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トンネル建設工事を見守る聖バルバラ

トンネル穿孔機の前でゴッタルド基本トンネルの貫通を祝う作業員 Keystone

スイスはたくさんのトンネルでチーズのように穴だらけだ。それらのトンネルはスイスの発展にとって重要だが、トンネル建設は今日でも莫大な費用がかかる上、危険を伴う。

このコンテンツは 2008/12/13 15:26

カトリック教会が定める鉱山の守護聖人である聖バルバラは、工事安全を願う労働者により工事現場のトンネルの中にも奉られている。聖バルバラは、危険を伴うトンネル工事の歴史を、常に間近に見つめてきた。

長い歴史

スイスにはトンネル建設の長い歴史がある。今年はアルプスに初めて建設されたトンネルの300周年を迎えた。現代の基準からすると目覚ましいものは何もなく、アンデルマット ( Andermatt ) までのウルナーロッホ ( Urnerloch ) トンネルは全長64メートル、幅2メートル、高さ2.5メートルしかない。

ウルナーロッホ・トンネルが完成するまでは、ゴッタルド峠を越える際、絶壁に架けられた古い橋を使用していた。その橋は厚板を鎖で繋いだものだったが、その厚板がたびたび取れて無くなっていた。そのためウルナーロッホ・トンネルは峠越えのためのより安全で信頼できる重要な道となった。

ウルナーロッホ・トンネルは簡素なものだったが、その後に建設されたトンネルと共通点がある。まず、イタリアとスイスを結ぶルートの継続的な改良の一環であり、ゴッタルド・トンネル、シンプロン・トンネル、グラン・サン・ベルナール・トンネルなど、地中奥深くに広がるトンネルの先駆けだった。ウルナーロッホ・トンネルは賞賛を浴び、観光客を引き付け、スイスのトンネル王国としての評判の土台を築いた。

マイナス面は、その後に建設された多くのトンネルと同様、予算オーバーになったことだが、そのためにエンジニアのピエトロ・モレッティーニが非難されることはなかった。それどころか、現在でも必ず実現できるとは限らない工事の早期終了を達成したことで多方面から広く評価された。さらに建設中に作業員2人が死亡し、その後のトンネル建設工事に伴い続ける最初の犠牲者となった。

死と隣り合わせ

トンネル建設工事には常に事故の影がつきまとう。2008年はスイスのトンネル建設史上の大事故が起きた100周年の年でもあった。ローヌ峡谷とベルン州を結ぶ第1レッチュベルク鉄道トンネルの工事中に、柱身が倒壊し25人が死亡した。遺体は発見されず、建設ルートの変更を余儀なくされた。

その当時の地質調査は重要な問題を見落としていた。しかし今日でも作業員は予測不可能な問題にぶつかることがある。地質学者ははるかに優れた道具と知識を持っているが、地質調査では十分なサンプルの採集、予算の範囲内に建設コストを収めるルートの選択という2つのバランスを取ることを要求される。

2005年、全長57キロメートルのゴッタルド基本トンネルの建設中に砂礫 ( されき ) が突如なだれ込み、巨大な穿孔機から砂礫を除去するのに5カ月を要した。それ以前にも同年、ローザンヌの地下鉄M2線の掘削工事中にショッピングセンターの下の地盤が突如崩れ落ちた。
「翌日も働くためにエネルギーが必要なのですから、眠らなくてはなりません。しかし考え始めると全く眠れなくなります」
とメトロM2線のエンジニアは自分の職業病を説明した。

レッチュベルク・トンネルの大事故は最初でも最悪の事故でもない。1857年には、バーゼルの南の重要路線にあるハウエンシュタイン ( Hauenstein ) トンネルの中で火災が発生し64人が死亡した。また、第1ゴッタルド・トンネルの建設中 ( 1872~1882年 ) には合計177人が死亡した。さらに、1905年のシンプロン・トンネルの貫通は、勝利の瞬間に噴き出た有毒ガスによる2人のエンジニアの死亡が影を落とした。

今日安全は最重要事項となっている。蛍光色の作業衣、ヘルメット、緊急酸素吸入器、避難用防煙コンテナなどはもちろん使用されている。ゴッタルド基本トンネルの工事現場に入る人間は全て出入りを確認される。トンネル建設は厳しい条件の中で行われる難しい仕事だ。2002年にゴッタルド基本トンネルの建設が開始されて以来7人が死亡した。

機具

今日使用されている巨大なトンネル穿孔機 ( TBM ) とモレッティーニの時代に使われていたツルハシや黒色火薬との間には大きな差がある。岩盤を掘り進むために使用された火薬の代わりに、空圧や水圧を動力とする機械が19世紀半ばに導入され、作業スピードが劇的に向上した。

第1ゴッタルド・トンネルの建設ではダイナマイトが初めて使用された。黒色火薬よりはるかに早く作業が進んだが、作業員の肺に害を及ぼした。20世紀半ばに効率の良いTBMが出現した。カッターのついた頭部全体が回転しながら頭部と同じ大きさの穴を掘っていく。ゴッタルド・基本トンネルでは直径9.5メートルの穴を掘削している。

スイス国内外での長年の経験を持つエンジニアは、どの種の機具がどの環境にとって最適かを見極めることができる。2007年に開通したレッチュベルク基本トンネルは全長34.6キロメートルあるが、そのうち80%は爆薬で掘削され、残り20%では穿孔機が使用された。

ゴッタルド基本トンネルは主にTBMで掘り進められた。TBMの長さは440メートルと機械自体がトンネルの工事現場のように見えるような作りだ。しかし一旦頭部が前進し岩盤に食らいつくと、機械の胴部が後を追う。
「まるでヤスデのようです」
とトンネル建設工事を監督する「アルプ・トランジット・ゴッタルド ( Alp Transit Gotthard AG ) 」のマウルス・フーヴィーラー氏は語る。

1回のシフトで必要な作業員は25人のみだ。機械の操作は技術を要し、機械から仕切られた機械室の中で行われる。ほかの作業員の大半は、適切な道具を適切な場所と時間に供給する仕事に携わっている。チームワークが重要とフーヴィーラー氏は説明する。

外国人労働者

チームの結束は固く、同じ村の出身者、友だち、そして同じ家族の人間もいる。オーストリアの企業が北部にあるトンネル入口の拡張工事を請け負った。チームメンバーにはドイツ人もいたが、やはりオーストリア人が多かった。

スイス人以外の作業員がいることは新しいことではない。伝統的に労働力を提供してきたのはイタリア人だった。しかし、第1ゴッタルド・トンネルを建設した作業員たちが後継者の生活を見たら驚くだろう。

初期の労働者は、高い家賃と恐ろしい過密状態にあった住環境に耐えなければならなかった。
「豚小屋のような宿泊所もあった。ある家では人間の排泄物が壁の外に流れ出していた」
と公共衛生キャンペーンを精力的に行ったラウレンツ・ゾンデルエッガーはゲシェネン ( Göschenen ) を訪問した際に記している。

現代の作業員は特別に建てられた清潔なプレハブ住宅で生活している。ゴッタルド・インフォメーションセンターで閲覧できるビデオでは、数人の労働者がスイスにいられることをどれだけ感謝しているかを語っている。しかしスイス人もまた同じ船に乗る一員だ。もし彼らがいなかったらスイスの現状は大きく違っていただろう。

swissinfo、ジュリア・スラッター 笠原浩美 ( かさはら ひろみ ) 訳

スイスのトンネル

スイスとイタリアを結ぶアルプス越えのルートは常に重要な交通路だった。
13世紀に開通したゴッタルド峠の道はスイス史上の重要な出来事だ。
スイス初のアルプス縦断トンネルの建設は、1708年のウルナーロッホ ( Ulnerloch ) トンネルで、これによりゴッタルド峠の通過が安全になった。
19世紀後半に起きた鉄道の発達はトンネル建設ブームを引き起こした。
スイス初のシュロスベルク ( Schlossberg ) 鉄道トンネルは全長90メートルで、スイス北部のバーデン ( Baden ) に位置する。
第1ゴッタルド鉄道トンネルは1871年から1881年にかけて建設された。
そのほかの主要トンネルはシンプロン ( Simplon ) トンネル ( 1906年完成 ) と第1レッチュベルク ( Lötschberg ) トンネル ( 1913年完成 )。
第1次世界大戦後、水力発電所の建設によって何百キロメートルものトンネルが掘られた。

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