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人類が初めて宇宙に挑んだ日

アウグスト・ピカール(右)と助手のパウル・キファー. Collection du Musée du Léhman

75年前、2人のスイス人が枝編み細工のバスケットにクッションを詰めて作ったヘルメットをかぶった。これで人類史上初めて人は空に飛び出したのだ。

今年、この偉業を記念してレマン湖畔の博物館で特別展が開かれている。NASA(米国航空宇宙局)は、彼らを「最初の宇宙飛行士」と認定している。

 特別展では、二人のスイス人が1万5780メートルをふわりと飛んだ当時の映像フィルムや写真、歴史的文書が一般公開されている。

歴史上初めての宇宙カプセル

 「これは地球の大気圏を人間が最初に離れた大事件でした」と、特別展の学芸員であるジャン・フランソワ・ルパン氏は言う。スイスのバーゼル生まれのアウグスト・ピカールは、後にフランス語圏で人気のある漫画、『タンタンの冒険』に出てくる珍妙な科学者、クスバート・カルクルス教授のモデルだ。変なヘルメットをかぶったピカールと助手のパウル・キファーの当時の写真を見れば、なぜ彼がカルクルス教授のモデルとなったか、一目瞭然だろう。

 ピカールたちは、1965年にアカデミー賞脚本賞にノミネートされた『素晴らしきヒコーキ野郎』の登場人物も彷彿とさせるかもしれない。この時はまだ、ピカールの孫ベルトランまで1999年に気球による人類初の無着陸地球1周で世界をあっといわせることになるとは、誰も夢にも思わない。

 1926年の6月に、高度4500メートルまで風船を飛ばす実験でアインシュタインの相対性理論を証明したピカールは、当時、ベルギーの首都ブリュッセルにあるフリー大学の物理学教授だった。彼は数々の実験データを集めるため、より高い高度への飛行計画を立てた。

 このために、彼はアルミでできた小さな球形の、加圧カプセルを考案した。直径2メートル10センチ。この大きさに決めた理由についてピカールは「二人の人間と多くの機具が入れる最小の空間」と説明している。

 スイスインフォの取材に答えた学芸員ルパン氏は、「これは歴史上初めての宇宙カプセルでした」と話す。「NASA(米国航空宇宙局)は、彼らを『最初の宇宙飛行士たち』と認定しているのですよ」

 高さ30メートルのこの気球はベルギー国立科学研究基金(Belgium’s National Fund for Scientific Research)の資金を得て実現した。このため、この気球の名前は同基金の頭文字をとって「FNRS」と命名された。

悪戦苦闘

 ピカールは名誉ある離陸の地にドイツのバイエルン州、アウグスブルクを選んだ。気球を製作した場所に近かったことと、海岸線から遠く、海に不時着する危険を避けるためだ。

 日にちは1930年9月14日に決めた。ところがすぐに大問題が持ち上がった。ドイツ政府が安全性を理由に許可をおろさなかったのだ。幸運だったのは、ピカールはスイス航空クラブのメンバーで、スイス政府が責任を取ることに合意した。

 しかし、今度は悪天候が行く手をはばんだ。おかげで冒険は次の年になるまでおあずけとなる。5月27日午前3時53分、やっと気球はゆっくり膨らんでいった。そしてあっと言う間に、ピカールとキファーは空高く上昇していったのだ。

 ところが気球の中では大変なことになっていた。カプセルがぶつかって破損したのだ。非常用の道具を使って修理して、やっと彼らは世界的な記録を達成することができた。30分も経たないうちに、彼らは高度1万5780メートルに達した。

地上に戻るのもまた一苦労

 ほっとしたのもつかの間、次に彼らを襲ったのは、1本のロープだった。これが水素ガスを調節する弁に絡まってしまったのだ。このため、彼らは気球から水素ガスを減らして操縦することができなくなった。好きな時に下降できないということだ。日が傾いて、ガスが冷却するまでひたすら待つしかない。

 ピカールは助手につぶやいた。「いつかは絶対どこかに降りられると思うが、それは一体、いつになるんだろう」。数時間も極度の寒さや水不足に悩まされた後、気球がやっと高度を下げ始めたのは午後の2時をまわっていた。やっと本格的に下降が始まったのは夜の8時ごろだった。

 アウグスブルクを出てから約17時間。彼らはとにかく地上に戻ってくることができた。不時着したのはオーストリア、チロル地方の氷河。気球の布にくるまって2人は一夜を過ごし、翌日スキーでパトロールをしていた警備隊に救出された。

 で、あの枝編みヘルメットの効用はどうだったのだろうか。「私たちは2人とも、これのおかげで頭を守ることができました」とピカールは語っている。「しかも、飛行中は居心地の良いクッションとして使い、万が一海に不時着したとしても救命ライフベストとして使えるようになっている優れものなのです」

swissinfo、アダム・ボーモント 遊佐弘美(ゆさひろみ)意訳

アウグスト・ピカールは1884年1月28日に生まれた。
彼は1917年にチューリヒ連邦工科大学の物理学教授となった。
1922年にピカールは、ベルギーのフリー(Free)大学に移った。

-フリー大学でFNRSを開発したピカールはこれを基にFNRS2を製作した。

-FNRS2は世界最初のバチスカーフ(2人乗りの深海用調査潜水球)となった。

-1960年には、ピカールはこのバチスカーフでマリアナ海峡を深海まで潜り、世界新記録を出した。

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