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歴史あるチーズ、テット・ド・モワン

包装済みのテット・ド・モワンの上部に、修道士がジロルでチーズを削る場面を描いたシールが貼られている。実は、この修道士の格好は厳密に言えば間違っている。ベルレー大修道院の修道士はプレモントレ会であるため白い衣服を着用していた。茶色はカプチン会である。 swissinfo.ch

2月9日のブログでは、テット・ド・モワン(Tête de moine = 修道士の頭)と呼ばれるチーズを削る専用器具、「ジロル」(Girolle)を紹介したが、今回は、そのテット・ド・モワンの歴史について述べてみたい。そのユニークな名前は何に由来するのだろうか。

 テット・ド・モワンの故郷は、ベルン州フランス語圏に位置するベルレー(Bellelay)村。現在、ベルレーと他の2つの村は合併し、人口600人弱のサイクール(Saicourt)という自治体になっている。この、自然豊かで農地が広がるのどかなベルレーに、ひときわ目立つ壮大な建築物がある。現在、ベルレー大修道院財団が管理するこの建物は、旧教会部分がイベントホールとして使用され、その他の建物が精神病院となっているが、元々はここにプレモントレ会大修道院があった。都市圏からもかなり遠く、かつては何もなかった場所に、なぜ大修道院が存在したのだろうか? これに関して一つの言い伝えがある。1136年、ムーチェ・グランバル聖堂の主事が、この地で狩猟をし、雌の猪を仕留めたが、森に迷い込んでしまった。三日間さまよったところで、彼は神に祈った。「もしお救い下さるのなら、私が雌猪を殺した場所に礼拝堂を建て、その名を与えましょう」と。その後、無事に森から脱出することができた主事は、その誓い通り、私費を投じて礼拝堂を建立し、肥沃だがまだ手付かずのその土地に名前を授けたと言われている。「美しい雌猪」はフランス語で「belle laie」(ベル・レー)。なかなか説得力があるが、現在ではラテン語で「美しい森」を意味する「bella lagia」から来たという説が有力である。礼拝堂は、次第に建て増しされ、プレモントレ会大修道院となった。

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 大修道院内では、1192年頃からテット・ド・モワンの原型となるチーズ作りが始まった。丸型チーズが好まれたのは、チーズそのものを金銭として扱ったからだといわれている。地代を払ったり、現物の授受で訴訟を解決したり、バーゼル大公司教に贈り物として進呈したり、時には換金していた。17世紀末から、大修道院内だけでなく、地域の農民も同じチーズを作ることが許されるようになった。

 1789年、フランス大革命が勃発し、革命軍は1792年にはバーゼル大公司教が治めていた土地にも押し寄せた。数々の建物が占拠され、破壊され、貴族や聖職者達は迫害・追放された。田舎の小村ベルレーも、豪奢な大修道院があったがゆえに、革命の嵐を免れることはできなかった。大修道院は廃止され、内部は略奪により荒れ果て、貴重な文化遺産は売り飛ばされ、聖職者達は座を追われてしまった。しかし、幸いにもチーズ作りは地域ぐるみで続けられ、その伝統的製法と味は現在も受け継がれている。

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 公文書上で「ベルレーのチーズ」とだけ呼ばれていたチーズが「テット・ド・モワン」という名で現れるようになったのは、フランス革命後のことである。そのことから、革命軍が追放した修道士をからかうためにチーズを「修道士頭」と呼び始めたのではないかという仮説がある。つまり、このチーズを削る様子が、修道士の頭のてっぺん部分を円形に剃る剃髪風景に重なるというのである。由来の別バージョンとして、「修道士の頭数だけチーズの蓄えがあったから」という説もあるが、いかにも凡庸で面白みに欠けるので、個人的には革命軍バージョンをお勧めしたい。

 革命とナポレオン戦争後の混乱のほとぼりが冷めた19世紀半ば、ベルレーの農民であるホフステッター(Hofstetter)が、再びテット・ド・モワン製造を飛躍させた。彼の作ったテット・ド・モワンは、1856年のパリ万国コンクールで優秀評価を受けた。19世紀末には毎年10トンのテット・ド・モワンがロシアなど外国に輸出されるまでになった。かつて一つの農地で行われていたチーズ製造は村ぐるみで行われるようになり、現在9つの村で作られている。

 2001年、テット・ド・モワンはAOC(Appellation d’origine contrôlée=原産地統制名称)を付与された。AOCは、厳しい仕様書に基づいて製造された産物の正統性(製造方法と製造地を含む)と確かな品質を消費者に保証する評価で、スイスワイン以外ではテット・ド・モワンがヴォー州産のエティヴァ(Etivaz)チーズに次いで二番目にAOCを獲得した。チーズ関連業者は、毎月、独立・中立組織によって、検査を受け仕様書に忠実かどうか調査される。

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 ここで、テット・ド・モワン製造に於ける徹底的なこだわり具合を一部ご紹介する。

・乳牛は牧草か干草を食すること。(サイロ貯蔵された草は禁止)

・乳牛の夏季放牧はジュラ州ではフランシュ-モンターニュ(Franches-Montagnes)、ポラントリュイ(Porrentruy)、ベルン州ではムーチェ(Moutier)、コーテラリー(Courtelary)地方(山岳地帯を含む)あるいはジュラ州ソースィ(Saulcy)村内とコージョネ(Courgenay)村チーズ製造業者の土地のみで行うこと。

・(チーズ用の)牛乳は一日二度、チーズ製造所に配達され、搾乳後24時間以内、牛の乳房から出た時の温度を保ったまま、銅製の桶内で処理されなければいけない。

・牛乳の製造、処理、仕上げは山岳地帯で行われなければならない。

・仕上げ時は、湿度90%、温度13-14度の貯蔵庫で、トウヒ(マツ科の常緑高木)製の板の上で最低2ヵ月半寝かせなければならない。(4ヶ月寝かせたものはテット・ド・モワンAOC  RESERVEという名の高級品で、金色の包装である。より強い芳香とコクが特長だそうだ)

・1つのテット・ド・モワンには牛乳10リットルを要する。

 この他にも各製造段階で細かな規定があるが、とても書き切れないので省略する。このような厳しい条件下で製造されていながら、スイスでは、テット・ド・モワンは廉価で手に入り、誰もが食することのできるチーズである。しかし、残念ながら、日本ではまだまだ高額で気軽に手に入れられる食品ではない。スイスでは1つ(約800グラム)18フランほどだが、ある日本の通信販売サイトを覗いてみると、約5000円。スイス通貨に換算すると60フランもするのに、完売状態である。このチーズを食した家族や友人達に感想を聞き、さらに様々なブログを覗いてみると、味については極めて好評である。仕様書の中でも味については「臭みが少なく、口の中で素早くとろける」と明記してある。

                                

  スイスではパーティやアペリティヴで欠かせないテット・ド・モワン。専用削り器「ジロル」のお蔭で見た目も美しく皿を彩り、他のおつまみとの相性も抜群である。いつか、このチーズが日本でも「ジロル」と共に一般庶民の食卓に上って欲しいと願う。

マルキ明子

大阪生まれ。イギリス語学留学を経て1993年よりスイス・ジュラ州ポラントリュイ市に在住。スイス人の夫と二人の娘の、四人家族。ポラントリュイガイド協会所属。2003年以降、「ラ・ヴィ・アン・ローズ」など、ジュラを舞台にした小説三作を発表し、執筆活動を始める。趣味は読書、音楽鑑賞。

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