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モントルーの週末 ~音楽と観光と~

クリスマスマーケットで人気の馬車ならぬ犬車。セントバーナード犬は力持ち! swissinfo.ch

11月末、初冬のモントルーは、一ヶ月間にわたるクリスマスマーケットで、よりきらびやかさを増す。スイス各地はもとより世界中から42万人もの観光客が訪れるが、私が過ごした週末、レマン湖畔の遊歩道上と大通りには合計150もの小屋が並び、特に日曜の正午頃からは、すれ違うのも一苦労するほど大勢の見物客で溢れ返っていた。「世界各地の金持ちが集う保養地」と形容されがちなモントルーだが、それはほんの一側面で、実際は、その地理的美しさだけでなく、数々の行事でなにびとをも魅了し楽しませてくれる。

 さて、モントルーの音楽祭と言えば、真っ先に浮かぶのは、毎年7月に話題になり、テレビ放映やラジオ放送もされる「モントルー・ジャズ・フェスティヴァル(Montreux Jazz Festival)」かも知れない。1967年にわずか3日間のイベントとして始まったが、現在の開催期間は2週間、ジャズはもちろん、ロックやポップス界の人気アーティストが多数出演する、世界でも有数の音楽祭に成長した。しかし、今回、私が聴きに行ったのは、全国ブラスバンドコンクール(Concours Suisse des Brass Bands)。次女がジュラのブラスバンドの一員として参加するからである。

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 2011年11月24日付のブログでも書いたように、スイスは知る人ぞ知る管楽器大国である。各地に吹奏楽団が存在し、共同体内外の結び付きを強めたり交流を深める上で重要な役割を果たしている。吹奏楽団の中でも金管楽器と打楽器のみで編成される楽団をブラスバンドと呼び、その頂点を決定するコンクールが、毎年、クリスマスマーケットが始まる週末に開催される。コンクールは優秀(エクセレンス)と、第1~第4の、合計5つのカテゴリーに分けられ、その中で上位を争う。ジャズ・フェスティヴァル同様、ミュージック&コンベンションセンター(Centre de congrès& musique)内の、ストラヴィンスキー・ホール(Auditorium Stravinski )とマイルス・デイヴィス・ホール(Miles Davis Hall)が使用される。土曜と日曜は一日中コンクール演奏で、夕方に結果発表。夜には国内外のブラスバンドやジャズバンドによる特別公演がある。

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 土曜は夫と共に娘を応援しに行ったが、日曜はブラスバンド会場に釘付けの夫から離れ、個人行動をすることにした。モントルーのホテルに宿泊するともらえるモントルー・リヴィエラ・カード(Montreux Riviera Card)を提示すると、宿泊期間中、市内とリヴィエラと呼ばれる地域を結ぶバスや電車が無料または半額、博物館やシヨン城への入場料が半額になるなど、特典が一杯。これを利用して、久しぶりにシヨン城(Château de Chillon)に足を向けてみた。

 ジュネーヴ周辺を訪れる観光客が必ず立ち寄ると言っても過言ではないシヨン城。雪を頂いたアルプスをバックにレマン湖畔に佇む古城は、「絵葉書の国スイス」で最も有名な景勝地の一つに挙げられる。城の歴史をごく簡単に述べてみよう。発掘調査の結果、青銅器時代(紀元前1800年~1000年)には墓所として使用されていたことが分かっており、ローマ時代には保塁が築かれていた。城としては、9世紀頃に最初の塔が築かれた。12世紀、シオン(Sion)大司教からこの城を委託されたサヴォワ家の居城となった。1255年から13年間領地を治め、その才覚とスケールの大きさゆえ「小カール大帝」と呼ばれたピエール2世の時代に建築家ピエール・メニエ(Pierre Mainier)によって増築され、今日のような外観となった。1536年からはベルンの支配下となり、城は主に兵器庫かつ監獄として使用された。1798年にはベルンから独立したヴォー州に属することになり、今日に至る。

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 2時間半かけてじっくり回ってみると、それぞれの部屋の機能性や細部の美しさに感嘆すると同時に、以前の訪問ではそれほど気にならなかった場所が、妙に印象に残った。まず、壁や回廊に開けられた様々な形の銃眼の数の多さ。この城が、いかに城砦として重要視されていたかを物語っている。また、昼時で観光客が少なかったせいか、牢獄、処刑場、拷問部屋などでは、背筋が凍りつくような感を覚えた。絵になる外観とは正反対に、ごつごつした自然の岩をそのまま使った地下牢は、照明が抑えられ、湖から這い上がってくる冷気と湿気が漂い、不気味でさえある。英国ロマン主義の詩人バイロン卿(Lord Byron)は1816年6月にこの牢獄を訪れてインスピレーションを受け、ここに1530年から6年間幽閉され鎖に繋がれていたジュネーヴの愛国者、フランソワ・ボニヴァール(François Bonivard)への思いを綴った「シヨンの囚人」という詩を発表している。バイロン卿の詩によってこの城は一躍有名になったが、ボニヴァールだけでなく、14世紀のユダヤ人大量虐殺、16~17世紀の魔女狩りで連行された者達の拷問と処刑、封建支配下では領主であるサヴォワ家やベルンへの反抗を企てた者達の投獄・処刑など、何百年にもわたって惨劇の舞台であり続けたことを忘れてはならない。

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 シヨン城の類まれなる美と交錯する恐怖にどっぷり浸かった後は、再びバスに乗ってモントルー市内へ戻った。行き先はカジノ。現在の建物は1975年に再建されたものである。1971年12月4日、アメリカ人ミュージシャン、フランク・ザッパ(Frank Zappa)のコンサート中に、ファンの一人がフレアガン(信号拳銃)を天井に向けて発射、竹製の天井に引火した。火は燃え広がり、建物のほとんどすべてを焼き尽くした。ザッパと彼のバンドは機材などすべてを失い、カジノは莫大な損害を蒙ったが、死傷者が出なかったのは不幸中の幸いだった。これには、先述のジャズ・フェスティヴァルの創始者、クロード・ノブス(Claude Nobs)氏による冷静な避難誘導が功を奏したと言われている。この時、モントルー滞在中で、カジノでのレコーディングを予定していたハードロックグループ、ディープ・パープル(Deep Purple)のメンバーは、ノブス氏の計らいで、当時湖畔にあったグランド・ホテル(Grand Hotel、注・モントルー駅前にあるGrand Hôtel Susse-Majesticではない)にスタジオを移し、無事、アルバム「マシン・ヘッド(Machine Head)」を完成させることができた。このアルバムの中には、メンバー達が目撃したカジノ大火災を語った「スモーク・オン・ザ・ウォーター(Smoke on the Water)」が収められており、ロックの名曲として多くのファンを虜にしている。

 カジノから、湖沿いの遊歩道をマルシェ広場(Place du Marché)まで歩いた。可愛らしい装飾の数々の屋台、そして今年の主賓、エラン谷(Val d’Hérens、ヴァレー州の一地方)の店が入る屋根付き市場(Marché Couvert)を見下ろすように、観覧車がそびえ立っている。好奇心旺盛な私は、この観覧車に一人で乗ってみたが、座席の周囲に低い柵があるだけで何とも心もとなかった。安全ベルトもなく吹きさらし状態なので、小さな子供と一緒に乗る時は気をつけなければならない。日本の観覧車はゆっくり一周して終わりだが、この壁のない観覧車、比較的速いスピードで5回は回る。いわゆる絶叫マシーンが大好きな方にはお勧めかも知れない。

 湖のすぐ傍には、1991年にこの世を去るまでモントルーを愛して止まなかった、クィーン(Queen)のヴォーカリスト、フレディ・マーキュリーの銅像が建っている。11月24日は彼の命日。ちょうど私のモントルー滞在中だったため、たくさんの献花と世界中のファンから届いたメールや手紙が銅像を飾っており、死後20年以上経っても冷めやらぬファンの熱意が伝わってきた。彼の訃報を聞いたのは英国留学中だったが、最初は信じられなかったのを覚えている。その後間もなく私はスイスで暮らし始めたが、クイーンやディープ・パープルなどロックとの出会いが青春時代の始まりだとすれば、その終わりはフレディが亡くなった年だったのかも知れないと、端正かつゴージャスなフレディを見上げながら妙な感慨に耽った。

 全国ブラスバンドコンクールにクリスマスマーケット散策、シオン城観光、そしてロックの二大聖地参り。一泊二日と短くも、充実この上なく思い出深い滞在となった。2012年度モントルー・クリスマスマーケットは12月23日まで。今年はまだクリスマスマーケットに行っていないという方は、この機会に、是非、モントルーのマーケットや町の名所を堪能していただきたい。

マルキ明子

大阪生まれ。イギリス語学留学を経て1993年よりスイス・ジュラ州ポラントリュイ市に在住。スイス人の夫と二人の娘の、四人家族。ポラントリュイガイド協会所属。2003年以降、「ラ・ヴィ・アン・ローズ」など、ジュラを舞台にした小説三作を発表し、執筆活動を始める。趣味は読書、音楽鑑賞。

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