スイスの視点を10言語で

オサマ・ビンラディンとはいったい何者か?

『謎のオサマ・ビンラディン』のカバーに使われたオサマ・ビンラディンの顔写真 Payot & Rivages

「9.11米同時多発テロ」の首謀者とされ、アフガニスタンへの攻撃を引き起こした人物、オサマ・ビンラディンの生死は今も明らかにされていない。ある側にとっては「世界の宿敵、ナンバーワン」で、またある側にとっては「イスラム教の救世主」の顔を持つ。

こうした多面的な、謎に包まれた人物、ビンラディンの姿を明らかにしようとした労作『謎のオサマ・ビンラディン』が出版された。著者はフリージャーナリスト、イアン・ハムル氏。テロと秘密警察の研究家でもあるハムル氏に、インタビューした。

swissinfo :  ビンラディンが今までたどった軌跡をどのように再構成しましたか。

ハムル :  まず、この本は1人の人物の伝記であり、テロについての本ではないということです。ですから、ほかの伝記作品と同様、彼の父や生誕地について語り、また証言などを拾い集めました。

ビンラディンが過ごしたとされる、パキスタン、スーダン、アフガニスタンを回り、人々から話を聞き、証拠物件なども集めました。ただサウジアラビアだけはビザが下りず、行けませんでした。

タジキスタンにも行きました。ここは、ビンラディンが冷戦後にイスラム革命を推進した所ですが、このことは余り知られていません。またレバノンは、この国の民兵組織ヒズボラがビンラディンの指揮する国際テロ組織アルカイダ形成に多大な影響を与えた国として見逃せません。

swissinfo :  現地での調査では、真実より偽りの証言の方が多く集まるといったことはありませんでしたか。

ハムル :  確かに、人は真実を語りたがらないというところはありました。しかし、調査を通じて分かったことは、ビンラディンがコミュニケーションを重視する人物だということです。行動の人というより、コミュニケーションを行った人です。スーダン、特にパキスタンではたくさんのジャーナリストがビンラディンに会って話を聞いています。

アフリカのアメリカ大使館を攻撃した1998年以前は、本当に多くを語る人だったのです。そしてテロ行為を自白していました。ただ、どのテロ行為を彼が本当にやったのか疑問はありますが。とにかく1998年以降、ビンラディンは急激に危険な人物だと認識されるようになりました。

swissinfo :  色々な説がありますが、「9.11米同時多発テロ」の首謀者ということについてはどう考えますか。

ハムル : この事件については、間違いなく彼の責任だと思います。

swissinfo :  著作では、テロ攻撃の首謀者というより、幾人かの思想家に操られた人物という姿が浮き彫りにされていますが。

ハムル : ビンラディンに会ったほとんど全ての人が「操られた人」という人物像を語っています。ビンラディンは陰の薄い、恥ずかしがり屋で、それほど切れる人物ではないのです。

実際、彼の背後には指導者的な「思想家」がいます。彼は一人ではアフガニスタンに行ってアルカイダの訓練を行うようなことはしなかったでしょう。もちろん自ら率先して行った振りはしていますが。裏にはサウジアラビアのサウド王室のトルキ王子がいて、彼がビンラディンをアフガニスタンに行かせたのです。

また、1979年のアフガニスタンでのソビエトに対する戦いでも、ビンラディンが望んだのではない。あるパレスチナ人の指示によります。1998年以降のテロ事件でもアイマン・ ザワヒリがいなければ、テロは起きなかったと思います。

swissinfo : 最近イスラム教の指導者たちが発表した、テロ行為を非難する手紙なども著書には載せられていますが。 

ハムル : イスラム教の世界では、アルカイダに対し2つの非難グループが現在存在します。戦略が間違っているので、違うタイプのテロを行なうべきだというグループと、そもそも「9.11米同時多発テロ」は何のためだったのか、さらに穏やかなイスラム世界だったアフガニスタンと、ロンドンが危険地域となったのはなぜか。2001年に3000人のアメリカ人を殺したのは何のためだったのかと疑問視するグループです。

swissinfo :  ところで、アメリカはビンラディンを捕まえることは不可能だと言っていますが、あなたはそれは信じられない、それに多くの人が言うように、わざと逃がしたのではないかと書いていますが。

ハムル : 「世界の宿敵、ナンバーワン」が2001年以来捕まえられないというようなことがあると思いますか?それに、2001年の時点では、彼は1人ではなかった。2、3人の妻とおよそ20人の子供たちと一緒だったのです。アメリカがアフガニスタンを攻撃し、アルカイダやタリバン兵が狂ったように逃げ去る混乱時に、20人の子どもの一人も捕らえられなかったなどということは考えられないことです。まったくばかげた言い訳です。

swissinfo :  では、なぜわざと逃がしたのでしょうか。

ハムル : ビンラディンを捕まえて殺すと、彼は救世主として祭られてしまうし、もし生かして捕らえ、裁判にかけると、多くのことをしゃべってしまう。特にサウジアラビアの王室との関係や、サウジアラビアの秘密警察について、そして恐らく、パキスタンの権力者についてなどを語る人物なのです。

swissinfo :  執筆することでビンラディンに対する考えが何か変わりましたか。

ハムル :  一番驚いたのは、とにかく人物像に一貫性が欠けていることでした。アメリカも、その一貫性の欠如や知的、精神的能力がさほど優れていない人物が2001年の事件を起こしたことに驚きを感じたと思います。また、秘密警察や軍がこれほど重要な敵を捕らえられないぎこちなさにも驚きました。
 

6年南米、5年アフリカで、フランスの日刊紙「ル・モンド ( Le Monde ) 」やAP通信社、 AFP通信社にフリー記者として働く。

現在フランスでは週刊誌「ル・ポワン ( Le Point ) 」に、スイスでは「スイスインフォ ( swissinfo.ch ) 」に寄稿している。

テロと秘密警察の専門家として、サイト「インテリジェンス・オンライン ( intelligence online ) 」にも協力している。

336ぺージの『謎のオサマ・ビンラディン』は「パイヨ&リヴァージュ ( Payot & Rivage ) 」出版社刊。 

里信邦子

swissinfo.chの記者との意見交換は、こちらからアクセスしてください。

他のトピックを議論したい、あるいは記事の誤記に関しては、japanese@swissinfo.ch までご連絡ください。

SWI swissinfo.ch スイス公共放送協会の国際部

SWI swissinfo.ch スイス公共放送協会の国際部