演劇の文体は、会話と会話の間の沈黙、いわゆる「間」とか、非常に日本的ですが、内容は ( 家族の問題など ) いわば普遍的で、別に侍の出てくるジャパネスクではないわけです。今の時代はヨーロッパの人にとってはこうした普遍的なもののほうが ( 演劇的な ) 価値があるようです。30年前までは、日本人アーティストがヨーロッパで活躍するためには、すごくジャパネスクなものを強調しなくてはいけなかった。黒沢明や三島由紀夫がそうだったわけですが。

今はそうではなくて、村上春樹さんにしても内容はジャパネスクではないですよね。ただ、「間」といった文体みたいなものが少しこちらの文体とは違う。そういうものがヨーロッパ人にとっては新鮮な感じがするらしいのです。何が受けるか良く分からないのですが。

swissinfo.ch : 劇中では、普通の日常会話の中に急に画家フェルメールの話や、17世紀の世界観、「絵を鑑賞することは劇を鑑賞することに似ている」といった哲学的会話が挿入されますが、それには意図的な意味がありますか。

平田 : 演劇だけではなく、芸術の役割ですが、実はボスニア戦争をテレビで見ていて、夕食を取りながら戦争を見ているという違和感があった。で、その違和感そのものを書きたかったということが1つと、もう1つはその違和感の中で、演劇を作るということがどういう役割を果たすのかを考えたかったということです。

顕微鏡のような特殊なレンズで世界を見て、そこに確かにあるが普段は気がつかなかったり、見ることができなかったり、見て見ぬ振りをするものを拡大して見せるのが、芸術の本来の役割で、さらにそれを観客に突きつけるのもその役割だと思っています。

「東京ノート」はそれをストレートにセリフの中でも書いた作品だと思っています。また、こうした芸術論のようなものとか日常的会話といった、レベルの違うものがランダムにはいってくるのが、僕の台本の1つの特徴です。それもヨーロッパの戯曲にあまりない特徴なので、面白いとよく言われます。

swissinfo.ch、里信邦子 ( さとのぶ くにこ )

1962年、東京に生まれる。
1978年、16歳で高校を休学し、自転車による世界一周旅行を敢行。
1987年、国際基督教大学に入学し、この時期からみずから演出を担当する。 
1988年、平田オリザ氏が支配人を務める「こまばアゴラ劇場」で全国の小劇団が集う「大世紀末演劇展」を開催。
1995年、「東京ノート」で第39回岸田國士戯曲賞を受賞。
1998年、「月の岬」で第5回読売演劇大賞優秀演出家賞、最優秀作品賞受賞。
2002年、「上野動物園再々々襲撃」で第9回読売演劇大賞受賞。「芸術立国論」でAICT評論家賞受賞。
2003年、「その河をこえて、五月」で第2回朝日舞台芸術賞グランプリ受賞。「ソウルノート」韓国ソウルにて公演。
2006年、モンブラン国際文化賞受賞。
2007年、「別れの歌」がフランス5都市で公演。
2008年、ベルギー王立フランドル劇場から委託を受け「森の奥」を書き下ろし。

現在、大阪大学コミュニケーションデザイン・センター教授、首都大学東京客員教授、日本演劇学界理事などを務める ( 平田氏を中心に結成された劇団「青年団」の出版物から抜粋 )

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