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尺八は「ガラパゴスの楽器」

「無音状態のときに、次の景色を思い浮かばせるようにする」と吉田さんは言う swissinfo.ch

「自分の信じるままに、現代の自分の尺八を吹く」。そんな日本の青年にジュネーブのホームコンサートで出会った。シャンデリアが輝くリビングの隅に座布団がある。そこに羽織袴に長髪の吉田公一さん(34)が座り、尺八に息を吹きこむ。その瞬間、観客は尺八という楽器だけが作り出す独自の世界に入り込む。

 もともと吉田さんは、ロックが好きでバンドでギターを弾いていたような現代の若者。民族音楽や民族楽器にも興味があったが、京都の仏教大学で学んでいたときに出会った尺八は、「(こうした楽器の中で)群を抜いてあやしかった」。不思議な音色、魔力に衝撃を受けた。

 「僕の尺八との出会いは、本人も尺八を習い、今回僕のためにコンサートを開いてくれたジャン・ウエスカーさんの場合と同じ。つまり西洋人が尺八という日本のエキゾチックな楽器に出会ったようなものだった」

ガラパゴスの楽器

 息を吹き込んだ一瞬後に一度下がった音が再び上がり、そのまま一音(一つの音階の音)として長く伸びていく。尺八の古典「虚空」の始まりだ。

 この一音は「虚空」の中で何回か繰り返されるが、伸び加減や音色がときとして微妙に揺れる。実はこの一音こそが尺八の生命なのだと吉田さんは言う。

 尺八は、「竹藪の中を風が通り抜ける音を目指す」とか「一音成仏」などと言うように、「一音の中に至上の音を目指すもの」。この、一音に精神を込める姿勢こそが西洋楽器と一番異なるところ。なぜなら西洋楽器は多音をきちんと出すことを目指し、つまり機能性を追求しながら発展してきたからだという。

 13世紀に生まれた尺八は、孤立した日本の中で(機能的な発展はぜず)一音にこだわりながら生き残った不思議な楽器。「僕らは『ガラパゴスの楽器』と呼んでいる」

 一音一音が紡がれるように構成される「虚空」も、心の中を旅するような不思議な曲だ。「『虚空』はものすごく大切な古典。世界に飲み込まれる感じ。森羅万象を感じる。宇宙と一体となる、などと言われる。でもこれを吹いていると、一体誰のために、何のために作られた音楽なのかと考えてしまう。こんなことを考えさせる古典の曲も、結局『ガラパゴスの音楽』だと思う」

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ソロでやりたい

 尺八には5個しか穴がないが一応西欧音階が出せる。しかし、こんなにも独自な曲を生み出す、こんなにも独自な楽器だからこそ、これでバッハは吹きたくない。フュージョンで安易なメロディーを吹くこともあまりしたくない。「軸は持ちたい」と吉田さん。つまり「疑似西洋楽器」にしたくないのだ。

 では、どのような演奏を望んでいるのか?「虚無僧が自分のために吹いていたような楽器なので、ソロでやりたい。10人ぐらいの人の前で。それが一番この楽器に合う」

 「曲目も古典は外したくない。ただ長いのでダイジェスト版にして、1、2曲。後は自分の創作で短い4分ぐらいのものを4、5曲やりたい」

場所や俳句から力をもらう

 今回の演目の一つに創作「熊野古道」があった。うっそうとした古道を歩き、新鮮な空気を吸い込むような感じを与える曲だ。どのようにしてできたのか?「その場で突然このメロディーが浮かんできた」と、言いながら傍にある尺八を取って吹いてくれる。「後は、基本のこのメロディー(モチーフ)をバリエーションを付けて広げていく」

 「結局訪れたところから力をもらう。すぐその場でメロディーが浮かぶこともあれば、数日後にできることもある。インプロビゼーションでやる」

 もう一つの創作に、夏目漱石の俳句「限りなき、春の風なり、馬の上」をタイトルにしたものがあった。尺八がしばしば奏でる「陰的な音」がほとんどなく「陽的な音」だけで、軽やかな春風が竹の筒を通して聞こえてくるような曲だ。「俳句から力をもらって、インプロビゼーションでやる。譜面もなく、一つのモチーフを広げていくやり方は、『熊野古道』と同じだ」という。

1979年、姫路生まれ。その後龍谷大学入学と共に京都に移る。

ロシア人の女性と結婚し、正式な名は吉田ナザロフ公一。

幼少よりリコーダー、ギター、ベースなどの楽器を演奏し、ロック、ブルースなど様々な音楽に触れるなか、尺八の音色に衝撃を受け、尺八演奏家を志す。

数人の尺八演奏家の師事を受けた後、琴古流尺八を倉橋容堂(くらはしようどう)氏に師事。

伝統を踏まえながら、ジャズ、ロック、民族音楽、即興など多様なジャンルでのセッションを重ねる。

2011年秋、尺八、ピアノ、チェロ、タブラ編成カルテット「夕顔」でスペイン、フランス、イギリスにおけるツアーを行う。

2012年春、ソロでフランス,スイス,ドイツにおける演奏ツアーを、秋にはロシア,アルメニア,フランス,ドイツにおけるツアーを行う。

2013年は、1月からパリ郊外に住み、フランスを初めスイスのジュネーブなどで数回演奏した。

今後は、ロシアとヨーロッパをターゲットに演奏活動を続けていきたいと考えている。

なお、今回は10年前からジュネーブで尺八を習うジャン・ウエスカー(Jean Huescar)さんが、ブログで吉田さんがフランスで公演をしていると知ってホームコンサートを思い付いた。今年夏には、少人数での演奏会をスイスで行う予定。

無音

 「熊野古道」でもそうだが、今回の演奏ではしばらく続く「音」の後に長い「無音」の状態が続き、また「音」が始まる。その長い無音は、西洋音楽を聞き慣れた耳には、恐らくショックだろう。「アルメニアで演奏したとき、無音状態のときに拍手が沸き起こって、演奏が終わったと思った観客が帰り始めた」と吉田さんは微笑む。

 しかし、この無音こそが「有音」を生かしてくれる、ないしは「有音」と対等な力を持つ「音」なのだ。「この無音があるから、世界が浮き彫りになる。その効果を目指しながら演奏している」

 また、無音状態は、吉田さんにとって大切な時間だ。音を吐き切って息を吸うのに時間がかかるからであり、また「次の景色」を思い浮かばせるように仕向ける時間でもあるからだ。

 結局、尺八の演奏では、基本のモチーフからバリエーションを生み出しメロディーにしていくが、この「次の景色」が浮かばないとメロディーが続かない。では、どうやってこの「次の景色」を浮かびやすくさせるのか?

 それには、雑念のない精神状態が必要だと吉田さんは言う。「座禅とは、水の中のくずのような雑念が底に沈む状態だと言われるが、僕も日頃から座禅で訓練すると(演奏中に)リラックスでき、イメージが湧きやすくなる」。

 そうしてこう言う。「尺八を吹くとは自分の中に絶対的なものがあって(それを仏と言ってもいいが)、それを信じそれを出していくことだ。できるだけ雑念をなくす状態にしながら」

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SWI swissinfo.ch スイス公共放送協会の国際部

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