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抗議の声を上げるアスリート 五輪は聞く耳を持つか

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東京五輪に出場したドイツのニケ・ローレンツ主将(ホッケー)は、国際オリンピック委員会(IOC)から、性的マイノリティーへの支持を示す虹色のバンドを着けることを許可された Copyright 2021 The Associated Press. All Rights Reserved

五輪の舞台の内外で、自分たちの振る舞いや発言、競技中の服装に関する規則や規範に対し、声を上げるアスリートが増えている。だが、スポーツ団体の意思決定にその声が反映されるようになるまでには、まだ時間がかかりそうだ。

東京五輪に出場したドイツのニケ・ローレンツ主将(ホッケー)が、靴下にレインボーカラーのバンドをつけていたことに気づいたテレビ視聴者はほぼ皆無だろう。性的マイノリティーであるLGBTQコミュニティーへの支援を示すシンボルだが、これが五輪の舞台では一大事だった。オリンピック憲章外部リンク第50条(ルール50)は、大会期間中、衣服や競技場におけるデモや「政治的プロパガンダ」を禁止しているからだ。

しかし、複数の選手やスポーツ選手の国際的な労働組合「世界選手会」などの団体から、同条項がアスリートの表現の自由を侵害しているという批判が出たことを受け、ローザンヌにある国際オリンピック委員会(IOC)は規則を緩和し、アスリートが特定の時間、場所に限りデモを行うことを認めた。ローレンツ選手のレインボーソックス着用も認められた。

1968年のメキシコ五輪の表彰台では、米国人メダリストのトミー・スミス選手とジョン・カーロス選手が黒人差別に反対しこぶしを突き上げ、これがスポーツ界における抗議活動のシンボルとなった。選手の抗議を受けてルールを変更する。それは世界のスポーツ団体の意思決定にアスリートの声をより反映させる、という動きを後押ししている。

以前よりも多くのアスリートが、不公平と感じるルールや規範に対し声を上げるようになった。成功例はいくつかあるものの、相手側に訴えを聞き入れてもらうまでには大きなハードルがある。

国際労働機関(ILO)の公共・民間サービス部門の責任者オリバー・リャン氏は「アスリートはただスポーツ愛ゆえにそうした行動を取っているという見方がある。一部のスポーツにとってはそうかもしれない。だがアスリートの自身に対する見方は大きく変わってきている」と語る。労使関係に踏み込むことが敬遠されるのは、アマチュアリズムに対する見解の違いや、大半のアスリートが独立した契約者として分類されていることが原因だという。

「大半のアスリートは被雇用者ではない。だが権利の観点から見れば労働者だ。彼らの生活はすべて、何をするか、特定の時間にどこにいるべきかを他者から指示を受けることで成り立っている」

権力の不均衡

世界選手会のブレンダン・シュワブ会長は、アスリートとスポーツ界の権力者との間に、パワーバランスの不均衡があることが問題の根源だと言う。

IOCや国際サッカー連盟(FIFA)などのスポーツ統括団体は、アスリートを失格にしたり、完全に追放したりすることができる大きな力を持つ。そのためアスリートは、不正と思われるルールや慣習について発言した場合、そのスポーツに全く参加できなくなるリスクが生じる。選手の行動を厳しく管理する政府や国のスポーツ団体を批判することに、身の危険を感じるアスリートもいる。

シュワブ氏は「私たちは、この階層的なシステムが有害だということを理解し始めている。この問題に対処するには、スポーツの統治方法について、アスリートが偽りのない意見と平等な発言権を持つことが必要だ」と話す。同氏によれば、過去数十年の間にスポーツ界にマネーが投入されたことで、不均衡がより顕著になっている。

このパワーバランスの不均衡による影響を是正しようとしているのが、世界選手会だ。2014年にスイス・ニヨンで設立された際、サッカー、ラグビー、その他のプロスポーツ団体から集まったメンバーの多くが、選手に大きな影響を及ぼす非常に重要な決定が世界の各スポーツ団体でなされたにも関わらず、選手本人がその意思決定過程に関与していないことに気付いた。選手との契約に盛り込まれたオリンピック憲章の問題から、世界アンチ・ドーピング規程、スポーツ仲裁裁判所(CAS)の問題まで、いずれも選手が不当だと感じているものだ。

問題はこれだけではない。アスリートたちは、自分たちが着用しなければならないもの、メディアでの自分たちの描かれ方、メンタルヘルス面でのサポートの必要性、スポーツ指導者の多様性の欠如などについても声を上げている。ドイツの女子体操チームは、東京五輪で足首まで覆われたユニタードを着用して話題になったが、それは同競技での性的扱いに対する抗議だった。その数週間前には、ノルウェーのビーチハンドボール女子代表が、欧州選手権でビキニボトムではなくショートパンツを着用し、リーグから罰金処分を受けた。

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アスリートたちは、自分たちの不満や見解の多くを直接、ソーシャルメディアで訴えている。体操女子のシモーン・バイルス選手(米国)は、個人総合決勝の欠場を発表する前、五輪が自身のメンタルヘルスに与えた重圧と、家族と遠く離れていることへの葛藤をインスタグラムに投稿した。その数カ月前には、多くのサッカー選手が自身のソーシャルメディアアカウント上で、人種差別反対運動の「Black Out Tuesday(ブラックアウト・チューズデー)」に参加した。

アスリートの声を聞く

世界のスポーツ団体は、アスリートが意見を交換したり、懸念事項を明らかにしたりする手段が必要であることを認識するようになった。ローザンヌに本部がある国際体操連盟は、米国やスイスなどで起きた体操選手の性的暴行事件を受け「体操倫理財団」を設立。まず初めに、報復の心配なく事案を報告できる匿名ホットラインを作った。

また、多くの世界的なスポーツ団体(大半はスイスに本部がある)は、民主的に選出されたメンバーで構成される選手委員会を設置。この委員会が様々な問題についてアスリートの意見を代弁している。IOCは数年前、約20人で構成する選手委員会を設立した。同委員会のエマ・テルホ委員長外部リンクはIOC執行委員会のメンバーも務め、swissinfo.chの取材に「アスリートが関与しない形でIOCの決定がなされることはない、ということを保証する」と語った。

しかし、シュワブ氏は、これらの委員会が人権基準の尊重を確保するために十分な独立性と体制を備えているかどうかは疑わしいという。具体的には、ルール50や、選手が大会期間中に新型コロナウイルス感染症(COVID-19)に感染あるいは死亡した場合に法的権利を放棄する旨の宣誓書に署名を求めるプレーブック、IOC選手委員会が支持を表明したことだと言う。同委員会は事前に約3500人のアスリートにルール50への意見を求めたと説明外部リンクする。

選手委員会のメンバーの一部は、IOC会長に任命権がある。

組織化

アスリートたちが、IOCの正式な組織の枠組み外で団結したいと考えている兆しがある。

6月、30カ国以上から集まった120人以上のトップスイマーが、国際水泳選手同盟(International Swimmers’ Alliance)を設立した。同団体は、トップ選手たちに影響を与えるさまざまな問題を共に議論し、協力するためのプラットフォームになるとしている。ただこれは組合ではなく、多くのアスリートの声を代表することが目的だという。陸上競技界では、既にこうした動きが起こっている。

国レベルでは、ドイツのアスリートたちが17年にスポーツ選手の権利を支援・強化するため、独立したアスリート団体を結成した。19年には米五輪チームドクターによる体操選手への性的虐待事件が発覚したことで、国内で連合形成の動きが活発化した。

五輪金ダメリストのメアリー・ハーベイ氏が率いるスポーツ人権センターや、スポーツ界の変革を推進するアスリート主導のスタートアップムーブメント「グローバル・アスリート」など、アスリートの権利を強化し、意見反映を広める組織が各地で芽吹く。

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また、ルール50の緩和は、アスリートとスポーツ界の権力者との力関係を再構築する上で、重要なマイルストーンになるかもしれない。東京五輪の表彰台では、米国のレイブン・ソーンダース選手(砲丸投げ)が「すべての抑圧された人々」を表すために手首をX字にして掲げる抗議活動を行った。これに対し、IOCは同選手への調査を一時的に停止している。

シュワブ氏は、選手の発言力がより意思決定に反映されるようになったスポーツは繁栄してきたと指摘する。

「スポーツとスポーツビジネスを強いものにしなければ、自分たちにとって安定し、やりがいのあるキャリアパスはない。選手たちはそれを理解しようと努めてきた」とシュワブ氏は話す。「それは、スポーツをより包括的で、安全で、人気のあるものにすることに他ならない」

(英語からの翻訳・宇田薫)

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