スイスの視点を10言語で

心のザイルでつながった仲間と挑んだアイガー北壁「日本直登ルート」

スイス・ユングフラウ地方の名峰アイガー北壁の山麓から頂上まで真っ直ぐに伸びるルート「Japaner Direttissima(日本直登ルート)」が、日本人登山家に開拓され50年を迎える。当時、その登山家グループの隊長だった加藤滝男さん(75)がスイスインフォとのインタビューで、信頼のおける仲間と成功させた挑戦について語った。

スイスインフォ:岩登りに優れた登山家の会「ジャパン・エキスパート・クライマーズ・クラブ(JECC)」のメンバーで、なぜアイガー北壁を直登しようと思ったのですか?

加藤滝男さん:絶対に登れるという確信がありました。当時、日本からヒマラヤにかなりの数の遠征隊が出ていましたが、岩壁登山は日本ではまだ馴染みの薄い登山スタイルでした。しかし、JECCの場合、1人1人が岩壁登山の優れた技量を持っていたので、行ってみようかということになりました。アイガーでなくても良かったのですが、アイガー北壁はJECCでなければ出来ないだろうと思いました。

日本直登ルート

1969年夏、6人の日本人登山家(加藤滝男、今井通子、天野博文、久保進、根岸知、加藤保男)が開拓したアイガー北壁の新ルート。アイガー北壁は、高さ1800メートルの直立した登攀が困難な岩壁で、「死の壁」とも呼ばれ、1934年の初挑戦以来、多くの登山家が挑戦し命を落とした。同ルートは山麓から頂上に真っ直ぐに伸び、日本人登山家が開拓したことからJapaner Direttissimaと名付けられた。

スイスインフォ:メンバーはどのように選んだのですか?

加藤:アイガー北壁に向かうには、心のザイルでつながっている仲間とのグループ登山しかないと考えました。一般に、岩登りは、個人、個人、個人、という世界ですが、グループ登山なら、弱いところは助け合うことができます。荷物を運ぶのに必要な人数や、また、ある程度の人数でお金を出し合った方が、計画の実行可能性が高まるといったことも考慮しました。メンバーに外国人が入ると、まず個人の意見を尊重しなくてはいけませんが、日本人だけなら、言わなくても通じるという気安さもありました。

スイスインフォ:挑戦を前に恐怖心は無かったのですか?

加藤:ありました。でも、信頼のおける仲間が集まり、それを克服できました。

加藤滝尾さん
アイガーを背景に微笑む加藤滝男さん。引退した今も年に数回、アイガー山麓の村グリンデルワルトに足を運ぶ。2018年12月28日撮影 Mari Eto / swissinfo.ch

スイスインフォ:アイガー北壁登攀のための装備は、加藤さんが新しくデザインしたのですか?

加藤:日本人の体に合った、また、ルートに合わせた道具が必要でした。それで、登山用具をデザインし、デザイン料はもらわないけれども製品テストをするという形で、登山用具の会社が人数分の装備を提供してくれました。

スイスインフォ:ルートに合わせた装備を考案する際、どのようなことを考慮したのですか?

加藤:1938年にオーストリア人のハインリッヒ・ハラーとフリッツ・カスパレク、ドイツ人のアンドレアス・ヘックマイアーとルードヴィッヒ・フェルクがアイガー北壁を初登攀しました。ドイツ人は岩登りがとても上手かったけれども、氷を知らなかったので、足場をピッケル(頭部につるはし状の金具が付いた杖)で削りながら登り、大変苦労をした。一方、当時の北壁は雪と氷で真っ白だったので、オーストリア人はアイゼン(登山靴の底に装着する金属製の滑り止め)を持って行った。

そのエピソードから、やはり氷を知らない日本人ならどうだろうかと考えました。そして、氷や雪の上を登れるだけではなく、岩登りもできるアイゼンを考案すれば、今まで登れなかったところも登れるようになるのではないかと思いつきました。

スイスインフォ:当時のスイス人は、高さ300メートルの壁全体が覆いかぶさるように張り出している岩壁「赤い壁(Rote Fluh)」の直登は「信じられない」と受け止めていたようですが、やはり「赤い壁」が最難関だったのですか?

加藤:そうですね。「どうしてそんなところを登るの?」という反応でしたね。オーバーハングしていますから、引力に逆らって登ることになります。しかし、考えようによっては、屋根の下にいるということでしょ。だから落石があってもぶつからないと考えたわけです。当時、壁に穴をあけて登ることに、自然を破壊しているという人もいました。でも、1回ピンを打てば、落ちても必ず止まります。また、それまでは赤い壁を越えたら帰り道がないと言われていました。しかし、ピンが打ってあれば、下りてくるときも垂直に降りて帰ってくることができます。

スイスインフォ:加藤さんの著作「赤い岩壁」によると、アイガー北壁登攀中、上から牧草地が見え、8月1日には建国記念日の花火も見えたそうですね。

加藤:意外と人里が近いです。アイガーには舞台があって、その舞台でしていることを、みんながクライネ・シャイデックから見ることができました。

スイスインフォ:登っている間も他の登山家や記者の来訪があったようですが、思い出深い出会いはありましたか?

加藤:友達がノーマルルートであるヘックマイアールートを通り、水平に200メートルくらいの距離で「がんばれ~」とか言ってくれましたね。

スイスインフォ:加藤さんが持つスイス高所山岳ガイドという資格はどのように取得したのですか?

加藤:高所には氷と雪がありますから、ロープやピッケル、アイゼンを使って登ります。そういう場所をガイドしてもよいのが高所山岳ガイドですが、当時、スイス高所山岳ガイドの資格を持っている外国人はいませんでした。全部試験に合格しても、ライセンスを出してもらえなかったんです。最初に願書を出してから試験を受けさせてもらえるまでに5年掛かりました。73年に外国人として初めて高所山岳ガイドの資格を取得しました。

スイスインフォ:今もアイガーには特別な思い入れがありますか?

加藤:よく「山は逃げない」などと言いますが、それは間違いだと思います。たえず自然は動いています。岩も動いています。例えば、アイガーの西壁は崩れが多く、登山ルートから外されました。その時だからできたということがありますね。

加藤滝男さん

1944年、埼玉県大宮市(現さいたま市)生まれ。
64年、ジャパン・エキスパート・クライマーズ・クラブ(JECC)を創設。
65年、スイスのヴェッターホルン北壁(標高3701メートル)、フランスのプティ・ドリュ西壁(3733メートル)に登攀。
67年、アルプス三大北壁の1つ、スイスのマッターホルン北壁(標高4478メートル)に登攀。
69年、スイスのアイガー北壁(3970メートル)に日本直登ルートを開拓。また、イタリアのチマ・オベスト北壁(2973メートル)に登攀。71年、弟の加藤保男さんとともに、スイスのヴェッターホルン北壁に「加藤直登ルート」を開拓。
73年からスイス・ジュネーブ在住。同年、スイス高所山岳ガイドの資格を取得。
以降、山岳ガイドやハイキングガイドとして長年活躍。

swissinfo.chの記者との意見交換は、こちらからアクセスしてください。

他のトピックを議論したい、あるいは記事の誤記に関しては、japanese@swissinfo.ch までご連絡ください。

SWI swissinfo.ch スイス公共放送協会の国際部

SWI swissinfo.ch スイス公共放送協会の国際部