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ユングフラウ鉄道はいまだトップ!

昔の絵はがきに描かれた、ユングフラウヨッホからアレッチ氷河を臨む観光客 jungfraubahnen.ch

ベルナーオーバーラント(Berner Oberland)地方にそびえる名峰ユングフラウ。その鞍部(あんぶ)に建設されたユングフラウヨッホ鉄道が今年8月1日の建国記念日に、全線開通から100周年を迎える。ヨーロッパで一番標高が高い駅としての地位は今でも不動だ。


 1913年の全線開通後1年間にユングフラウヨッホを訪れた観光客は4万2880人。昨年には76万5000人もの人がこの「トップ・オブ・ヨーロッパ」を訪れた。

 ある夏の日、筆者は大勢のグループに交じって、片道48分かかるユングフラウ鉄道に乗ってみた。

 電車の進みは遅い。なぜなら、線路は急こう配で、乗客は高い標高に徐々に体を慣らしていく必要があるからだ。イギリスで1923年発行のスイスガイドブック「ミューアヘッド・ガイドブック(Muirhead’s guidebook)」には、「(まるまる30分かかる)長いトンネルを抜けるのは、かなり退屈だ」とある。

 この日はあいにくの天気で、ユングフラウ鉄道のホームページにあるウェブカムには、雲に覆われた山頂の様子が映し出されていた。だが、それでもアレッチ氷河のスケールの大きさを感じることはできた。なんと荘厳な景色なのだろう。

1人の男の野望

 ユングフラウ鉄道は、アドルフ・グイヤー・ツェラーという1人の男のアイデアから生まれた。だが、当のツェラーは完成を見ることなくこの世を去ったのである。

 スイス人のツェラーは旅行好きな実業家だった。スエズ運河建設を実際見てみたことも影響して、前代未聞の鉄道計画にのめり込み、巨額の個人資産を投資した。

 一方、現場で働くイタリア人労働者の給料は少なく、一日4.5フラン(約360円)。1896年から1912年まで、途中2年の休止を挟んでトンネルを掘り続けた。30人が工事中に亡くなり、90人が負傷した。

 
掘削作業の様子 Jungfraubahnen.ch

 男たちは一年中、命を危険にさらしながら岩を爆破していった。名峰アイガー(Eiger)・メンヒ(Mönch)からユングフラウヨッホまで、7キロメートルも続く湾曲したトンネルを建設するためだ。

 掘削作業で出た廃材は、アイガーの山肌をくりぬいた穴から捨てた。今ではその巨大な穴にはガラスが張られており、乗客が壮大な景色を見れるよう電車は数分そこで停止する。


鉄道ブーム

 ユングフラウ鉄道建設計画が持ち上がったのは、観光鉄道ブームの真っただ中だった。ルツェルン湖半にそびえるリギ山(Rigi)に1871年、ヨーロッパで最初のラック式鉄道(歯車を使って急こう配に対応する電車)が運行開始。この成功を受け、ツェラーは自身の計画にますます意欲を燃やした。

 「リギ山での運行開始後1年で、運営会社は鉄道建設費用の2割を回収することができた」と、鉄道の歴史に詳しいキリアン・エルザッサー氏は語る。

 ラック式鉄道は19世紀のスイスの鉄道技術者がもたらした画期的なアイデアだった。「ラック式システムは五つ存在するが、そのうちの四つをスイス人技術者が開発した。このシステムでは、電車に取り付けられた歯車を、はしご状または歯型のレールにかみ合わせることで、電車が急こう配を登ることができる」とエルザッサー氏は解説する。

セールスポイント

 こうした技術のおかげで観光業に新たな世界が広がったわけだが、競争相手も多かった。

 エルザッサー氏によれば、19世紀の当時でも、今のようにセールスポイントを観光客にアピールすることが大事だった。「リギ山でヨーロッパ初の登山電車が開通してからというもの、事業者は別の最高記録を打ち立てる必要があった。そこで、ピラトゥス山(Pilatus)は最急こう配の登山電車、ユングフラウ鉄道は今も昔もヨーロッパ最高地点の鉄道駅を建設した」

 ミューアヘッド・ガイドブックからは、当時の旅行者の印象が伺い知れる。ユングフラウ鉄道についてこの本は「最も面白い路線の一つ。全く体力に自信がない人を登山家が昇るような高いところに運んでくれる」と紹介している。

 だが、ユングフラウヨッホへ行くのは、「山頂の視界が確実に良い天気のときだけにすべき」とアドバイスもしている。

 資金を調達するため、ユングフラウ鉄道は段階的に営業を開始した。難関だったアイガー北壁までのトンネルを無事完成させ、1903年には観光客が初めてアイガーヴァント駅(Eigerwand)からアイガー北壁直下の絶景を満喫できたのだった。

「破壊的にばかげた一大計画」

 観光客のためにアルプスの山の内側を爆破してトンネルを作り、線路を敷くという一大計画に対し、やる価値があるのか首をかしげる人も当時は多かった。

 「この破壊的にばかげた一大計画を中止させ、美しい自然を子孫に譲り渡さなければならない」。そう記した請願書を政府に提出したのは、スイス自然美保護連盟(Swiss League fort he Defence of Natural Beauty)と、スイス文化財保護協会(SHS)だった。

 両団体は、政府は鉄道建設許可を与える際は慎重に対応すべきだと訴え、「一握りの人の経済的利益のために、これほど多くの山に線路が敷かれてしまったことを遺憾に思う。倫理的に見れば、これは意味がないだけでなく、害を及ぼす」と主張した。

 だが、登山鉄道ブームに終止符を打ったのは政府ではなく、時代情勢だった。第1次世界大戦が終わってからは外国人旅行客がスイスに戻ってくることはなく、投資家は新たな顧客を見つける必要があった。

 「チューリヒやベルンでは中流階級が増えていることを受け、鉄道会社は家族向け割引チケットを販売したり、国内の日帰り旅行者向けに日曜割引チケットを売り出したりした」と、エルザッサー氏は当時の状況を説明する。

 近年ではアジアからの旅行者が観光市場を底上げし、特に日本人やインド人観光客にとってユングフラウヨッホはスイス観光で見逃せないアトラクションになった。

 ユングフラウヨッホの駅にはインドレストランを含む飲食店がいくつもあり、氷河でできた「アイスパレス(氷の宮殿)」や、スキーやそりが楽しめる「スノーパーク(snow fun)」、さらには展望台まである。また、建物の最上階にある観測所では、気象情報に関する科学的研究も行われている。

 のろのろと進む帰りの電車の中、ふとほかの乗客を見てみると、みんな時差ぼけならぬ「ユングフラヨッホぼけ」にかかっていた。男性も女性も子供も、国籍も関係ない。この電車に乗っている人は皆、突然眠りに落ちていた。万年雪や氷の宮殿の夢でも見ているのだろうか。それとも昔の観光客の亡霊?

 あいにくの天気だったため、この人たちはドイツの黒い森やフランスのヴォージュ山脈(Vosges)まで広がる最高の景色は見られなかったかもしれない。だが、この眠れる観光客は、今回ここに来たことを示すユニークな証明書を持って帰るのだ。標高3454メートルでスタンプが押された、ユングフラウ鉄道全線開通100周年記念パスポートを。

ユングフラウ鉄道建設に費やされた期間は16年を超え、当初予定の2倍を上回った。総工費用は1500万フラン(約12億円)で、当初の予算の倍額となった。

標高2300mのアイガーグレッチャー駅(Eiger Gletscher)から、標高3454mでヨーロッパ一高いところにある終点ユングフラウヨッホ駅(Jungfraujoch)までは、7kmのトンネルで結ばれる。

ユングフラウ鉄道は段階的に営業を始めた。1903年にはトンネル内で最初の停車駅となったアイガーヴァント駅(Eigerwand)が、1905年には氷河を臨むアイスメーア駅(Eismeer)がオープン。

2011年は76万5000人もの観光客がユングフラウヨッホを訪れた。

鉄道は年間を通して営業しており、2012年7月現在、インターラーケン(Interlaken)発の往復チケットは190フラン(約1万5000円)。

ユングフラウヨッホ駅には「アイスパレス(氷の宮殿)」や雪で遊べる「スノーパーク(snow fun)」などのアトラクションがあり、展望デッキも設置されている。

駅の建物にはスフィンクスと呼ばれる観測所もあり、そこは科学研究センターとなっている。そこへは高速エレベーターで行く。

繊維業界で名をはせた資本家アドルフ・グイヤー・ツェラー(1839年~1899年)は、チューリヒの政治家だった。ベルナーオーバーラント地方(Berner Oberland)のミューレン(Mürren)に娘と休暇で訪れた1893年8月、そこから見えるユングフラウを見て鉄道建設を思いつき、計画をノートに記した。

有言実行の男だったツェラーはその4カ月後、鉄道建設許可を申請。

紡糸工場の経営者を父に持つツェラーは若いとき、フランス、イギリス、北アメリカ、エジプト、パレスティナを周遊した。

ツェラーは鉄道分野でも大変影響力が強く、1870年代の不況時には鉄道株を購入したことで多額の富を得た。

100周年記念ユングフラウ鉄道全線開通100周年記念を受け、さまざまなイベントが開催されている。

開通日に当たる8月1日には公式行事が行われ、多くのゲストが招待される予定。

ユングフラウ鉄道の木製ベンチは世界中を回り、ベルリン、ロンドン、パリ、アジア各地で公開される。

記念日の週には割引チケットも販売される。

(英語からの翻訳・編集、鹿島田芙美)

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