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ランビエール 「椿姫」でオリンピックに向けてジャンプ

オリンピックに標的を定めメダルを目指すランビエール選手 Keystone

「現在調子が良くこのまま腰の痛みを調整しながらオリンピックに臨みたい」とステファン・ランビエール選手は1月11日ローザンヌで語った。

まずヨーロッパフィギュア選手権が1月18日に始まり、その2週間後がオリンピック。「練習もジャンプ回数を減らし量より質の方向だ。自信をつけ2大会に臨み、オリンピックは特に好成績で終わらせたい」と話す。フリープログラムにはヴェルディのオペラ「椿姫」を選んだ。

左腰の故障とうまくやっていける

 「今の練習は自分に自信をつけることが中心。自信によって静寂な気分を保ちヨーロッパフィギュア選手権で自分を試し、そのままオリンピックにつなげていきたい。3回転、4回転などの練習量は減らし、質を大切にして細かな調整を行っている」
 と言う。

 ランビエール選手の正式なオリンピック出場が決まるには、まずヨーロッパフィギュア選手権で195ポイントを取り、10位以内に入る必要があるが、よほどのことがない限りこれはクリアーされると関係者は見ている。心配されるのは競技生活引退の原因になった左腰の内転筋の故障だ。

 「確かにまったく痛みがないわけではなく、何か動きを妨げるものをいつも感じている。しかし体力はあり、その妨げになるものを克服して自分のやりたいことを表現できる状態にある」
 と説明する。練習前にはランビエール選手用に編み出された特別なマッサージを受け、練習後もストレッチなどさまざまな方法が使われる。専属マッサージ師も「1年半前から行っている努力が実を結んだと、スタッフ一同喜んでいる」と言う。

 「結局、プロのスポーツ選手でけがや故障のない人はいない。その故障を克服しながらうまくやっていく方法を各々が見つけるしかない。自分は今のところその方法を見つけ出し、また見つけ出したからこそ競技生活に戻る決心もついた」
 とランビエール選手は結論する。

シャンペンを飲んだ後の優雅な踊り

 オリンピックのフリープログラムにはヴェルディの「椿姫」を選んだ。
「タンゴは1日3回の練習で毎日1年半の間聞き続けた。危険を冒しても、新鮮なものをやりたいという内部の要求が湧いてきていた。多くの曲を聞いているうちに『椿姫』にいきあたり、これだ、これをオリンピックに持っていきたいと思った」
 という。

 「曲を聞くとすぐにイメージが湧いてくる」というランビエール選手だが、今回は曲そのものが持つワルツのリズムに魅かれ、「僕はワルツが大好き。この曲を聞くと前に進みたい、踊りたいという気持ちになった」。それに、ワルツはフィギュアスケートに合っているとも言う。

 「椿姫」は青年貴族アルフレードと恋に落ちた高級娼婦ヴィオレッタが最後は亡くなる話しだが、そうした悲劇性は表現せずあくまで踊りが中心のクラシックダンスのようなプログラムにしたいという。
 「仮面舞踏会のような大会場でみんなが踊っている。シャンペンを飲んだ後に優雅に踊りを楽しんでいる。また、自分をアルフレードに見立ててもよいが、会場に入った青年が踊り相手の女性を誘う、そうしてまたみんなが踊るといった雰囲気を表現したい」。礼儀正しい社交界。コスチュームもクラシックな夜会服を衣装担当者に注文した

オリンピックを標的に

 オリンピックでランビエール選手がライバルとして頭に描く選手は6人から7人。
 「この6人から7人は全員、技術的にも、アーティスティック的な面からもほとんど同じレベル。それぞれの個性でそれぞれ違うものを表現していて甲乙つけがたい。ただ、オリンピックは4年に一度の大会なので、プレッシャーは高く思いもかけない失敗が出たりする。結局失敗すればほかの選手が一歩先に出る場だ」
 という。

 ただ、ほかの競技のように相手を負かすという種類のものではなく、氷上でのわずか4分40秒の間に自分の最大限のものを発揮し、後は審査員に任すしかない孤独な戦い。従って、競走相手をあまり意識はしないという。

 また、今回のバンクーバーが最後のオリンピック大会になる可能性も匂わせ、
 「変わっていないのはフィギャスケートに対する情熱。変わったとしたらそれは、日々のプラニングなどで少し大人になったこと。それに始めたことは終わらせたいと思うようになったことだ。もしからしたら、これが最後のオリンピックになるかもしれないし、従って毎回の練習でも最大限を尽くしながらオリンピックはうまく終わらせたいと思っている」
 と話し、オリンピックに標的を定め闘志を燃やす。

里信邦子 ( さとのぶ くにこ) 、ローザンヌにて、swissinfo.ch

1985年4月2日、スイスのヴァレー州、マルティニ ( Matigny ) に生まれる。
1992年、7歳でフィギュアスケートを始める。
2005年3月、モスクワでの世界フィギュアスケート選手権大会で1位、19歳。
2006年2月、トリノ冬季オリンピックで銀メダル。
2006年3月、カルガリーでの世界フィギュアスケート選手権大会で1位。
2007年3月、東京での世界フィギュアスケート選手権大会で3位。
2008年1月、ザグレブでのヨーロッパ選手権大会で2位。
2008年10月、左内転筋の負傷のため、競技生活に終止符を打つと宣言。
2009年1月、スイスのスケートショー「アート・オン・アイス ( Art on Ice ) でプロ宣言後初めてショーを行った。
2009年7月、競技生活へ復帰すると発表。
2009年ネーべルホルン杯オーバースドルフ大会で優勝。232.6ポイントを獲得。2010年1月18日からタリンで行われる世界フィギュアスケート選手権大会で195ポイント以上を取り10位以内に入れば、最終的に冬季オリンピック出場が決定される。

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