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文学カフェで国際文化交流を

「リラ・テ」店長のミハエラさん。彼女の現在のお気に入りは「煎茶」だそうだ swissinfo.ch

ゴシック建築が並ぶドレモン(Delémont、ジュラ州都)旧市街。かつてベルンから独立を勝ち取った州の歴史色滲む名を持つ「憲法制定議会通り(Rue de la Constituante)」を上がって行くと、その中ほどに様々な陶磁器で彩られたショーウィンドウが目に入る。昨年11月、開店1周年を迎えた文学カフェ「リラ・テ」(Lyra Thé)である。この店は、国際文化交流施設という別の顔を持っているがゆえ、最近、地元新聞記事に度々取り上げられるようになった。

 店長のミハエラ・クロッペンシュタイン(Mihaela Klopfenstein)さんはルーマニアの首都・ブカレスト出身。早くからロシア語やフランス語など外国語習得に目覚め、各国語で本を読みあさった。当時ルーマニアは共産圏に属していたが、大使館勤務だった父親の特権で、家族で何度も国外旅行をすることができた。彼女はその貴重な経験を通して幼少時より国際感覚を磨き、海外生活への夢を膨らませていった。

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 文学に傾倒していながら理系に進んだ彼女は、電気技師として首都の研究施設で働き始めた。数ヶ国語を操ることができる彼女は、電気関係の仕事の傍ら、通訳としても働く多忙な毎日だった。90年代の初め、仕事でブカレストを訪れたスイス人男性の通訳を務めたことが、彼女の運命を大きく変えた。ミハエラさんの母親の心強い後押しがあったお蔭で二人は結ばれ、彼女はスイスに移住して家庭を築くことになった。

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 恥だけでなく不愉快かつ理不尽な体験も過去のものと割り切られる旅行者と違い、永住希望者にとってぶつかったり超えたりしなければならない障壁は、同胞が少ない土地ほど高く強固で、時には孤独感・疎外感に打ちのめされることもある。ミハエラさんもその一人で、長男誕生という幸福に浸りながらも、スイスに於ける自分の存在意義への疑問や、東欧人に対する偏見や差別への苛立ちがつのり、心身共に落ち込んだ時期があった。

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 ルーマニアでは「子供が7歳(小学校入学年齢)まで母親は家にいなければならない」という慣習があるそうだ。ブカレストで才能の華を咲かせ、やりがいのある仕事に勤しんでいたミハエラさんは、スイスで専業主婦として家庭に留まっている期間、大いに悩んだ。しかし、子供が成長するに連れ、徐々に新しい分野の勉強や活動を始め、自分らしさを取り戻していった。

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 2008年、彼女はルーマニアに一時帰国して経済を学び、その努力が「リラ・テ」開店として結実した。

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 「ブカレストには文学カフェが何軒もあるの。本屋を兼ねていて、訪問者はコーヒーやお茶を飲みながら自由に本が読める。私は懐かしい故郷に似た場所をジュラにも作りたかった」

 店名「リラ・テ」の「リラ」は、古代の弦楽器リラ(Lyra)、あるいは星座のリラ(琴座・Lyra)にかけて、フランス語の動詞・読む(Lire)の未来形(Lira)のiをyに変えた造語だ。文学やアートの世界を演出する空間にふさわしい、知的で優美な意味を数多く持ち合わせている名だと、感じ入った。

 「店の経営は何とか食べていくため」と笑うミハエラさん。活動の真の目的は売り上げ促進ではなく、文学好きな人々に喜んでもらえるサロン、そして彼女が長い間夢見ていた国際文化交流の場所作りだ。店内では茶葉や湯飲み茶碗などの販売を行っているが、それとはまったく別のボランティア施設として一室を開放し、様々な文化イベントを催している。

 年間プログラムは、国内外の作家による文学作品朗読会、芸術作品展覧会、音楽会、外国語でのおしゃべり会、そして子供向けの季節行事など多岐にわたっている。これまでに招待された作家・アーティストは、スイスからはもちろん、フランス、ベルギー、カナダ、日本、そして母国ルーマニアと、顔ぶれも多彩だ。イベント参加者は、種類豊富な茶をいただきながら講演や演奏に耳を傾け、終了後は主催者の心尽くしのアペリティフを囲んで作家達との交流を楽しむことができる。

 地元新聞の記事で何度か紹介されたことが功を奏し、教育機関や博物館とのコラボレーション企画も実現した。近々、州政府文化相を招いての文学の夕べとピアノリサイタルも予定されている。

 ミハエラさんの活動は留まることを知らない。現在は、交流のあるアーティスト達と立ち上げた「ラクサン」(L’Accent)という協会を中心に、毎回違った会場を借りてイベントを行う形態の「移動文学カフェ」をスイス各地で催す計画を立てている。「ラクサン」は「アクセント」という意味。構成メンバーは外国人が多く、それぞれ独特のアクセントでフランス語を話すというユニークな状況から命名された。

 リラ・テの意義を一言で言えば「外国への通路」と、ミハエラさん。そこで、まだアジアには足を踏み入れたことがない彼女に、日本に対して抱いている印象を聞いてみた。

 「日本は世界一のテクノロジー先進国だと思う。でも、私は日本の伝統文化や寺院などの建築物、仏教、料理に至るまで色々な側面にとても興味がある。何より、日本とリラ・テはお茶で繋がっている。いつか日本を訪れてみたい」

 長年の夢を叶えると同時に、新天地スイスにしっかりと根を張り、公私共に地元に溶け込んでいったミハエラさん。彼女が歩んできた行程は、似たような立場の私も大変共感できる。その多彩な活動をこれからも見守り、陰ながら応援していきたい。

マルキ明子

大阪生まれ。イギリス語学留学を経て1993年よりスイス・ジュラ州ポラントリュイ市に在住。スイス人の夫と二人の娘の、四人家族。ポラントリュイガイド協会所属。2003年以降、「ラ・ヴィ・アン・ローズ」など、ジュラを舞台にした小説三作を発表し、執筆活動を始める。趣味は読書、音楽鑑賞。

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