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1900年 精神病患者が描いた心の声

20世紀初頭は、心を病む人がすぐに精神病院に送られることが珍しくない時代だった。収容された患者の多くは二度と日の目を見ることなく病棟で一生を終えた。外界と遮断された生活の中で、彼らが心情表現の手段に選んだのは絵だった。トゥーン美術館では現在、患者らが描いた作品展が開かれている。

1850~1930年は、アートセラピー(描画を使った心理療法の一つ)がない時代だった。にもかかわらず、患者たちは自分の創造力を表現する道を見つけていった。

2006~2014年にかけ、チューリヒ芸術大学外部リンクの卒業生がスイスの精神病院22カ所に保管されている資料を調査した。

その調査がきっかけで、精神病患者らの作品約5千点がデータバンク化された。これらの資料はスイス芸術学研究所外部リンクのホームページで閲覧できる。トゥーン美術館で5月19日まで開催中の作品展「Extraordinary(非凡)」外部リンクでは、その中から選りすぐりの180点が並ぶ。

作品から見えてくるのは、外界からほぼ閉ざされた当時の精神病院での日常だ。「被収容者」と呼ばれていた患者らの生活も垣間見ることができる。

1850年以降、精神病を病む人々はようやく「被収容者」ではなく「患者」として扱われるようになった。「その頃スイスでは精神病院の数が増え、強制収容の数も増加した」と研究プロジェクトを率いる芸術歴史家カトリン・ルクシンガーさんは言う。

精神病院での生活、そして死

当時、強制収容は一時的な措置ではなかった。収容されたが最後、そこで一生を終えることも珍しくはなかった。 

「患者をそれまでの環境や生活から隔離すべきという考え方が支持されていた」とルクシンガーさんは説明する。スケッチ、絵画、編み物、工作は、精神病院に送られた患者が収容前の生活を語る手段でもあった。

「隔離」を表現した作品が多いのもうなずける。ある女性患者は、ノートに自分の家をスケッチした。女性が描いた部屋の描写は極めて正確で、机があり、その上には彼女のスケッチ画や文章が描かれたノートが置かれている。部屋の窓は開いていて、陽の光が差し込む。部屋は几帳面すぎるほど片付けられている。

その絵に女性はこう書き込んでいる。「私の物がどこにあるのかもう分からない。みな段ボールの中に片づけられてしまった」

これを見たとき、ルクシンガーさんは心が痛んだという。「患者の多くは精神病院に収容されることを五感の喪失や混乱と感じていた。何をどうしたらよいのか分からなくなり、常に不安がつきまとった。そうなっても仕方がない状況だった」

患者の絵画が改善のきっかけに

1900年における隔離された精神病院での生活は、刑務所での服役に例える人もいるだろう。だがルクシンガーさんは、当時の精神病院が残酷な面ばかりではなかったと指摘する。

「多くの精神科医が苦しむ患者への理解を深めようとしていた。その結果、革新的な精神病院が生まれた。患者の作品がこれだけ多く保管されていたのもそのためだ」

もっとも、作品は素人の手によるもの。正式な絵の道具や材料があったわけでもない。包装紙、段ボール、箱、にわか仕立ての素材など、患者らは限られた空間の中で手元にある物なら何でも使った。

「作品は小ぶりなものばかり。使える色も限られていた」と話すルクシンガーさんは、患者らが「もっとこういう風に出来たら」と望んでいたに違いないと感じている。

しかし、そんな厳しい状況下でも、患者らは想像力を生かし、絵を描くことで隔離された世界から抜け出すことに成功した。そして芸術作品の多くは今も息づいている。

(独語からの翻訳・シュミット一恵)

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