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ツール・ド・フランスがやって来た!

街中に入ったとは言え、かなりのスピードなので、応援しながらの撮影に一苦労。 swissinfo.ch

ジュラ州アジョワ地方はスイスの最北西。フランス東部にぴょこんと入り込んでいる。三方をフランスに囲まれているせいか、人々のメンタリティもラテン気質でオープンである。行政中心地、ポラントリュイから一番近いフランス国境まではわずか12km。この町は、近年、フランス、特にベルフォール(Belfort)市との友好をアピールしている。フランスが誇る超高速鉄道・TGVの、ベルフォール-パリ線が開通し、そのベルフォールからスイスとの国境の町デル(Delle)を繋ぐ線が再開すると、デルから電車でわずか16分のポラントリュイは、いずれTGVが乗り入れる、「パリから一番近い町」として俄然注目を浴び始めた。また、昨年12月にはポラントリュイからベルフォールまでの自転車専用レーンができ、高速道路も一部開通した。これらのイベントを記念し、エッフェル塔のミニチュア版がロータリー上にお目見えした。そのお祭り気分に拍車をかけることになったのが、パリを最終ゴール地とする自転車ロードレース、ツール・ド・フランス(Tour de France)第8ステージ開催決定だった。

 アジョワ地方は自転車好きには絶好の場所。山地だけでなく平野も多く、老若男女、あらゆる世代が週末や休暇中にサイクリングを楽しむ。ポラントリュイ市はスイスのフランス語圏で行われるツール・ド・ロマンディ(Tour de Romandie)や23歳未満のスイスチームが参加するツール・ド・ラベニール(Tour de l’Avenir)、アマチュア自転車選手向けのレース、ツール・ドゥ・ジュラ(Tour du Jura)など数多くの全国・地方レベル自転車ロードレースを開催してきたが、オリンピック、ワールドカップサッカーに続く、世界的スポーツイベントとされるツール・ド・フランスに於いて、ポラントリュイが第8ステージのゴール場所に定められると、よりフランス熱が高まった。

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 市が正式にツール・ド・フランスのステージ候補地に名乗り出たのは2006年。きっかけは、些細な放言からだった。その年の四月、ポラントリュイはツール・ド・ロマンディの第2ステージの舞台となった。その時、招待客だったジュラ州政府議長エリザベート・ボーム・シュナイダーさんが冗談のつもりで「じゃあお次はツール・ド・フランスに挑戦ね」と言ったことから、壮大な誘致計画へと発展していった。同年11月、市はフランスのスポーツ・メディア・コングロマリット=ASO(Amaury Sport Organisation)に打診し、翌年には「(他の230の町と共に)ツール・ド・フランス開催候補地として登録した」という内容の書簡を受け取った。それからは、2011年初頭の決定まで、毎年代表団をツールの乗り入れ場所に送り、念入りな視察を重ねた。

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 「2012年度開催ツール・ド・フランス、7月8日・第8ステージゴール」がポラントリュイ市に課せられてからというもの、約一年半、市内外の少数の関係者からなるボランティア委員会は、スイス側のコース決定から安全管理、付随するすべてのイベント内容、スポンサー探しに至るまで、膨大な仕事の数々をこなした。全長157.5km、第8ステージのコースは、スタートがフランスはベルフォール市。ここでも何か、「ご縁」を感じざるを得ない。フランス国内を走ってから65km地点・グーモワ(Goumois)で国境を越え、そこからは二級の難所が三度、そしてゴールからあと23kmという地点で一級の峠越えがある山岳ステージだ。集団が分散して面白くなるが、選手にとっては酷なレースになるだろうと見られていた。特に、最後の、十字架峠の異名を持つコル・ド・ラ・クロワ(Col de la Croix)(高度789m)は、上りは3,7kmと短距離だが、平均勾配は9,3%、最大勾配は18%の上り坂。頂上からゴールラインまでは16kmで、下りで一気に加速。村々を抜けて、ポラントリュイ市内に入るとロータリーが四つ、人の多い市街地も通り、別の意味でのスリルが伴う。

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 さて、第8ステージ当日。心配の種は天候だった。前日は文句なしの快晴でも、この日は雨が降ったり止んだり、という予報だったからだ。早朝、土砂降りに見舞われた。午前中、雨が止んだ町に出てみると、青空が見え始めていた。11時を回ると、旧市街の特設ステージにはジャズバンドが登場した。その付近はいつもの祭りと変わらない雰囲気だったが、やはり、この日だけでコース上警備に1000名が動員、さらに、153名の市保安員、スイス各州から増援された警官300名、兵士56名、消防団員150名が動員されるという物物しさは、尋常ではない。ボランティアで働く人も、200人を越えた。最後の整備に余念がなく、全長93kmもあるという安全柵がコース上に張り巡らされ、厳戒態勢だ。まだレースは始まっていないというのに早くも緊張と興奮が伝わってきて、やはり特別な日なのだと肌身で感じた。

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 午後、テレビでの生中継をしばらく見た後、私は夫と共に「生ツール」の感激に浸るべく、旧市街手前に陣取った。ここからは選手到着が真正面からよく見え、目の前を走ってくれると予想した。スイス選手が三人、そして日本からはただ一人、新城幸也選手が出場しているため、手作りの日の丸とスイス国旗を持って行った。町はツール本場のフランス人はもちろん、ベルギー人、ドイツ人、オーストラリア人、アメリカ人、バイキングの扮装をしたデンマーク人一団など、各国選手の応援に駆けつけた人々で溢れ返り、いつも以上に国際的な雰囲気が漂っていた。(レース後、毎年はるばるツール観戦に来るという日本人カップルにも遭遇!)

 選手がポラントリュイに到着する予定時間の一時間ほど前から、車体に派手な装飾を凝らしたキャラバン(Caravane)というスポンサー車が次々に現れた。茶目っ気たっぷりの美男美女が、観衆を煽りながら「お土産」をばら撒くことしばし、待ち時間も十分楽しめた。そして肝心のレースは、声を出しつつ写真も撮っていたので、文字通り夢中で、あっという間に過ぎ去ってしまった。熱狂と言うよりは、選手への拍手や声援が何度も沸き起こる、温かで和やかな観戦風景だった。ツール史上初めて巨大な階段席が設けられたゴール付近に居れば、終了後も選手やサポートの人達と感動を共にし、運が良ければ交流できたのであろう。ちなみに、この日、ポラントリュイにはアルゴス・シマノ(Argos-Shimano)チームのみが宿泊、他のチームはフランスへと戻っていった。レースを見終わっても観客はまだまだ元気一杯、晴天の下、観光や夕食、またはコンサート鑑賞などを楽しむため、旧市街に繰り出していった。

 開催委員会と市の商業組合の見事な連係で、金曜のビール祭りと土曜の定期市、そして日曜の国際自転車レース、週末三日間の比類なきフェスティヴァルが誕生、日中は天候にも恵まれ、無事終了した。ツール・ド・フランスの歴史に関する講演会を皮切りに、数々の屋台が立ち並ぶ旧市街でのコンサート、子供対象のミニ・自転車レースなど、様々な催しで連日大賑わい。普段、日曜は閉まる大手スーパーマーケットも二軒開店し、ソーセージなどを焼いて売っていた。祭り好きのポラントリュイに於いて、ツール・ド・フランスは、単なる自転車ロードレース好きのためだけのイベントに終わらず、誰もが楽しめ、かつ州史に残る一大行事と化していた。

マルキ明子

大阪生まれ。イギリス語学留学を経て1993年よりスイス・ジュラ州ポラントリュイ市に在住。スイス人の夫と二人の娘の、四人家族。ポラントリュイガイド協会所属。2003年以降、「ラ・ヴィ・アン・ローズ」など、ジュラを舞台にした小説三作を発表し、執筆活動を始める。趣味は読書、音楽鑑賞。

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